10. after the new moon

 六時を回ったとき、街の方から静かな歌声が響いてくるのを四人は聞いた。ライフガントルはじっと目を瞑っている。まるでその歌が何であるのか知っているようだった。ジュノンは、流れてくる歌声が酷く悲しげなものだということに気がついた。ゆるやかな曲調で、やや高めのキーで歌われる歌。不意にダキリアで聞いたロニテスの子守歌を思い出し、ジュノンはその歌の意味するところを突然思い至った。
(死者へ捧げる歌……)
 あの時、ロニテスが歌った歌には多分そう言う気持ちが含まれていた。ジュノンは確信する。この歌とロニテスの歌が被るのだとしたら、それは曲調でも旋律でもない、歌に込められている純粋な感情だと。だからこの歌は多分、きっと、死者へ捧げるための歌。
「始まったか……」
 歌を聞いて、ライフガントルがぽつりと呟いたのが聞こえた。歌声は次第に強く、大きくなっていく。すべてを魅了して死へといざなうかのような歌声に、ジュノンは思わず耳をふさぎたくなった。
(こんな悲しい歌は聞いたことがない……)
 ロニテスの時と逆だ、思う。ロニテスの時は、あまりに綺麗で美しい悲しみの歌にずっと聞いていたいように思ったのに、この歌は悲しすぎて聞いていられない。
「あ」
 誰かが声を出した。街が、続けられた声に従って、ジュノンは伏せっていた顔を無理やり街の方へと向けた。濃い霧の中でも黒い巨大なドームは視認できる。ぼんやりと浮かんでいた黒いドームに、大きな亀裂が入っていた。
「ああ……」
 亀裂はドームの根元から入り、どんどんドームを埋め尽くしていく。街の中で逃げ惑う人々が思い浮かんで、ジュノンは緩く頭を振った。
 亀裂が完全にドームを覆ったとき、ばき、という大きな音を立てて剥がれるように破片が落ちた。大きな音を立てて湖に落ちていく。上の方から剥がれたドームの破片は、恐らく街の中にも降り注いでいるに違いない。
 ジュノンはふと、自分が泣いていることに気がついた。昨日から泣いてばっかりだ、思って、それでも止まない涙に苦笑しか浮かばない。いっそ声を上げて泣いてしまえたらどんなに楽だろう、思って、本当にそうしてしまおうか、なんて考える。
「結局、誰も来なかったんだね……」
 小声で言えば、近くにいた三人が同時に頷いた。感情のあまり読めないシャーレでさえ、何か痛いものを見るような目で街を見ている。ゆっくりと落ちていく破片はスローモーションのよう。そのまま止まってしまえばいいのにと何度も思うが、しかしそれは叶わない。やがてドームの上部、あの出っ張りの部分が落ちていった。他の部分もほとんど崩れかけていて、中の人の無事はないだろうと思われる。シューは大丈夫だろうか、ジュノンは不意に思って、それから、一艘の船が街から出てくるのを見た。
「あれ?」
 初め、その船をこいでいるのはシューだと思った。しかし違った。よくよく目を凝らしてみないとわからないが、シューよりも大きな影が船をこいでいる。街を出てくれた人がいたんだ、そう思って、なんだかひどく嬉しくなって、ジュノンは明るい声を出した。
「ライフっ人が、人が出てきたよっ!!」
 しかしライフガントルはジュノンのように喜んではいなかった。顔をしかめて、険しい顔をして自身の得物に手をかける。彼はまさか、街から出て来た人も殺してしまうつもりなのだろうか? 不吉な考えが浮かんで、すぐにそれを取り消した。
(なんで?)
 答えはすぐに分かった。船がジュノン達の近くに止まって、その上から下りてきたのは豊かな口ひげを蓄えて、青白い顔に汗をかいた男だった。上等の着物を着ていることから、相当な位の人物だと伺える。ライフガントルが警戒の色を強くした。
「あの……」
 しかしジュノンは、いくらライフガントルが警戒していたとしても彼に声をかけずにはいられなかった。もしかしたらあの街で生き残れるのは彼だけかもしれないのだ。妙な親近感が湧いたのかどうか定かではないが、声をかけることによって何かわかる気がした。
「ん? お、おお、よかった。私以外に逃げられた人がいたのか」
「街は……街の人はどうなりましたか」
 気がつくとそのことを口走っていた。男は特に驚くでもなく、かいた汗を懐から出したハンカチでゆっくり拭くと、
「いや、いや。もう駄目でしょうなあ。せっかく全員の気持ちが一体になる、素晴らしい街だったというのに……まあ、私の邪魔をしようとしてる奴らもあの街にはいたんでね。そう考えるとプラスマイナス零と言うところかな」
 男は理解しがたいことを言った。そこでジュノンは初めて、どうやら男は自分たちのことがよく見えていないのだと理解した。何せこの霧だ。ジュノンは男が船に乗っている時からずっと追っていたから、男がどの位置にいるのかくらいは視認できる。しかし男は今降り立ったばかりなのだ。一番近くにいるロニテスのことでさえ、視認できているかわからなかった。たぶんジュノンの声は聞こえてもジュノンを見ることはできないのだろう。
「まああの街の連中はさすが隔離された世界で生きているだけあって、バカな連中が多かったですよ。私にとっては愛すべきバカでしたけどね。ああ、まったく。計画がおじゃんだ……」
 男はぶつぶつ言いながら去ろうとしていた。その姿は、この霧の中何とか逃げようとしている首謀者によく似ていた。……首謀者?
「ジュノン」
 ライフガントルが低い声で言った。
「そいつが、リクス・ヒルベストだ」
 男はこちらの声に気付いていない。ジュノンが大きく息をのんだのも、おそらく気づいていない。
「こいつは、自分の民を見捨てて、しかもバカ呼ばわりしたんだ」
 その言葉を聞いた時、ジュノンはそれまで持っていた親近感に近いものがすべて吹っ飛んで、殺意にも似た感情が代わりに埋め尽くしていくのを感じた。急激に、この男のことが憎くて憎くてたまらなくなった。
「こいつが……!」
 感情を抑えきれずに口から飛び出した声は酷く低いものだった。自分でも聞いたことのないような自身の声に、一瞬どきりとする。しかし体は意志に反して、かちゃりと腰の剣に手を伸ばしていた。
「悪いが、私は追われる身なのでね。失礼するよ」
 ふと気付いたように男が立ち止まって、「せいぜい生き延びるんだね」と続けた。もう、我慢できなかった。
「っあああああ!!」
 気づいたらジュノンは突っ込んでいた。視界の悪い中、誰がどこにいるのかいまいちわからない状況の中で、その行動は無謀と言えた。しかしジュノンは、自分の憎むべき相手がどこにいるのか正確に理解していた。それはジュノン自身の持つ非常に優れた気配察知能力のおかげかもしれないし、それとも単純に憎悪の感情が為したことかもしれない。けれど、勢いよく斬りつけた相手は、確かにかのリクス・ヒルベストだった。
「ぅっ」
 彼は小さくうめき声のような悲鳴を上げて、肩から背中にかけて赤い一線を描いて倒れた。ジュノンの突然の行動にライフガントルが慌てて駆け寄る。リクスの赤い色が、この視界の中でジュノンの位置を知らせてくれた。
「ジュノン!」
 ジュノンは無言で倒れた男を見つめていた。何の感情もわかない。あの時と同じだ、ジュノンは思う。ミドラを殺した女を殺したときと、おんなじだ。
「ジュノン!」
 ふと力が抜けて倒れそうになったのを支えたのは、一番近くにいたロニテスだった。ライフガントルはすぐにジュノンのところまでやってきたが、ジュノンをロニテスに任せるとまっすぐにリクス・ヒルベストの元へ駆け寄った。
「リクス!!!」
 激しい憎悪の色を含んだ声に、ジュノンはびくりと体が震えるのがわかった。ああ、自分だけではなかったんだ、思って、頭の中が真っ白になる。
 ライフガントルは感情のまま、手にしたチャクラムを瀕死のリクスの首元につきつけると、叫ぶように言った。
「言え!! あの時何があったのか! なぜ一族が没落したのか! 言うんだ!!」
 ライフガントルの激しい声に、リクスは小さく呻くとゆっくりと瞬きをした。にやりと不敵に笑ったその顔が気に入らず、ライフガントルはつきつけたチャクラムを持つ手に力を入れた。
「っあの時……ルトの……息子……の、中……には、あるはずのない……力、が……あっ、た」
 うめき声をあげながら、それでもリクスはゆっくりと話し始めた。赤い血が背中からどくどくと流れ続けている。深く斬られた傷は見るまでもなく、彼がもう長くないことを示していた。
「狐……狐の……ヒル、ベストの……」
 ライフガントルがリクスの口元に耳が触れるくらい近くで聞く中、それきり、リクスは何も言わなかった。急速に彼の体温が下がっているのを感じて、ライフガントルは思わず小さく舌打ちをする。リクス・ヒルベストは死んでしまった。
 幸か不幸か、その時ジュノンはロニテスの腕の中ですでに意識を手放していた。よほど強い感情でリクスに切りつけたのだろう、握られた剣はロニテスがどうやってもジュノンの手から離れることはなく、シャーレはそんな二人をぼんやり見つめた後、ライフガントルをじっと見つめた。
「……悔しいか?」
 問うと、ライフガントルの体がびくりと震える。もう、リクスの首元にチャクラムはつきつけていなかった。
「君も、その男が憎かったんだろう?」
 まるで何でもないことのように言うシャーレの言葉に、ライフガントルは反射的に顔を上げた。霧のせいで彼女の顔はよく見えない。
「ジュノンに先を越されて、悔しいんじゃないか?」
 なおも彼女は続ける。はたして彼女がライフガントルのことを見ているのかどうか定かではなかった。ライフガントルは震える声で呟く。
「……そうかもしれないな――」
 それきり、シャーレは何も言わなかった。
「あ」
 ジュノンをテントに運び終えたロニテスが声を出す。つられて街を見ると、街が完全に崩れ去るところだった。
 もうもうと煙を上げて、大きな音を立てながら。こんな騒音の中、自分達はよくリクス・ヒルベストを殺せたものだとライフガントルは思う。そうだ、殺したのはなにもジュノンだけじゃない。ジュノンを止めなかった、斬られたリクスに手当てをしなかった、理由はいくらでも出てくる。リクス・ヒルベストを殺害したのは、この場にいる全員なのだ。
「シューだ」
 確かに、シューと思われる人影が船を漕ぎながらこちらへやってきていた。街はもう崩れ去り、ドームの根元だった場所が突然爆発した。連続して五つ、小規模な爆発を起こすと、今度は島がずぶずぶと湖に沈み始めた。ドームの破片やら爆発やら島の沈没やらでもはや嵐のときに負けないくらい波立っていた湖の中を、シューが悠々と船をこいでいる。その姿は少し異様だった。
「シュー!」
 ロニテスが叫んだ。叫び声が聞こえたのか、シューらしき人影が軽く右手を上げる。彼はうまいこと波をよけ降ってくる破片をよけ、着々とこちらに向かってきている。
「シュー!」
 今度はライフガントルが叫んだ。上がった右手が大きく左右に振れた。彼なりの“無事“のサインらしい。それから、シューが自分たちの元へたどりつくまで、ロニテスとライフガントルは彼の名を叫び続けた。どうしてそうしたかったのかわからない。ただ、叫んでいたかった。
 彼がテントの近くに船をつけて降り立ったとき、ロニテスもライフガントルも、勢い余って彼に抱きついた。シューは、酷く穏やかな顔で笑っていた。


 レイニータウンが崩壊し、テロの首謀者であったリクス・ヒルベストが死んだその日は、新月の夜だった。濃い霧に加え月光もない。シューを交えた五人は、リクス・ヒルベストの遺体を湖に落として、その日はこれ以上動かず、テントの中で一夜を過ごすことにした。
 ジュノンは倒れてから十数分ほどで意識を取り戻し、シューが帰ったこと、街が完全に沈んでしまったことを確認すると、小さなため息をついた。その日の夕食は誰も食欲がなかったが、何も食べないわけにはいかないと、シャーレが持っていた携帯食料を先ほどと同じ要領で火にかけて、なんとか腹に押し込めた。
「シューは、これからどうするの?」
 ふと思った疑問を口にすれば、シューは困ったようにジュノンを見返して、それからライフガントルを見た。どうやら、ライフガントルがシューの上司であるようだ。
「まあ、レイニータウンはなくなってもその守人一族はまだ生きてるんだろ? 守人の一族は街には住んでないって聞いたことがある。だから多分、そっちの一族として暮らせるかもしれないが……」
 言うと、彼は緩く首を振った。何かを決意したように、静かにマスクに手をかける。ジュノンとロニテス、シャーレまでもが見つめる中、彼はそっとマスクを外した。
「……いいんだ、もう」
 初めて聞くシューの声は、凛としていてどこか儚げだった。それは、あの歌声の主に似ている。思って、ジュノンは、あの歌を歌ったのはシューだったんだとふと思い至った。
「守人の一族はもう汚れてしまった。これからは、何にも縛られずに生きたい」
 そう言ったシューの眼はきらきらと輝いていた。どこか暗い色を持ちながらも輝きを失わないその瞳を見て、ライフガントルはおもしろげににやりと顔をゆがめた。
「政府にも、か?」
「政府にも、さ」
 互いに探るような目つきで見つめあい、やがて二人は同時に笑いだした。冷え切っていた雰囲気が急速に暖かくなって、ジュノンは酷く穏やかな気持ちになれた。
「守人の一族は、幻術を使う唯一の一族だ。だけど、互いに幻術を使えて相手をだまし合えるから、一族の連中はすごく仲が悪い。おまけに外の連中に対しても常に疑いをもった目で見てるから、きちんと形あるメリットがなけりゃ絶対に力を貸さない。言い換えれば、メリットさえあればどんな連中とも手を組むってことなんだけど」
 シューはそれまで黙っていた分も話すかのように、堰を切って話し始めた。ジュノンが小声で、「どうしてマスクを?」と問えば、面白そうに彼はジュノンを見た。
「俺達の幻術の媒介は、声なんだ。だから、普段の会話の中で幻術を使われないように、俺達は話すことを止めた。一族同士なら、声なんて使わなくても念を飛ばして会話できるからな」
 メディアスにも似たようなのがあるだろ、とつづけた彼の言葉にジュノンはひどく驚いた。念話なんて、自分が生きてきた中で使ったこともなければ聞いたこともない。しかしロニテスとシャーレは理解した風で、確かにな、と頷き合っていた。
(改めて思ったけど……僕って本当に知らないことが沢山あったんだな……)
 自分のことについてもそうだけれど、自分の能力についてもほとんど知らなかったとは。思って、少し恥ずかしくなる。シューは気にした風でもなく続けた。
「それで、しばらくの間は兄貴についていこうと思うんだけど」
 兄貴? 初めて聞く呼びかたにジュノンとロニテスは顔を見合わせた。誰のことを言っているのだろう?
「別にかまわないが、俺達に幻術使っていいように使おうとか考えるんじゃないぞ」
 それに笑って返事をしたのはライフガントルだった。考えなくてもわかることだ、この中でシューと古くから付き合いのあるのはライフガントルだけなのだ、しかも、魔法使いの先輩ときた。兄貴と呼ばれてもおかしくないだろう。しかし、あまりにぴったりというか、あまりに“ライフガントル”な呼び方にジュノンは思わず噴き出した。もちろん、ロニテスも。
「あに、兄貴って! ライフってば兄貴って呼ばれてるんだぁっ!」
 笑いが止まらなくなって、茶化すように言えばライフガントルはにやりと例の悪人面をすると、低い声で言った。
「何ならお前も俺のこと兄貴って呼ぶか? ああ?」
 喧嘩腰の発言にますます笑いが止まらない。シャーレがあきれた様子でそれを見ていた。シューもいつの間にか笑いだしていて、気がつくとテントの中は笑いで溢れていた。酷く悲しいはずなのに、いや、だからこそ、皆で笑った。シャーレでさえ口元に笑みを浮かべている。悲しい気持ちを吹き飛ばすような笑い声は、四人が眠りにつくまで続いた。


 深夜、ふと目が覚めてジュノンは外に出た。テントの中はシャーレの起こした火が未だ絶えずぱちぱちと音を鳴らしていたから酷く暖かかったが、外は変わらずきんとした冷たさを保っていた。空を見上げて、そこに月がいないことが酷く不思議に思えた。
(新月……)
 はあ、と息を吐くと、真っ白に染まった息がふわりと舞って周りの霧と同化してしまう。霧が吐息でゆっくり揺れていた。寒い、夜。
(僕は、何をすればいいんだろう……)
 それは漠然とした疑問だった。今まで通り単純にライフガントルの手伝いとして、メディアス探しに精を出せばいいのだろうが、それとは違う、「自分だけの何か」をしたかった。
 ロニテスはあれで、声に出して言ってはいないけど、多分いつか見た女の子を探しているんじゃないかとジュノンは思う。シャーレをはじめに見たときだって、この子はいつか見たあの子なんじゃないかと、疑うような視線で見ていた。結局その確信は持てていないけれど、彼が何かただならぬ執着をその女の子に抱いているのは明らかだった。シャーレはシャーレで、復讐の念に身を置いているから、貪欲に天魔一派を追い詰めようとしている。それは、少ししか一緒にいなくてもすぐに分かった。その感情は、ジュノンも持ったことがあるから。ライフガントルはライフガントルで何かを求めているような眼を時々する。それが何か、ジュノンは知らない。
 シューだって、と、ジュノンは心の中で呟いた。シューだって、何にも縛られない生き方をしようとしている。目標がないのは自分だけのような気がして、それが酷く「いけない」ことのように感じた。
 リクスを斬りつけた時、ジュノンの中には暗く醜い感情しか溢れていなかった。それまでその存在すら知らなかった相手に、たった一言であそこまで憎しみを抱けるものなのかと実感した。
(……僕はもっと)
 心の中で思う。
(僕はもっと、強くなれたのだと思ってた。ミドラを殺したあの女を憎悪の念に任せて殺したときに、もっと、あのときよりも成長したのだと思ってた)
 それなのに。続けた言葉は気づくと声に出ていた。はあ、と白い息が出て、ジュノンはこぼれそうになる涙を抑えるために両手で顔を覆った。
「どうしたらいいんだろう……」
 どうしたら、どうしたら。その言葉が頭から離れない。本当に自分はライフガントルの手伝いだけしていればいいのだろうか。もっと大切な、もっと重要な何かがあるんじゃないのか。
(結局、何も成長してない……)
 不意に、左手の傷がずきりと疼いた。脳裏に言葉が蘇る。

――その誓いは、ウソなのかな?

「違う!!!」
 気づいたら大声で叫んでいた。こらえていた涙はぽたりと地面に落ちて、地面は飢えていたかのように涙を吸った。
「違う……」
 嘘なんかじゃ、ない。
 続けたはずの声は声にならず、とうとうジュノンは小さく蹲った。膝を抱えて涙のたまる歪んだ視界で地面を睨みつけながら、違う、違う、と否定し続ける。震えているのは寒さのせいだと思いたかった。
「違うよ、ミドラ……」
 ずず、と大きく鼻をすすって、ジュノンはゆっくり顔を上げた。こんな気分の時、いつだってミドラと空に浮かぶ月が自分を見守っていてくれた。それが、今はどちらもいない。
「新月なんて大嫌いだ……」
 小さな声で呟くと、ふと、カスナのことを思い出した。ロニテスの言葉が思い出される。

――奴らが俺達を殺そうとしてるんだったら、なんでその時にジュノンを殺さなかったんだ?

 今ではその言葉が酷く自分を揺すぶるものに聞こえた。否、その言葉を聞いた時も十分揺すぶられていたが、今はそれ以上に揺すぶられていた。
(違うよね、カスナ……カスナが僕に向けてくれた笑顔は、声は、触れたときの体温は……嘘じゃ、ないよね?)
 答えを求めて空を見詰めた。答えてくれる声の主も、答えをくれるかもしれない月も、ジュノンが落ち着いてテントに戻るまで、とうとうやってくることはなかった。


 翌朝、幾分元気になったジュノンを含めた五人は、テントを片づけるとシューの便利な機械と土地勘のおかげですぐに森を抜けることができた。森を抜けるとまっさらな草原の中に線路が二つ続いていた。一本はまっすぐ首都の方へ伸びている。もう一本は、草原を抜けたところにある町へ続くものだとライフガントルが言った。
「どっちの道に行くの?」
 ジュノンが問うと、彼は少し考えて、シャーレに向き直った。
「この線路を辿ったところにある街の名前、知ってるか?」
 この線路、と指差したのは首都に続くものではない方の線路。シャーレはしばし考えてから、小さく頷いて答えを出した。
「ロコモラだ。鉱山の近くにある街で、鉱山資源が豊富」
 伴って工業が盛ん、と、まるで教科書に載ってるかのように言った。ライフガントルはその答えに低く呻くと、困ったように全員を見た。
「どっちに行きたい?」
 つまり、決めていなかったようだ。
「レイニータウンに来た時は、首都に続く線路に沿って街を見て回る、って言ってたよね」
 ジュノンが言うと、ロニテスが隣で頷きながら声を出す。
「で、英雄派集めをするってな。レイニータウンでシャーレが加わったから、ライフの仕事抜きにしても成果はあったけど。天魔一派の動きも気になるよな」
「首都に行けば情報があるみたいなこと、ライフ言ってたよね」
 次々と発せられる言葉に、ライフガントルは苦笑を浮かべた。
「レイニータウンの時のを参考にしないでくれ。どの道あれはあそこに行かなきゃならなかっただけだし……仕事がなけりゃまっすぐ首都行きの汽車に乗ってただろうよ」
 でもこの近辺に駅はない。続けられた言葉に全員が一斉にため息をついた。
「どっちが駅に近いかにもよるな……というか、命狙われてるのに汽車で移動してていいのか? 俺達……」
 ロニテスの言葉に再度ため息。見かねたシャーレが恐る恐る声を出した。
「だが……連中もほかの客達がいる前で迂闊に攻撃はしてこないだろ。そう考えれば、汽車に乗って移動した方が安全ではあるぞ」
 私達は別に指名手配されているわけではないのだし。その意見には皆が賛成だった。
「じゃあやっぱり、どっちが駅に近いかに寄るな。シャーレ、わかったりしないか?」
 駄目もとでライフガントルが聞くと、彼女は肩をすくめただけだった。旅を始めてまだ間もないが、早くも目的地を失ってしまったらしい事実にジュノンは苦笑しか浮かばない。全く行き当たりばったりな旅である。
「こういうのは勘で決めた方がいい。……蛇足的に言っておくが、私は首都に一度行っているから、できればロコモラに行きたい」
 勘で決めた方がいいと言いながらちゃっかり意見するシャーレに、ライフガントルは緩く笑って頷いた。
「ならロコモラに向かおう。この際、どっち選んでもおんなじだ」
 得られる情報は多いに越したことはない、首都方面の情報をシャーレが既に持っているなら、次に目指すはロコモラだ。そう言うわけで、一行はようやく進み出した。
 完全に森から離れてしまう前、ジュノンは一度だけ森を振り返った。濃い霧の漂う森。レイニータウンのあった森。
(違うよね……)
 昨晩何度も発した言葉を再び心中で呟いて、風がさわさわと通り過ぎていった。まるで「そうだよ」と答えてくれたような気がして、ジュノンは力なく微笑んだ。
(強くあろう)
 誰よりも。誰よりも、強くあろう。だって、自分の旅はすでに多くの犠牲の上で成り立っているのだから。

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