11. each expectations 1

 それから一行はのんびりとロコモラを目指しはじめた。
 と言っても、ロコモラ自体はもっとずっと先にあったし、その途中に町や村もなかったため、駅なんてものも見当たらない。線路はただまっすぐ西を指していて、旅はいつの間にか歩きのものへと変わってしまっていた。
「しっかし、これだけ何もない場所だと相当目立ってるんだろうな、俺達」
 ゆっくりとした足取りで進むライフガントルに続きながら、ロニテスがぼんやりと呟いた。確かに、森からもだいぶ離れてしまった今は周囲になにもなく、上空から見れば彼らの位置はすぐにわかるだろう。右も左も草原しか広がらない世界に、しかしシャーレは不安を微塵も見せずに笑った。
「敵の遭遇を心配してるのか?」
「いや、まあ……そうだけど」
「大丈夫だろ、これだけ何もないんだ、敵が現れたら遠くでも私が見つける。……隠れる場所がないのは向こうも同じだからな」
 にやりとして笑った彼女に、ロニテスは曖昧に頷いた。レイニータウンの森を出てからすでに三日たっているが、ロニテスはシャーレに苦手意識を持っているようだ。それはジュノンから見ても明らかで、ライフガントルに至ってはにやにやと微笑みながら(しかし例の悪人面だ)「若いねえ」と茶化している。ジュノンは、ロニテスが彼女に苦手意識を持つのは、例の女の子の記憶からなんじゃないだろうかと考えた。
(もしかして、いや、僕も一番初めにダキリア近くの森でシャーレに会った時思ったけど……シャーレのことを、昔みた“死神の女の子”だと思ってるんじゃないかな?)
 そしてそれは真実のように思われた。ロニテスが例の女の子に酷く執着しているのは事情を知っているものが見れば明らかだったし、ロニテスが話していた容姿の特徴と合致するところもあった。……ただし、その特徴と言うのは「肩まで」の「きれいな黒髪」で「まっすぐな瞳」を持っている、と言うたったの(しかもあいまいな)三点だけだったが。
 一方でシューとシャーレの関係は良好だ。シューはマスクをしていた時はひどく大人しそうな雰囲気を持っていたが、実際に話して見るとそう言うわけでもなく、マイペースなシャーレと波長が合うらしかった。男ばかりのメンバーの中で唯一の少女であるのがシャーレだったが、シャーレはそんなことを微塵も思わせない戦いぶりを発揮する。戦闘は苦手、というシューは彼女のそんなところにも憧れるのだろう、いつの間にか、彼女のことを「姐さん」と呼んでいて、初めて彼がそう呼んだとき、彼とシャーレを除いた三人は腹がよじれるほど爆笑した。
「しかし、今日の食料調達も長引きそうだな……」
 空を見上げてぽつりとシャーレが言った。
 というのも、この草原には動物もモンスターもいない。レイニータウンの食堂から拝借した食料はまだ残っていたが、できるだけ(食べ物がもつ限り)残しておこう、と言うことになり、一行は食料をその場で得ることにしていた。となると、一番いい標的は普通の動物なのだが、この草原は動物がすみにくい環境らしく、三日間通して遭遇率はゼロだ。代わりにモンスター(草の根に紛れてしまうような、小型のものだが)を探してみたりもしたのだが、遭遇できるのは酷く稀だった。
 ぐう、となったのは誰の腹の虫か。全員が一斉に自分の腹を見つめて、誰からともなく口にした。
「……そろそろ、食料に手、つける?」
 しかしそれにライフガントルは強く首を振る。線路はどこまでも続いているのだ、ここで食べ物を失くしてしまうと、本格的に餓死するかもしれない。
「……テント、張るか。一度大量に肉を調達しといたほうがいいかもしれん。今日は食料調達の日にするぞ!」
 代わりにライフガントルは大声で言った。ジュノンとロニテスは互いに顔を見合わせ、シャーレはパチリと一度瞬きをして、シューだけが「そうだね」と賛成の声を上げる。しかしライフガントルは全員の行動を賛成ととったようだった。にまりと笑って、レイニータウンの時でも使った黄色いテントを引っ張りだすと、傍にいたロニテスに無理やり端を持たせた。
「シャーレも自分の、張れよ」
 言って、テントを広げはじめる。ロニテスが慌ててそれに倣った。
 全員で同じテントに寝たのはレイニータウンが沈んだあの夜だけで、そのあとからシャーレは自身のテントを広げていた。それは勿論シャーレがただ一人の少女……女性であることも大きな理由だが、それよりももっと大きな理由があった。彼女の寝相である。
 シャーレ自身は気づいていないようだが、彼女の寝相は単に悪いというものではなかった。あの夜、ジュノンがそっと抜けだした頃はまだ普通に寝ていたが、その後彼がテントに戻った時、彼女はロニテスを羽交い絞めにしていた。ロニテスは半分意識を失っていて、シューもライフガントルも気づいた様子はない。あわてたジュノンは悲鳴にも似た叫びをあげてロニテス救出に乗り出したのだが、騒ぎとなってもシャーレは一切目覚めなかった。力づくでライフガントルが彼女の腕を緩めようとしても、(どこからそんな力が出ているのかしれないが)少し弱まる程度で離れることはなく、シューが幻術を使ってみても、寝ている人間に幻術は効かず。なんとか連係プレーでロニテスを救出したとき、夜はもう明けていた。
 そんなわけで、それからシャーレはひとり自分のテントを張って眠っている。
 何とかテントを張り終えると、ライフガントルは全員を集めた。隣り合わせで張った黄色と黒のテントの前に簡単な焚火の準備をすると、ゆっくりとした動作で口を開いた。
「これより、肉調達班と食用草調達班に分けたいとおもう」
 無駄に重々しい雰囲気を放ちながら発せられた言葉に、シューがごくりと唾をのんだ。彼はこういうところのノリがいい。
「荷物番兼全員への情報伝達がかりとして、一人、残そうと思うんだが」
 誰がいいと思う、ライフガントルがそうつづける前に、ジュノンは自分に視線が集まったのを感じた。
 じっと、ロニテスもシューもシャーレでさえもジュノンを見つめていた。ジュノンは嫌な汗が背中を垂れるのを感じる。この展開はもしかしなくても?
「じゃ、ジュノンだな」
 やっぱりそうだった。
 最近は戦闘が少ないから、ジュノンとしては体がなまってしまって、できれば運動したいのだけれど。
「食用草の種類がわかる奴、いるか?」
 しかしライフガントルはジュノンが反対する前に次の言葉を繰り出していた。手を挙げたのはシューとシャーレの二人。
「シャーレはできれば戦闘に回ってもらいたいから、シューと俺が食用草な。シャーレとロニテス、できるだけ多くの魔物を狩ってこいよ」
 さっさと班わけを決めてしまうと、ライフガントルはようやくジュノンの方を向いた。むくれたままのジュノンを見て軽く溜息をつきながら、腰に下げたポーチから何かを取り出した。
「ジュノン、これ持ってろ。今回のは三界力を込めれば俺以外の声でも全員のイヤリングに伝わるようになってるから」
 差し出されたのは、以前ダキリアで受け取ったのと同じようなイヤリングだった。紫色の宝石がついたイヤリングと、それまで自分がつけていたイヤリングとを付け替える。ライフガントルは同じように全員にイヤリングを渡した。
ライフガントルは昔から自身の特殊な魔力を使って道具(それを彼は魔具と呼んだ)を作ることが趣味になっている。そのことはジュノンも知っていたし、その魔具のおかげで助かったことが結構あるので重宝しているつもりだ。しかし、改良版らしい今回のイヤリング。ジュノンはライフガントルが手を加え直しているところを見ていない。いったいいつの間に作ったんだろうと思いながら、ぼんやりと耳についたイヤリングを触った。
「じゃあ、日没にテントに集合すること。ジュノン、万が一何かあった時は、イヤリングで助けを呼べよ。お前ら、ジュノンから連絡があったらいったん引き揚げて集合すること」
 おー、と、全員が力なく頷いた。行動開始、というライフガントルの掛け声とともに、四人はそれぞれ動き出した。
 ジュノンはひとりやることがなくなってしまい、どうしようかと逡巡する。結局、テントのそばに座ってぼんやりと空を見上げた。
 大きな雲が、ジュノン達の上空を通り過ぎていった。


 ロニテスはすっかり動揺していた。ちらりと隣を歩くシャーレを見る。彼女が仲間になってから、ロニテスはどうも居心地が悪かった。
「このあたりに生息しているのは草に紛れてしまうような小型のものばかりだったな。いっそ全面焼いてしまえば楽なんだろうけど」
 シャーレが物騒なことを呟いても、ロニテスは曖昧に笑うしかできない。彼女を前にすると、体中の筋肉が硬直して思うように動かなかった。
「ロニテス」
 不意にシャーレが声を出す。隣を歩いていたロニテスは硬直していた体をさらにびくりと強張らせ、ぎこちなくシャーレを見た。
「……何?」
 なんてぶっきらぼうな言い方だろう、思ったが、シャーレの表情は変わらない。相変わらずつまらなさそうな、何にも興味がなさそうな、無表情にも似た顔で、じっとロニテスを見つめていた。
「君が私の何に対してそんなに怯えているのかわからないが、二人きりだからと言って取って食うことはないと思うぞ」
 見詰めたまま、呟くように彼女は言った。一瞬、何を言われたのかよくわからなくて、ロニテスはぽかんとシャーレの口元を眺めていた。聞こえた声はよく注意しないとわからないくらいごく僅かに、けれど確かに震えていなかったか? それが意味することをよく理解できなくて、否、理解できてはいるのだけど、それを言葉にして反応を返すまでに至っておらず、言葉のない空気を出すためだけに口は何度か開いたり閉じたりを繰り返した。
「……今、なんて」
「いや、いい」
 やっとの思いで問い返すと、彼女はさっと視線を外す。その瞬間から、すでに意識は今日の獲物に向かったようで、後は何の変化も見せない。ロニテスは戸惑った。さっき、確かに、ごく僅かだけれど、声が、震えていた、のに。
「……怯えてる?」
 俺が。
 小さく小さく吐きだした声はシャーレに聞こえなかったようで、彼女の視線は周囲の草の根を這っていた。だからロニテスは気にせずに思考を続けた。もともとの自分の仕事は、もう脳内に欠片も残っていなかった。
 何に怯えているのだろう、思う。実際にシャーレと戦ったことはないが、シャーレが自分よりもはるかに経験を持っていて、「強い」であろうことはロニテス自身よくわかっていた。けれど、だからと言って自分は彼女といることに恐怖を感じないし、怯えてなんかいない。では何に怯えているのだ? 彼女はなぜ、自分に「怯え」という言葉を使ったのだろう。
「ロニテス」
 囁き声がロニテスを急速に現実へ戻した。隣にいたはずのシャーレの気配がどんどん薄くなっていく。ロニテスはあわてて声のした方を見た。
「あそこ」
 そう言って、自ら気配を消していく彼女は小さく指をさした。右の方、百メートルくらい先のところに、鋭い牙をもったウサギ型の魔物がいた。魔獣型の中でも牙の部分しか変化していないその魔物は、おそらく「凶暴化」してからそう日が経っていないのだろう。警戒心のかけらも見せず、せわしなく土を掘っていた。
「あれくらいなら俺の弓で大丈夫かな」
 言うと、シャーレが何も言わずに頷いた。彼女の気配は極限まで消されているため、ロニテスが彼女の頷きに気付いたのは一呼吸おいてからだったが。
「よし」
 言って、ロニテスは肩にかけていた弓を持ち直す。指先に自身の天界力を集中させるとキリキリと小さな音がした。そのまま弦を引くと、指の軌道をたどるように光の筋ができる。指先がちりちりと痛い。けれどその痛みが、どこか心地よかった。
 弓を構えて、天界力で作り出した矢の切っ先を魔物に向ける。ロニテスは目がいい。数百メートル先の魔物の、丁度急所となる個所を狙って矢を放つ。
 勢いよく放たれた矢はまっすぐに魔物に向かって行った。ぎい、と甲高い悲鳴を上げて、魔物が後ろに倒れる。矢が、ロニテスの狙った心臓部に突き刺さっていた。シャーレは消していた気配を元のところまで戻すと、感心したようにロニテスを見上げた。
「すごいな」
 一言、やはり呟くように言って、シャーレはロニテスの反応を見ずに歩き出した。魔物を持って帰らなければならない。
 シャーレが狩った魔物を持ち運びやすいように手際よく縛るのを眺めながら、ロニテスはふと、彼女の視線を思い出した。
 「すごいな」と呟いた時の彼女の眼は、しかし何も映していない。ロニテスにはその視線がまっすぐ自分の後ろ、どこまでもどこまでも果てのない世界へ向けられているもののように感じた。実際、ロニテスは彼女の瞳を見つめるたび、恐ろしいまでにまっすぐと自分を通り過ぎてしまうその視線に、どこか吸い込まれそうになる。そこでふと、先ほどの彼女の言葉はそういうことかと思い至った。
 自分は彼女の瞳が怖かったのだ、ロニテスは思う。自分は確かに怯えていた。まっすぐなのに、絶対に自分を見ないシャーレ・マリアニーナの瞳。その中に自分が映っていないのが怖いのか、それとも何も映していないのが怖いのか。それはわからない。しかしロニテスは、その瞳をどこかで見たことがあると断言できた。
(シャーレは……)
 多分、ジュノンは気づいているんだろう、自分が都合の良い解釈をしていると、だからシャーレとうまく会話すらできないのだと。

 間違いない、彼女は、シャーレ・マリアニーナは、「死神の少女」だ。

 それははっきりとわかっていた。一目見た時から、彼女の瞳と幼いころの記憶とが合致した。一つだけ見つからなかったパズルのピースが、ようやく見つかってぴたりと完成したときのような気持ち。ああ、彼女だ、会った時からそうだとわかっていた。
 それなのになぜ、自分は彼女にそのことを確認しないのか。
(覚えていないと言われるのが怖いのか、それとも、否定されるのが怖いのか……)
 けれど、それじゃあ。
 それじゃあ、自分はなぜこんなに彼女に執着しているのだろう。
(……まるで、恋だな)
 思って笑いたくなった。魔物を縛り終えたシャーレが荷物の存在など感じさせない足取りで自分の方にやってくる。ライフガントルの言い方だと、この分じゃ全然足りないだろう。シャーレが次はあっちの方を見ようと指を差した。小さく微笑んでそれに頷く。
(そうだ、俺はシャーレ“が”あの女の子であったらいいと願っている)
 シャーレが先頭となって再び歩き出した。背後にあったテントはもうだいぶ小さくなっている。あのテントの前で、ジュノンが退屈そうに空を見上げているのが難なく想像できて、しかし同情なんてしてやらない。
(それは、俺があの女の子ではなくて“シャーレ”に執着している証拠だ)
 なんてバカなんだろうな、歩きながら小さく笑った。笑い声に気付いたシャーレが振り返って首をかしげたが、何でもないと言ってまた笑う。そういえば、彼女が自分たちのように笑うのをロニテスは見たことがない。
(一緒に過ごせばすごすほど)
 シャーレは表情の変化が乏しい。感情がごっそり抜け落ちているわけではないのだろうが、それでもポーカーフェイスがダントツに上手い。彼女の何倍も生きているライフガントルよりも、この分野に関しては負けないだろう。そして彼女はそれを、疑問もなく日常的に行っている。まるでそれが普通であるかのように。
(いろんな表情が見たい。声を聞きたい)
 だから笑顔が見たいと思った。彼女が本当に腹を抱えて笑う姿は想像できないけれど、多分、きっと今より何倍も、何倍も、素敵だと思えた。だってそれが自分たちの“自然”の姿であるはずだから。
 それはまるで狂気にも似た感情。自分がまさかこんな乙女のような感情を持つとは思いもしなかった。加えて、今までそれに気付きもしなかったなんて!
(……拒絶が怖いだけなんだ、俺は)
 とんだ臆病者だ、と、口の中で呟いた。彼女と話すのがぎこちないのも、彼女の瞳を覗くのがつらいのも。拒絶が怖いからだけなのだ。
 結局自分は、自分が執着していた(そしてそれは多分、彼の初恋なんだろう)記憶の中の少女と、シャーレを結びつけることによって、シャーレと何か運命めいた繋がりを持ちたかっただけなのかもしれない。そしてそれはひどく愚かで滑稽だ。ロニテスは今度こそ声に出して笑った。
 シャーレは笑い声に気付いたが、今度は何も言わなかった。また、魔物を見つけた。
 先ほどと同じように弓を引きながら、ロニテスは自身にとどめを刺した。彼の目には、魔物が自分自身に見えたのかもしれない。

(認めろよ。結局俺は、あの子であってもなくても、シャーレのことが好きなんだ)

 矢は、魔物の胸部に寸分の狂いもなく突き刺さった。

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