8. a girl in a forest

 朝露がきらりと輝いていた。それまでの惨事などなかったかのような穏やかな朝。ジュノンはゆっくりと起き上がった。
「朝、か」
 朝が来た。ライフガントルとは昨夜のうちに決めていた、出発の日。結局ロニテスを連れて行くか否かについて、その後まともに話せなかったのだが。
(きっとわかってくれるよね……)
 なにより、ロニテスが仲間になれば戦力が増えることになるのだ。ライフガントルが渋る理由が、いまだにわからなかった。
「早いな」
 声をかけられて隣を見ると、隣のベッドでもぞもぞとライフガントルが起きだしていた。低血圧な彼は、いまだに布団にもぐったままだ。
「おはよう、ライフ」
 微笑んでいうと、ライフガントルは機嫌悪そうに唸る。もう少し寝たいのだろう。
 仕方がないので勢いよくベッドから起き上がると、締め切っていたカーテンを開けた。鮮やかな日光が部屋に差し込むも、やはりライフガントルは起きてこない。
「仕方ないね、ほんとに」
 結局ライフガントルを起こすことは一旦諦め、ジュノンは手早く着替えを済ませた。身辺の整理もあわせてしながら、ふとロニテスがくれたあの服が目に付いた。
 会計を済ます前に自分が店を半壊にしてしまった、曰くつきのその服。結局その後、ロニテスが会計を済ませに行ったのだが、果たして持って行くべきか。
(悩むな……)
 最も、彼自身もう着るつもりは全くなかった。何が嬉しくて女物の服など着られよう? ましてや、スカートなど。
(でも買ってもらっちゃったんだよね……勘違いだったとはいえ)
 じっくり考えた末に、ジュノンは鞄の一番下に小さく畳んで入れた。様は、着なければ良いのだ。着なければ。
(次の街辺りで誰かにあげよう)
 そう考えて仕舞い込む。
 さて、全てが終わったと立ち上がろうとしたとき、ふと何かが光った。
「あれ」
 見覚えのある光り方、ベッドの上に乱暴に置かれているそれは、昨日草原で見つけた狼面だった。
「これ……」
 ちらりとライフガントルのほうを見た。彼は二度寝に入ったらしく、穏やかな寝息を立てている。その顔は幸せそうだ。
 起こすのが悪いと思ったからなのか、それとも単に知られたくなかっただけなのか。
 どちらかわからないが、結局ジュノンは何も言わずに面を鞄の中に入れた。鞄の口から狼面の鋭い瞳がこちらを見つめる。その瞳はジュノンをなんともいえない気持ちにさせた。
(何で持って行こうなんて思ったんだろ……)
 気味の悪い狼面は日光を反射した。きらりと光る。
 けれど、再びジュノンが鞄の中からそれを手に取ることは、とうとうなかった。


 朝食をとりに階下へ降りる。階段下の奥にある質素な扉を開けると、宿泊客用の食堂になっていた。手馴れた様子のライフガントルを半ば尊敬のまなざしで見ながら、ジュノンはきょろきょろと辺りを見回した。
「何してる、早く行くぞ」
 あんまりきょろきょろしていたから、見かねたライフガントルが不機嫌に言った。ただでさえ寝起きで機嫌が悪いのに、ますます悪くなったらたまらないと慌てて従う。
 フロントで主人に言われた席に着けば、すかさずボーイがメニューを持ってきた。
「モーニング・セット二つ」
 ライフガントルがそう告げているのが耳の端で聞こえた。俺のはコーヒーで、なんて言っている。やり取りを聞きながらも、しかしジュノンの心は別のほうに向いていた。
(ロニテスがいない)
 ちらりと聞いた話しでは、ここに住み込みで働いているというから、てっきり食堂にもいると思っていたのだ。
 やがて湯気の立つ料理が運ばれてくるまで、ジュノンは挙動不審に辺りを見回していた。
「そんなに気になるなら探しに行ったらどうだ?」
 運ばれた料理を一瞥し、コーヒーに手を伸ばしながら、ライフガントルはそう言った。先ほどからジュノンが何を気にしているのか知ってはいたが、あえて言わないで置いたのだ。ジュノンはそれを理解しているがゆえに、一瞬口ごもる。
「……食べ終わったら、行ってみる」
「好きにしろ。十一時前にここを出れればそれでいいからな」
 焼きたてのバターロールを千切りながらライフガントルに言われ、ジュノンはぱっと顔を明るくした。反対されると思っていたのだ。
(ライフは連れて行くことに賛成してくれたのかな?)
 そう考えて大丈夫なのかと一瞬不安に思ったが、考えていても仕方がないので中断した。目の前には湯気立つ食事が並んでいるのだ。
(朝食を食べて、ロニテスの部屋を探して、それからでも遅くないか)
 時刻は七時半。出発までには十分な時間があった。


「ロニテス?」
 見つけた部屋の前で立ち尽くす。先ほどからノックをしているが、一向に返事はなかった。
 主人に聞いたロニテスの部屋は、宿屋の裏手にある離れの中にあった。他に主人の部屋や住み込み従業員の部屋があるようで、奥から二つ目の扉がロニテスのそれだった。
 光の差し込まない薄暗い廊下の奥で、ジュノンはむなしくもう一度ドアを叩いた。
「あれ、ロニー坊のお客さんかい?」
 ふと、声が響いた。慌てて離れの入口を見ると、茶髪の青年が立っていた。腰に白いエプロンをつけているから、恐らくは厨房の住み込み従業員だろう。
「あ、あの、ロニテス、どこ行ったか知りませんか?」
 やや挙動不審気味に問うと、青年はくすりと笑って外をさした。
「あいつ、バーテンが仕事だから昼間は専ら町に出てるか、それか……」
「それか?」
 ジュノンはロニテスと初めてであったときのことを思い出しながら続きを促した。確かにあの時、ロニテスは手ぶらでふらりと町に来たようだった。
(にしてもバーテン……)
 未成年なのに良いのかな、考えているのに気づかずに、青年はそのまま続けた。
「多分、町を少し出たところにある集団墓地にいってると思うよ」
「集団墓地?」
 どうして、聞く前に青年は穏やかに微笑むと、それじゃあこれで、言って部屋に入ってしまった。
「墓地……」
 とはいっても、ロニテスの両親はここにはいないはずだ。母親はなくなったと聞いたが、ここから遠い土地だったようだし、育ての親も聞いた話しによると遠い地で亡くしている。
「なんで、墓地?」
 首をかしげながら離れを出た。
 時刻は九時四十五分。
 出発まで、あと一時間十五分。


 コーヒーカップから立ち上る湯気を眺めていた。暖かな昼時。ジュノンはロニテスに会えただろうか、くだらないことを考える。
「わざわざ出向いていただいてすみません」
「いえ」
 メガネをかけた目の前の優男は、その父親と似ても似つかない。そして、自分を呼んだその父親本人は、先ほどから一向に顔を見せようとしていない。
 ライフガントルは苛立ちに気づかれぬよう、膝の上の拳に力を込めた。
「ライフガントルさんには、大変御世話になったと父が言っていました」
 優男は自分の目の前でゆったりと座りながら、コーヒーをすすった。その姿は優雅で、彼の父親の姿など微塵も感じさせない。
「いや、もっと早く駆けつけていたらあんなに被害が大きくなることもなかっただろう。それに、その前に連れが世話になったからな」
 ぼんやりと、服屋半壊の事件を思い出す。人獣との対決の後だと、あの事件が酷くなんでもなかったように感じる。 「それより、隊長殿は……?」
「ああ、すみません。もうすぐ着くと思います」
 母の墓参りが日課なんですよ、青年は穏やかに笑った。
 町を復旧しながら聞いた話しでは、ロニテスはこの家の厄介になっているようだった。それも、ひとり立ちして宿屋に住み込みで働くようになる前の話だそうだが。
(追放の件、だろうがな)
 わかりきった議題に、うんざりとする。面倒くさいと思う半面、昨夜のジュノンの言葉が耳から離れない。
(俺は何がしたいんだか)
 考えて、目の前のコーヒーを頂戴した。口の中で苦い風味がほんのりと広がって、思わず顔をしかめる。
「アラン」
 ふと、玄関から野太い声が響いた。アランと呼ばれた優男は、ライフガントルの渋い顔に眼もくれず立ち上がる。
「はいはい……あ、失礼しますね」
 一言声をかけて応接室を出て行くアランを見送って、ライフガントルは深い溜息をついた。
(考えることがありすぎる。何も考えられない)
 長い人生、そう思うことはいくらでもあった。
 それこそ自分は、アランやその父、スタンと比べれば相当の年月を生きているのだ。彼らより経験豊富で正しい判断をできると自負している面もあった。
(だが、今回のことばかりは……)
 経験だけではどうにもできない。ロニテスという人物を良く知るものでなければ、良い判断を下せるわけがなかった。  己は彼と会ってまだ数日足らずで、彼の何を知るわけでもなくて、何が好きだとか、何が得意だとか、そういう簡単なことすらも知らないことに気づく。
(結局駄目なのは俺じゃねぇか)
 軽い自己嫌悪。握っていた拳をゆっくり開いて、ゆっくりとした動作で顔を覆った。
「あー……駄目だ、こりゃ」
 口の中で呟いたのと同時に、応接室の扉が開いた。
 時刻は九時五十分。長い話の、始まりだった。


 そこは墓地とは思えないほど美しいところだった。色とりどりの花が咲き乱れ、ところどころに十字架が突き出ている。
 まるで古い遺跡や神殿の跡のようだとジュノンは思った。
 日の光を前面に浴びた花畑の墓地の中、その中心に彼はいた。
 一際小さな十字架に静かな祈りを捧げながら、光を浴びて。
「ロニ……」
 名前を呼ぼうとして、できない自分がいることに気がついた。

 あれ、おかしい。ロニテスを呼んで、一緒に行こうと声をかけなきゃ。

 けれど声は喉を震わせず、出たのは軽い吐息だけ。
 花畑で跪く彼はそれまで見ていた彼とはまるで別人だった。
 顔つきが変わったとかそういうことではない、全体から発せられる雰囲気そのものが違った。
 美しい、光景。
 小さな十字架に跪き、静かに祈りのメロディを口ずさみながら。
 群青色の髪の毛が、光で軽く反射した。

 しばらくそこで見惚れていた。
 時間が差し迫ってきていることも、世界が大変らしいことも全て忘れていた。
 ただただ、その時間が続けばいいとおもっていた。

 息 を す る の も 忘 れ る く ら い の 、

「ジュノン?」
 気づいたとき、ロニテスは立ち上がりこちらを見つめていた。
「あ……ロニテスを……探してて」
 思うように口が動かなかった。そう? ロニテスは首をかしげて、それだけ。
「あ、…………何、歌ってたの」
 僕達と旅に出よう、出発は十一時。言おうとしたことが全部空気に変わって出て行ってしまったようで、発せられた言葉は用意していたものとは全く違っていた。
 ロニテスは気にした風もなく、やや照れた笑いを浮かべながら近づいた。
「子守唄さ。ここに着たばかりの頃、よくメアリさんが歌ってくれて」
 あ、メアリさんって言うのは隊長の奥さんな、ロニテスは楽しげに微笑んだ。
「歌がすごく上手くてさ、その頃精神的にきつくて夜眠れなかった俺に、ホットミルクを飲ませながら歌ってくれたんだ。優しい音色で」
 話す彼は酷く優しい顔だった。ふと、ジュノンは気づく。
(じゃああの十字架は、その……)
 口を開いて問おうとして、しかし止めた。ロニテスがあまりにも優しく笑うものだから、あまりにも儚げに笑うものだから。
(野暮なことは聞くものじゃない)
 心の中にそっとしまっておけ、メアリという女のことも、ロニテスが消えていきそうだと思ったことも。
「優しい、人だったんだね」
 精一杯、そう口にすることしかできなかった。

 十時二十五分の出来事。


「ロニテスは、当時王属の兵をやめて帰郷している最中に拾った。その頃あいつはまだ八歳だった。八歳の子供が受けるには重過ぎる傷を負って、空腹で餓死寸前になっていたあいつを、俺が見つけた」
 話し出しは唐突だった。言われた言葉を良くかみ締めて飲み込みながら、ライフガントルは耳を傾けていた。
「気を失っていたあいつを俺の故郷であるこの町まで運んで、妻と看病した。目覚めたあいつは俺達を見るなり顔を真っ青にしてな、すぐさま出て行くといった。傷も癒えていない、魔物の襲来が起きている町の近辺を出歩くのは危険だ、何とか説得してここに留めたものの、それからしばらくあいつは一睡もせず、いつここを出たら良いかとそればかり聞いてきた」
 コーヒーをすする音が響いた。スタンの横で、彼の息子、アランが優雅にコーヒーを飲んでいる。聞きなれた話しのようだった。
 聞きなれたというよりは、当時の状況を思い出しているのだろうか。
「一週間程度そういうやり取りをして、あるとき魔物が住宅街まで押し寄せてきた。皆混乱していて、俺は妻に子供達をつれて逃げるよう言った。ロニテスは恐怖で震えていた」
 静かな沈黙が場を包む。コーヒーをすする音。窓の外で場違いな小鳥がかわいらしい声を上げた。
「俺は何人かと共に魔物に向かっていたから、詳しいことはわからない。ただ、ロニテスとアランを連れて逃げていた妻を、魔物が襲った。そして、二人の目の前で死んだ」
「そのときだそうだ。ロニテスが初めて感情を露にしたのは。妻を……メアリを殺した魔物に叫びながら突っ込んで行ったそうだ。そしてそのまま、不思議な力を使って魔物を倒してしまった。一頭倒すともう一頭、もう一頭。まるで魔物が憎いかのように、ロニテスは奇襲してきた魔物を殺した」
 その様子は俺も見ている、スタンは哀しげな声で言った。
 その巨体に似合わない震えた声だった。かたかたと体が震えている。アランが、空になったスタンのコーヒーカップにコーヒーを注いだ。
「初めて、ロニテスがメディアスだと知った。何故こんな小さな子供が、重たい運命を背負わなければならないのかと。それと同時に、俺達にはどうやってもあいつの苦しみや、悲しみを和らげることはできないと知った」
 注がれたコーヒーを一気に飲み干して、スタンは言葉を吐き出した。目に涙がたまっている様は異様だったが、ライフガントルは気にならなかった。
 続ける。
「あいつを本当の息子のように思っているのに、あいつは自分がメディアスだからと引け目を感じている。そして、メアリが死んだのは自分のせいだと。しかしどうしたって、俺やアランにはその間違いを正せない」
 お願いだ、頬に涙をつたらせながら、スタンはライフガントルを見た。力はないが勢いのあった行動に、思わずたじろぐ。
「お願いだ、あいつを、あの子を連れて行ってくれ。どこまでも孤独で、どこまでも哀しいあの子を」
 三度、沈黙が流れた。静かな空間。スタンの涙の落ちる音。ライフガントルは、静かに口を開いた。
「…………何故、俺達に?」
 問われたことはスタンに衝撃を与えたようだった。うなだれて少しの間考えてから、口を開く。
「……あいつと、あいつと同じものを持っていると感じたからだ。あいつの孤独や寂しさを、少しでもやわらげてくれると感じたからだ! 俺は異端能力者だろうがなんだろうが、差別する気は毛頭ない。だが、俺になくてあいつにあるものを、あんた達は持っていた……」
 呆けたように呟いた。
 小鳥の鳴き声が五月蝿い。風が窓をきしませた。

 気づいたら、頷いている自分がいた。

 十時五十分。スタンの家で。


 宿屋に戻ったジュノンはロニテスとライフガントルの帰りを待っていた。荷物をロニテスの部屋に移動させ、ライフガントルの代わりにチェックアウトは済ませていた。
「……ジュノン、聞いてくれるか?」
 沈黙が流れる彼の部屋の中で、ロニテスは静かに口を開いた。なんだろうとそちらを向く。
 そこにあの時、花畑の墓地で見たロニテスの顔があったから、ジュノンは一瞬どきりとした。
 小さく頷いて先を進める。ロニテスは柔らかく微笑んだ。
「俺さ、この町が好きだった。俺を受け入れてくれた、この町が好きだった。でも、心のどこかで、……いや、多分ずっと、町を出たかったんだ」
 何故?問う前にロニテスは続ける。
「俺がいるといつか必ず何か起こると、わかっていた。だからすぐに出て行こうとした。……結局、隊長やメアリさんに止められて、メアリさんがあんなことになっちまったし……罪滅ぼしの、つもりだったんだ」
 静かな声色は酷く落ち着いていた。その落ち着きが哀しくて、ジュノンは眼を伏せた。
「罪滅ぼしのつもりで、隊長が今の自衛団を作るって言ったとき、真っ先に手を上げた。すごく反対されたけど、俺は当然だと思っていたんだ」

 でも、それ自体が逃げだったのかもしれないな。

 小さく呟いた声は聞こえない。
「結局、ずるずるとこの町に残っちまって、こういうことが起きた。俺は逃げたかったんだ。自分の運命に。親と呼べる人は隊長と、名も知らぬ実の父親以外皆死んだ。俺を生んだ母さんも、育ててくれたあの人たちも、メアリさんも。……俺は俺のせいだと、認めたくなかったのかもしれない」
 乾いた笑い声が響いた。それがロニテスのものであると気づくのに数秒かかって、気づけなかったことに、彼がそんな笑い方をしていることに、酷く腹が立った。
 ロニテスは続ける。彼の独白を。
「ずっと、ずっと気になっていたことがあったんだ。俺はもしかしたら、どこかに留まらないほうがいいのかもしれないってこと。それと、あの時森の中でであった女の子のこと……」
 女の子、言われて思い出すまで数秒かかる。行き倒れそうになったロニテスの前に現れて、助けもせず話もせず、ただ道を示した少女。
 彼女が道を示すために現れたわけではないのだろうが、ロニテスにとってそういう存在だったのだろうとぼんやりと思う。
 しかしロニテスは歪んだ笑みを見せると、ジュノンが思ったこととは全く別の感情を吐露した。
 小さな嗚咽が響く。
「あの子に会って、お礼を言いたかった。そして一思いに殺して欲しかった。あの時俺は彼女を天使と思ってついていったんじゃない。そう、そう思ったわけじゃないんだ」
 己の掌を見つめながらロニテスは呟いた。
 酷く小さな声で、かすれた声で、恐怖で震えながら。

「俺はあの子が、俺を殺す死神に見えたんだ」

 その声は、泣いているように聞こえた。

 十時五十五分。ロニテスの部屋で。


 十一時。町の関所に三人はいた。
 それぞれがそれぞれの荷物を持ち、町の門を見上げる。
「ライフ、答えは」
 昨夜の続き、それは言わずともわかった。ロニテスを連れて行くか否か、その答えだ。
「イエスだ。こいつは連れて行く。……だがその前に」
 ふとライフガントルはロニテスを見た。一瞬身体を強張らせたロニテスだが、ライフガントルの瞳が思いのほか優しかったことに驚き目を見開く。
「……“親御”さんのところにちゃんと挨拶してきな。俺にお前を連れて行くよう説得させたのは、お前の親父さんだ」
 ジュノンは瞬時にあの巨漢、スタンのことを思い浮かべた。彼がどのようにしてライフガントルを納得させたのかわからなかったが、それは自分が聴くことではないと思った。
 ロニテスを盗み見る。彼はさらに驚いたようで、見開いた目をさらに大きくしていたが、やがてふわりと笑うと、荷物を置いて町の中に入っていった。
「さて、俺達はここで待ってるか」
 そうだね、言おうとして、ふと鞄の中の面が気になった。
 どうしてそう思ったのかわからない。ただ、面が笑っている気がする。かたかたとかすかに揺れる鞄。
 笑っている。そう確かに認識したとき、ジュノンは衝動的に面を捨てたくなった。
(でもライフがいるところじゃ捨てられないや)
 どうしよう、考えて、そういえば彼に次の行き先を聞いていなかったことを思いつく。この方角からだと、森の中にある駅を目指して、駅からレイニータウンだろうか。
「そういえばライフ、次はどこに行くの?」
「ん? ……行ってなかったか。俺達はこれから、線路沿いに進みながら王都を目指す。だから次は、レイニータウンだな」
 涙の町か、呟くライフガントルを尻目に、ジュノンは予想通りの答えにほくそえんだ。
(だったら、ばれずに捨てることができるかもしれない)
 心の中で駅まで行く理由をありったけ考えて、ジュノンは再び口を開いた。
「なら、僕、先に駅に向かってていい? 駅ってあそこの森の中でしょ、ロニテスが戻ってくる頃には戻ってこれるから」
「? ……なんでだ? 用もないなら一緒に行った方が良い」
 考えた理由はやはりライフガントルには通じず。あっけなく撃沈したジュノンはさてどうしようと考える。
(どうしても先に駅に行きたい、それだけじゃ駄目だろうしなぁ……)
 ゆっくりと考えて、そうだ、思いつく。
「あ、トイレ」
 ちょっと行ってくる、声をかけてライフガントルが頷くのを見てから、ジュノンは再び関所を抜け町の中に入った。


 出発する予定だったのは東側関所だった。そして、東側関所から一番近い関所は北側関所だ。
 トイレに行くフリをして一度町の中に入ってしまえば、住宅区を通り抜け北側関所まで五分程度で到着できた。
 メディアスは通常よりも身体能力を高めることができる。ジュノンは精神統一しながら足に力を込め、いつもの倍程度の速さで北側関所を駆け抜けた。
 草原に囲まれるダキリアだが、東側関所の側から町を出ると、離れたところに森があるのが見える。ダキリア駅から続く線路が森に続いているのだ。
 もっとも、ダキリアまでは各駅で止まる汽車もダキリア発だと王都直通しか通っていない。メディアス集めに次の街へ進むには、どうしたって森の中に設置された無人駅に行くしか手はなかった。
 俊足で走れば森までの距離は近い。十分足らずで辿り着いたジュノンは、すぐに見えた無人駅には入らず、より奥へ進んだ。
 川の流れる音を頼りに、見つけたらその川へ捨てようと決意する。
 いつでも捨てられるように、鞄の中から狼面を取り出した。面は朝いれたときとなんら変わりはなかったが、光を鈍く反射したその光り方が、それまでと一瞬ちがくてどきりとする。

 面が、笑っている、気が、する。

 一瞬目の前に黒い髪の毛が見えた気がした。闇色の光。小さな悲鳴。
 続けて溢れてくる感情に押しつぶされそうになり、思わず眼をつぶる。

 返して
 返して
 返して、僕の、ボクの、ボクノ ……

 小さな物音ではっとした。
 一瞬見えたあれはなんだったんだろう、聞こえた声はなんだったんだろう、考えるまもなく振り返る。――面を、後ろ手に隠して。
「あ……女の子?」
 振り返ってそこにいたのは、長い黒髪を風になびかせる少女だった。闇色の深い瞳が、先ほどの映像を思い出させる。
 少女は笑いもせず、怒りもせず、ひどく無感情な声色で答えた。
「女が一人で森にいることがそんなにおかしいか」
「いや、そういうわけじゃ……」
 言われたないように、言い方が失礼だったと気づく。あわてて否定するが少女はふいと横を向いただけだった。
「……一人?」
 聞くと、少女は目だけでこちらを見る。答えない。ジュノンは狼面をどうすることもできなくて、後ろ手に開いている鞄の中に押し込めた。
「どこに行くの? あ、僕は……レイニータウンに行くんだけど」
 少女はなおも黙り続けていた。
 変な子だな、思いながら、しかし少女がたった一人で森にいることに疑問を抱く。
(昔は兎も角、今は魔物も肉食動物も増えて危ないのに)
 特に森などはそうだ。稀に草原に出没する動物もいるようだが、そういう動物は自然区域に押し込まれている。
「ねえ、良かったら一緒に……」
 行かない、聞こうとして、それは遠くの声でさえぎられた。
 聞きなれた声が自分を呼んでいる。
 ああ、しまった。無断でここまで来たことを忘れていた、長居しすぎたことを後悔しながら、声のしたほうに手を振りながら声を返す。
「ライフー、ここー! 勝手に来てごめんー!」
 さてどうやって言い訳しよう、考えながらそこにいる少女に声をかけた。
「僕の連れだよ、一緒に行けるか……って、あれ?」
 振り返るとそこには誰もいなかった。風が一陣通り過ぎる。少女がいた痕跡は、跡形もなく消えていた。
「どうして勝手に行ったりしたんだ! 心配しただろうが!」
 怒りを露にしながらライフガントルが現れた。後ろにすっきりとした顔のロニテスもいる。
「いや、ごめん……」
 しかしジュノンの視線は少女のいた場所から離れることはなかった。
 不思議そうにロニテスが問いかける。
「そこになんかあんのか?」
 いや、首を振ったと同時に遠くのほうで音がした。
 上記を噴出す独特の低い音程。全員がはっとした。
「汽車だ! 急げ、乗り遅れるぞ!」
 先陣を切ってライフガントルが走り出す。ロニテスは動かないジュノンをちらりと見たが、しかしすぐさまライフガントルに続いた。
 ジュノンは森の奥を見つめていた。

(彼女は、もしかしたら……)

 そんな偶然あるはずない。
 期待するな、期待するな。
 しかしそう思わずにはいられなかった。
 汽笛の音が、再び森に響き渡る。

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