11. each expectations 2

 ライフガントルとシューはロニテス・シャーレペアとは逆方向に歩きだしていた。背後にいるだろうジュノンがもうほとんど見えなくなるまで歩いてから、ライフガントルが小さなため息をつく。彼の足が不意に立ち止まったのを見て、シューはそこで屈みこんだ。何もない草原と言っても、よくよく見ればたまに種類の違う、「雑草ではない草」が生えている。中には毒草もあったりするが、それと同じくらいの割合で、食用草も生えているのをシューは知っていた。図鑑や以前実際に見たことのある草の姿を探していると、立ったままのライフガントルが低く唸るようにして声を出した。
「シュー」
 その声は誰にも聞かれまいとするかのような、ひっそりとしたものを持っていた。背の低い草を指でいじっていたのを止めて、思わず顔を上げる。
「何、兄貴」
 自分だけの彼への呼び名で呼ぶと、彼は背を向けていたのをやめてこちらを向いた。その顔は苦虫を噛み潰したときよりもしかめられていて、一瞬ぎょっとする。
「いつからだ?」
 唐突に聞かれた内容に、シューは初め何を言われたのかわからなかった。困惑して彼の瞳を見つめ返すと、彼の顔はますますしかめられる。そんなに顔をしかめたら、そのままの顔で固まってしまうんじゃないかとぼんやりと思った。
「お前の体。……いつから悪くなってる」
 そこまで言われて、ようやく彼の言わんとしていることに気がついた。なんだ知っていたのか、と、知られていたのか、と、奇妙な気分になる。泣きだしたいような笑いだしたいような、怒鳴り散らして叫びたいような、そんな気分。
「……知ってたんだ?」
「まあ、な」
 いつから、とぶっきらぼうに問うと、そこで初めてライフガントルはしかめた顔を別の意味でゆがめた。気まずそうな、明らかにばつが悪そうな顔をして、ぼそぼそと聞きとりづらい声で告げる。
「最初にそうかなと思ったのは……レイニータウンに入る前、お前がジュノンに資格があるかどうか確かめていた時だ。それから、街に入ってから、お前も俺達と一緒に泊まるって言った時。最終的に確信したのは、街の崩壊が始まってから、お前が帰ってきたときだな」
 言われたことに思い当ることがあって、シューはそうか、と一言だけ返して黙り込んだ。
「……もっとも、最後にあった時からずいぶん“色がなくなっていた”から、本当は会ってすぐに気付いてたのかもしれない。……そうは、認めたくなかっただけで」
 ライフガントルはそう言うと、自分もしゃがみこんだ。丁度シューと目線が合う位置、真正面。
「……兄貴」
 ライフガントルがゆがめた顔を一向に戻す気配がないので、シューは軽く溜息をついて彼を見据えた。大きな瞳を彼のそれに向けて、恐怖を押し隠すように言う。
「俺がそろそろ……そろそろ、死んでしまうだろうってのは、仕方ないことなんだ」
 その言葉を口にするとライフガントルがはっと息をのんだ。真剣な目がシューをじっと見つめている。彼だって知っていたはずだ。
「兄貴も知ってるだろう、守人の一族の特殊な力。……その力が、一族の人間でさえ制御できないものだってこと」
 シューは心なし、“人間”と言う言葉を強調して言った。そう、自分は、人間では、ない。
「俺は人間でも魔法使いでもない。確かに魔法使い特有……つっても魔法使い自体が兄貴と母さんとポポルさんしかいないから、そう言えるのかわからないけど……丈夫な体と長い寿命は持ってる」
 シューはそこで言葉を区切った。視線をライフガントルから外し下の方、下の方へと下げながら、なんと言えばいいのか考えながら話しているようだった。
「でも、結局、俺は魔力も持ってないし、かといってちゃんとした体ってわけでもないし……中途半端な存在なんだ。だから、影響を受けやすい」
「そんなこと……」
「あるんだよ、兄貴。幻術の力ってのは、そういうもんだ」
 シューは下を向いたまま低く言った。もう、ライフガントルの顔を正面から見ることができない。
「加えて俺の持ってる幻術は、他の奴より少し強いんだ。それは、父さんからの遺伝なのか、俺が魔法使いと人間のハーフだからなのか、わからない。ただ、そのせいで俺の寿命は大幅に減った」
 吐き捨てるように言うと、声を上げて笑いだしたくなった。こんなことになったのも、政府に守人一族に戻るようにと言われたからだ。……幻術の力は、使わなければなんの害もない。ライフガントルはシューの言葉にますます顔をゆがめたようだった。小さな低い声で「すまん」と聞こえて、思わず顔を上げる。
「謝んなよ!!」
 そのまま叫んだ。どうしようもない怒りがシューの中を駆け巡る。なんだって、そんな。
「謝るなよ……」
 なんだってそんな、自分が悪いみたいな言い方で謝るのだろう、目の前の彼は。
 ライフガントルが政府の言いなりであることは、シューは勿論魔法使いと関係のある人間なら誰だって知っていた。それは彼が“最初の魔法使い”であるがために、他に居場所を見つけられなかったからだとシューは思っている。彼の出身はヒルベスト一族だが、本家と分家にわかれているあの一族は、メディアス以外には全く興味がない。ライフガントルがメディアスでも何でもない“普通の”異端児だとわかった時、彼らはライフガントルに対する興味を失くした。長い間生きているから、今でこそライフガントルの力は一族や政府にだって影響を及ぼすものになっているけれど、そこに至るまでに彼がどんな目に遭ってきたか、“似て非なる存在”であるシューにはよくわかった。
 ライフガントルは、政府以外のどこにも居場所を見つけられない。なぜなら、人間は皆彼よりも先に旅立ってしまうから。
「だが、俺が……」
 ライフガントルはシューの叫びに戸惑ったように目を伏せた。それまでじっと自分を見つめていた視線が外されて、初めてシューは自分が怖かったのだと知った。このまま死んでしまえば、もう二度と自分が彼の視界の中に映ることはない。彼だけじゃない、もう、誰の目の中に入ることもないのだ。
「俺が一族に戻ることを勧めたのが兄貴だっていうのは、知ってるよ」
 彼の言わんとしていることがわかって、だからこそ先に言ってしまう。彼の口からこの言葉を出させたら、きっと彼はこの先気が遠くなるほど長い生の中で、幾度も幾度も今日のことを思い出し、自分を責めてしまうような気がしたから。
「兄貴が、どこかに属することに執着を持ってるのは知ってるよ。孤独を好んでるふりして、常に居場所を探していることを知ってるよ」
 言うと、彼は僅かに目を見開いた。どうして、声の漏れなかった口の動きでそう確認して、シューは力なく微笑んだ。
「だから、俺が一族に戻りたがってたこと、見抜いてくれたんだろ」
 ああ、そうだ、シューは思う。いい加減認めなくてはならない。あの一族は数日前自分が言ったように、確かに汚れてしまっていた。誰も信じない、メリットさえあれば何でもやる、汚い一族。だけど確かに、確かに自分はあそこに戻りたがっていたんだ。

 誰かに、自分の存在を認めてもらいたかったんだ。


 ルノーテ・ルミノスタは生まれた時から一人ぼっちだった。
 自分が生まれるとうの昔に死んだ父、多忙でほとんど家に帰らない母。自分の世話をしてくれた人は一週間ごとに変わってしまって、幼いころの友人と言えば本と亡き父の書斎にある不思議な機械だけだった。
 本は絶対に裏切らないと、ルノーテは知っていた。自分を世話してくれる「家政婦」達は皆、自分の目を見て話さない。それどころか、自分と会話しようと言う気すらないみたい。いったいどうやって自分は言葉を覚えたのだろうかと、ルノーテは今でも不思議に思う。けれど本は、決して自分から目をそらさない。口を閉じない。膨大な情報をただひたすらルノーテに与えてくれるだけで、その情報がたとえ嘘であったとしても、ルノーテは自分を“理解してくれている”存在は本だけだと知っていた。
 ルノーテは父の顔を知らない。見ようと思ったことすらなかった。自分の世界には顔もぼんやりとしか浮かばない母と、本と、たまに来る「自分と同じもの」であるらしい青年くらい。
 青年は「ライフガントル」と名乗って母よりはたくさんルノーテの元を訪れたが、それでもルノーテを見るたびにどう接すればいいのかわかりかねたような、困った笑みを浮かべている。

 すべてがあいまいな世界だった。ぼんやりとした世界だった。そしてそれが「一人」の世界なのだと信じていた。

 本を読むことと機械をいじること以外に何の興味も関心も示さないルノーテが、唯一大好きだったのは自分の名前だった。その名を呼ばれるとたまに帰ってくる母とのつながりを確かに感じる。母に愛されていると、また、自分も母を愛しているのだと感じる。普段はぼんやりとしか浮かばない彼女の顔も、自分の名前を呼ばれるたびに実物がそこにあるかのように鮮明になった。名前の魔力は絶大だった。
 だからルノーテは、ある年に達するまで自分のことを「僕」でも「俺」でもなく「ルノーテ」と呼んでいた。生まれた時から一人だったはずなのに、ルノーテは自分が執拗に誰かとの……母との繋がりを求めていることに気付かなかった。どうやら父親に瓜二つなほどそっくりらしい自分の容姿は、母の面影など何もない。名前だけが、彼女との繋がりだった。

 そしてそう思うのは彼女も同じなのだと、そう、信じていた。

 何が理由だったのか、どういう経緯だったのか。ふと、久しぶりに会った母に名前の由来を聞いたことがある。彼女は少しばつの悪そうな顔をして、苦笑を浮かべながら言った。
「ルノの名前の由来、ねえ。あのね、あんたももうこんなことで拗ねるような年じゃないから言うんだけど、実は私、私の体に赤ちゃんができるって、全然思ってなかったのよね。ホラ、私って人間じゃないでしょう? だから、妊娠できないものだと諦めてたの。あの人も死んじゃったし、だからルノができた時は嬉しかったわ」
 表情と言葉とが噛み合わなくて、ルノーテは何度か瞬きをした。彼女は続ける。
「でね、この子はもしかしたらあの人の生まれ変わりなんじゃないかって思ったの。名前を考えるのを忘れていたって言うのもああるんだけど、だから、あんたの名前はあんたの父さんの名前なのよ」
 ルノはあの人に瓜二つだし、もしかしたらもしかするのかもね。
 彼女はそう言って、最後に優しい微笑みを浮かべた。その瞬間、


「シュー?」
 声をかけられてはっとする。ずいぶんと昔の記憶が脳裏にちらついていた。あの時の苦い思いが離れない。
 大丈夫か、と続けるライフガントルに、シューは緩く首を振った。力なく両手を地面に置いて、地面を這う蟻を見つめる。群れで生息し女王蟻と働き蟻の区別しかない彼らは、きっと「独り」になることもないに違いない。
「とにかく、俺は感謝してるんだよ、兄貴」
 弱った声で呟くように言うと、彼は「そうはみえないが」と口ごもってから、ゆっくりとシューの頭に手を乗せた。普段の彼らしくない、やさしい手つきで頭をなでる。
「……どんなにお前があそこに戻りたがっていたとしても、その結果“こう”なるだろうことはあの時点ではっきり分かっていたことなんだ。……それなのに、とめるべきだったのに俺は、」
 悔しげに吐かれるライフガントルの言葉が胸に突き刺さる。聞いていたくない、何も言わないでほしい。緩く頭を振って彼を見上げた。
「どんなに兄貴が俺を止めてたとしても、俺はあそこに戻ってたよ。……じゃなきゃ、別のところが壊れてたんだ」
 ゆっくりと瞼を閉じて思い起こす。あの時の、あの頃の自分はボロボロだった。そしてそれを救ったのは、まぎれもなくライフガントル、彼なのだ。
「あの頃の俺は……母さんや皆が、俺を通して父さんを見ているんじゃないかって、随分不安定だった。名前を変えたのもそのせいだ。あんなに本名が好きだったのに、父さんの名前だっていうだけで、すべてが信じられなくなった。母さんはよく言ったよ、俺は父さんの生まれ変わりだって。だからかな、本名で呼ばれるたびに感じていた母さんへの愛情とか母さんからの愛情とかが、全部“俺じゃなくて父さんが感じているんじゃないか”って思うようになった。俺の中の俺であるスペースがどんどんどんどんなくなっていって、名前を呼んで俺の存在を確認したいのに、それが酷く苦痛だった」
 ライフガントルが緩く頷いたのを気配で感じ、シューは続けた。
「ただ誰かに認めてほしかった。俺が俺であることを認めてほしかった。あの時期俺が感じた中で、唯一俺を俺として認めてくれたのは守人の一族だけだったんだ」
 そう言って小さく溜息をついて、皮肉だよな、と口の中だけで呟いた。その言葉をライフガントルが聞いていたかどうかはわからない。
「彼らは仲間内でさえ信じることをしない。それって、はじめからそいつをそいつ自身として見ているってことなんだ。父親が一族の出身だからって、彼らが俺に気を許すことはなかった。父は違ったかもしれないけれど、俺はどうかわからない。信用しないことで彼らは俺を認めてくれた。……“俺”が“俺”である居場所を作ってくれた」
 結局、ダメになってしまったけれど。
 シューは頭をなでていたライフガントルの手を払い、ゆっくりと空を見上げた。どこまでも大きい空。視界の端でライフガントルがようやくゆがめた表情を元に戻したのが見え、思わずにやりと笑ってしまう。
「皮肉なもんだが、彼らの中にいることで俺はようやく“俺”を取り戻せたんだよ。彼らとやり方は合わなかったかもしれないけど、俺は彼らが好きだよ。……だから、兄貴には感謝してる」

 ありがとう。

 ふと、思う。今の感謝の気持ちは本当に自分のものなのだろうかと。もしかしたら自分を心配していた父親が、シューの口を借りて言った言葉かもしれなかった。でも、昔のようにだからと言ってそこに固執することはもうない。自分は自分であって、父が父であったことをとうに理解したからだ。守人の一族の中にはもちろん父のことを知る者も大勢いたが、それと同じくらい、父を知らずに自分を部外者だと言っていたものも大勢いた。
(はじかれることで中に入れてもらってたなんて)
 矛盾してる、そう、矛盾していた。自分は矛盾している。違う、世界の何もかもが矛盾していた。
 生きているのに居場所を持てなかった自分、死んでいるのにそこに居座り続けた父。それはどれほど違うことだろうか。どれほども違わない。同じなんだ、結局。
 自分と父は似ていた、生と死の違いはあれど、確かにあの頃自分は“ここ”にはいなくて、それなのに父は“ここ”にいたのだ。
 居場所を見つけ、死に場所を探し求める今だからこそ、そのことに幸福を感じることができるけれど。

「ありがとう」

 もう一度囁くように言った言葉は、果たしてライフガントルへ向けたものだったのか。
 果てまで続く地面の上で、蟻たちは行列をなして地面を這い進んでいた。彼らの一匹一匹が、真に目的地を知っているかどうか、もはやシューにはわからなかった。

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