dark side

「遅かったじゃないか」
 凛とした声が響いた。振り返ると憎い顔。見たくなくて窓を見る。
「風の魔人が中々使い物にならなかったもので」
 窓の外はひたすらに暗い。星の光すら届かない暗闇の中を見つめながら、背後でする笑いに顔をしかめた。
「そんな事言って、できもしない命令を下すからだよ。僕の大切な手駒を無駄使いしてくれた癖に」
 声はひどく愉快そうだった。仕方なく振り返る。
 見えたのは、深い海のような群青の髪。整った顔つきで目を細めたその人は、嬉しそうに口を歪める。
「元々、貴方の手駒ですらないでしょう、あの程度の雑魚は」
 溜息をついて答えると、そうだね、簡潔な返事が返ってくる。この場所が、嫌いだった。
 部屋は光で溢れている。それこそ、外の闇を照らすように。しかし空気はひどく重たかった。中心におかれた、背もたれの高い玉座に足を組んで座る、その人。広い円形の室内で、彼との距離がいくら離れていても、自分はどこか威圧されていると感じていた。
「ところで、面をおいてきたんだってね」
 思いついたようにその人は言った。目を薄く、薄くして、何かを企むような視線で。
「ええ、まあ」
 曖昧に答えるとその人はとても面白そうに笑う。
「新しいの、いる?」
 言われた言葉はしかし選択肢など持っていなかった。なぜならそれは義務だから。
 彼が自分達を離さない為の、束縛するための。
「いただけるのなら」
 恭しく礼をする。儀礼的な動作にいつしか反感すら抱かなくなっていた。
 暗い、きもち。
「光の悪魔―――またの名を狼面の死神。いや、今はシェイと、そう呼んだほうがいいかな?」
 気がつくとその人は目の前にいた。
 名前を呼びながら、幾つも幾つも呼びながら、気がつくと目の前に。
 悪寒が、走る。
「何で、面を、あげたの、かな?」
 ひどく、ひどく愉快そうに。


「狼が面を置いてきたらしい、聞きました?」
 丁寧な女性の声が響いた。甲高いソプラノの、しかしきれいな声だった。
「いや、まだだ。あのバカは、そんなことをしていたのか……」
 暗闇の中、一本の蝋燭を頼りに別の声が答える。ややアルトの、少女にしては低すぎて、少年にしては高すぎる声色だった。
「それも、例の二人組……もう三人になったのだったっけ? 彼らに宛てたそう」
 ぼんやりと見える蝋燭の光で、ソプラノの声の持ち主がひっそりと浮かび上がる。明るい茶髪の長髪をゆらゆらと揺らす、大人びた少女。
「そう……いや」
 アルトの声は応えた。闇にまぎれてその顔はわからない。しかし少女がやや困惑していることがわかり、ソプラノの声が嬉しそうに声を出す。
「ねえ」
「…………なんだ?」
 面倒くさそうに、いやそうに、そんな感じでアルトの声が響いた。ゆっくりとした間。それはひどく心地悪かった。

「どうしてだと思いまして?」

「それは……―――」
 言われたことにアルトの声は口ごもった。動揺の色が見えるのが面白いのか、ソプラノはなおも話し続ける。
「面を置くのは、わたくし達にとって果たし状のようなもの。次の標的はお前だ、必ず己が殺してやるという意思表示。……ねえ、どうしてそのようなことをしたと思いまして?」
 アルトの声が一瞬息を呑んで、しかし次に出た言葉はひどく冷静だった。
「猫、静かにしろ。それ以上先を話すと、明日はない」
 端的に発した言葉は、ソプラノの少女の危機を十二分に表現していた。はっとしたソプラノは、突然声を落として小声で。
「狐面の天使、貴方、もう少し愛想を持ったほうがよろしくてよ」
 ふ、と息が吹きかけられる音がして、蝋燭の火が消えた。
 残ったのは黙したままのアルトの少女、薄れることのない暗闇だけ。


 夢を見た。
 ひどくひどく哀しい夢。

 辺りは暗闇に包まれていた。
 望なんて何もなくて、願いなんて通用しなくて。
 希望、そんな言葉どこにあるの。
 平等なんて誰が言ったの。

 とても懐かしくて、
 ひどく不快な、

 夢を見た。


 夢の中で少女が叫んでいた。あれは誰だろう。
 肩ほどまでの黒髪を振り乱して、涙を流しながら。
 その細い腕は大人たちに押さえられている。何人も何人も、男の大人たちによって。
 少女は泣き叫んで抵抗していた。

 ヤメテヤメテ、
 ソレヲ持ツノハ 哀シスギル
 ソレヲ宿スノハ 悲シスギル
 アナタタチノ 汚イトコロヲ
 私ハモウ 見タクハナイノニ

 ヤメテ、ヤメテ、
 ソレヲ それを ソレを それヲ


 私ノ中ニ 入レナイデ


 悲痛な声は音でなく振動として周りを震わせた。白衣を着た一人の男が進み出る。笑みを浮かべて、しかし目は笑っていなかった。

――ダイジョウブダヨ、ナニモカモウマクイク

 そんな台詞を吐きながら、手にしているは青白く光る一本の短刀。
 ああ、やめて、
 思わず口に出して、目をつぶろうとしてつぶれない。

 ああ、だめだ。

 白衣の男が手を振り上げた。握り締めた短刀がますます光を強くする。
 まるで少女を欲しているかのように。少女の中に入りたがっているかのように。

――サヨナラ、それまでのアタシ

 青白い光が、ますます強く光り輝いた。

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