9. the night of Rainey Town 4

 その日、ジュノンの僅かな願いもむなしくライフガントルは宿へは帰ってこなかった。ロニテスは小声で「やっぱりな」と言い、ジュノンはそれに同意するしかなかった。
 それにしたって、ライフガントルの行動はここのところ奇妙さを増していた。もとから秘密主義があって、どこか壁を作るような人物なのはジュノンも重々承知していたつもりだが、まさか共に旅をする時になってまでそれを持ち出されるとは思わなかったのだ。以前の彼とジュノンの関係と、現在の彼とジュノンの関係では大きく違っていたし、まだ壁を作るところがあったとして、もっと薄いものだと思っていた。
 だけど、と、ジュノンは心の中で考えた。
(ライフガントルはちっとも仲間って言う気がしない。そりゃ、助けてくれたりするし、知恵を与えてくれたりはするけど……この街に入るくらいから、やっぱりちょっと、変だ)
 ジュノンとロニテスをからかうだけにしても、妙すぎた。まず、なぜ彼は汽車の中でシューとの関係を教えていなかったのか。からかったにすぎなかったとして、彼は必要であるはずのことは一切口にしなかった。町への入り方ひとつにしても、彼は一言「静かにしてろ」としか言わなかった。本当に静かにしてほしいのならば、理由を述べるべきではないのか? 考えれば考えるほどどろどろとした暗い思考にはまっていくようだ、ジュノンは思う。
(違うよね、ライフガントル。からかってるだけだよね、いつものように、僕たちを……)
 しかしそれに答えるものはない。
ロニテスは結局あれから機嫌を直さずに、夕食後すぐに寝てしまった。眠気がひとかけらも襲ってこない状況で、ジュノンはぼんやりと空を見ていた。暗闇だけが支配する。ダキリアでココア片手に見た空とは大違いだ、思って、ジュノンは苦笑した。
(あの時のライフは……そうだ、いつもより感情がむき出しだった)
 ロニテスに対して、どういう対応をすればいいのか困りかねてるようだった、と、ジュノンは思う。真意はどうだったのかわかりかねたが、あんなに激昂したライフガントルを見たのは初めてじゃないだろうか。ライフガントルは仕事の合間にちょくちょくジュノンの屋敷を訪れてはいたが、滞在期間は多くても三日ほどで、すぐにどこかへ旅立ってしまう。それでも自分に近寄ってくる親族がただの一人もいなかったジュノンにとって、彼の存在が非常に心強いものであったのは確かだった。
(そういえば)
 つらつらといろいろなことを思い出すうちに、不意にジュノンは気がついた。
(僕、ライフガントルが何の仕事についているかも知らないんだ……)
 希少種の魔法使いだから、政府と面識があるくらいのことは知っている。けど、実際長寿の彼が今まで迫害も受けずにどうやって生きてきたのかをジュノンは知らないし、こと「仕事」に関する事柄はピリピリと緊張した面持ちを見せる。今回だってそうだ、思って、ジュノンはライフガントルの言葉を思い出した。

――レイニータウンは一見何の争いごともない平和な都市に見えるが、実際はそうじゃねえ。世俗と完全に隔離されているがゆえに、内部に凶悪犯罪を抱え込んでいる可能性が高いんだ。しかしその防衛上、国のお役人でも獲物を持って入ることはできない。そこで、シューがスパイとして侵入してるってわけだ……

 そこで、はっとした。
(なんできづかなかったんだろう!)
 ジュノンははっきりと、ライフガントルの無罪を確信していた。シューだ。彼の仕事がジュノンの予想どおりなのだとすると、彼はシューと共にレイニータウンの最上階、エデンへと向かったはずだ。……どういう手段かは定かではないが、ジュノン達に助けを請わなかったのは、彼の性格もあるだろうが、それ以上に連れていくと危険が強かったからなのだろう。それに、その間メディアス探しも“本当に”したかった、思って、ジュノンは自然と笑みがこぼれるのをこらえきれなかった。
 くく、と声に出して笑って、窓から離れる。あてがわれたベッドにダイブして清潔なシーツの香りを思いっきり吸い込むと、まるで猫になった気分だった。長い長い思考が終わって、晴れ晴れとしている。
(ライフは多分、タウンの上層部が抱えてるだろう“凶悪犯罪”とやらを暴くために出ていったんだ。シューはスパイだし、あの様子じゃ多分、他の犯罪者の手引もさせられてたんじゃないのかなあ。何しろ守人だし、朝からシューもいないし)
 にまにまと微笑みながら、しかしどこかで何か引っかかりを感じているのも事実だった。けれど、今はこれが目の前に現れた明確な答えである。この答えであれば、ジュノンはライフガントルが何か二人に知られたくないよからぬことを考えているのではという……つまり、ライフガントルこそが天魔一派の刺客なのではというあらぬ疑いをはがすことができた。まったく、ロニテスの神経質さにはまいるね、思いながら、ジュノンはゆっくりまぶたが閉じるのを感じた。


「これはこれは、久しいねえ、魔法使い殿」
 謁見を許可された先にいたのは上等の着物を着た、口髭を蓄えた男だった。以前見たことのある顔に、ライフガントルは思わず小さく溜息をつく。
「お久しぶりです」
 その名を口にするのもおぞましかった。男はにやにやとこちらを見てから、巨大なガラスから覗く下界の様子を楽しそうに眺めた。
「で、今日は何の用事で来てくれたのかな?」
 それとも単純に私に会うためなのかな? ふざけたように続けられた言葉に、不快感が増していく。下らない、思いながら、それでも表面上は笑顔を取り繕う。背後にはピリピリと殺気を送る彼の護衛が控えていた。
「簡単な用事ですよ。こちらにヒルベストの元重鎮がいるとお聞きしたんで、どなただろうと見に来たんです」
 まさかあなたとはね、皮肉を込めて言ってやると、彼はおもしろげににやりと笑った。天井からぶら下がる紐を軽く引っ張って、上から巨大な布が落ちてくる。ガラスの下の世界が見えなくなった。
「魔法使い殿、この街はあの一族と比べて非常に“統治しがいのある”ところだよ。遮断された空間のおかげで、民は私の言うことをすべて信じる。私に逆らおうとする者は、“この街には”一人もいない」
 言って、彼は軽く手を挙げた。瞬間、背後の護衛が武器を構えたのがわかった。やはり来るには時期が早すぎたか、思いながらライフガントルは、軽く片手を上げて素早く呟いた。
「簡易・0005・移転」
 背後の護衛が思い切りライフガントルの脳天めがけて剣を振り下ろす。それと同時に、ぱ、と軽い音を立ててライフガントルの姿は消えた。そして、剣を振り下ろしたままの体制の護衛のすぐ後ろに現れた。
「悪いが、まだ“本当の用事”が終わってないんでね」
 言いながらゆっくりとした歩調で通された部屋を出る。その後ろで、呆然とした護衛に何の声もかけず、男がにこにこと微笑んでいるのを知っていた。彼は、そういう、男だ。
「……ほどほどにしないと今度こそすべてを失うぞ、リクス・ヒルベスト」
 ぼそりと呟いた言葉が彼に届いたかどうか確認する前に、ライフガントルは下界へ降りるためのゲートの中へと入っていった。
(調査するまでもないな)
 思って、ライフガントルはちらりと隣に並んだシューを見た。マスクとフードの下で、彼が何を考えているのか読み取ることはできない。シューはライフガントルの視線に気づいて不思議そうにこちらを見上げたが、ライフガントルはそれには答えなかった。
「……明日の夜、はじめるか」
 ぽつりと呟いた言葉に、シューが無言でうなずいた。だが、と続ける。
「その前に帰らんと。あいつらがまた面倒事を起こしている気がする」
 最近水晶も見てないんでただの勘だけどな、言うと、シューも同意するように肩をすくめた。


 メディアス探し二日目。ジュノンは起きてすぐ、ロニテスに昨晩思いついたことを述べた。彼は神妙な顔でジュノンの話を聞き、全て話し終わるとはあ、と短いため息をついた。
「……わかった、もうライフは疑わねえよ。確かに、一緒の目的で一緒に旅してるからといて全てを共有しなきゃならんわけじゃないしな。それに、お前の推測だともともとシューの手伝いをするために来たともとれるけど、こっちに来てから突然シューに手伝いを頼まれた可能性も出てくるしな」
 わかったよ、再度そう言って頷いて、ロニテスは再び溜息をつく。
(……といっても、何かわからないもやもやとしたものが引っ掛かる。何か、厄介事に巻き込まれている気がするのはなんでだ?)
 ロニテスにとって、ジュノン達との旅そのものが既に厄介事ではあったものの、その件についえてはダキリアで決着をつけたので文句はなかった。故に、今感じている不安はそれとは全く別物だと知っていた。そしてこの不安は、明らかにライフガントルに関するものだ。
(お願いだから巻き込まないでくれよ)
 心の中で懇願したとして、彼に伝わるはずがないのを知っている。しかし懇願せずにはいられなかった。ある程度の厄介事なら扱いなれている自分が、なぜ、そこまでこの「不安」を気にするのかもわからない。
 とりあえず、目の前に座るジュノンは疑いが晴れて嬉しいのか、先ほどからにこにこしっ放しだ。彼には何も言うまいと堅く誓ってから、ロニテスはジュノンを誘った。
「とりあえず飯行こうぜ。今日はさ、レレガさんにどこか人の集まりそうな店でも聞いてから動くことにしよう」
 その言葉に、ジュノンは笑顔でうなずいた。
 食堂につくと、レレガは昨日の朝と同じように、フレンチトーストと冷たい牛乳、フルーツサラダを持ってきた。満室だと言われていただけあって、食堂の中は人で混雑している。わざわざ主人が食事を出さなくてもいいだろうに、ジュノンはぼんやり思ったが、食堂内を従業員らしきものが大勢駆け回っているのを見て、主人も大変なんだな、なんて思う。
「レレガさん、ちょっと聞いてもいいですか」
 忙しそうにテーブルを離れようとするレレガに、ロニテスが声をかけた。逃すまいと言った視線で、彼の返事を聞く前に続ける。
「この辺に、強そうな人が集まりそうな店ってあります?」
 ジュノンはロニテスのその言葉に思わず噴き出したが、彼の顔があまりに真剣なのでレレガは笑うことはできなかった。ええと、と唸る主人を見て、ロニテスが真剣な顔をにこやかなものへと変える。
「俺たち実は力比べしたくって。こう見えて結構やり手なんで、うんと強い人がいそうなところがいいんですけど」
「そうだねえ……強そうっていうか、危険そうな人が集まる店なら、西地区にあったと思うけど」
 ロニテスの明らかにおかしい質問に、レレガは笑顔で答えた。続けて一言、「私はもともとオーバーシティの人間だから、西地区方面は詳しくないんだ」
 その言葉がはぐらかしたように聞こえたのは、ジュノンだけではなかったようだった。ロニテスは一瞬ジュノンに視線をやると、しかし考えなおしたのかすぐに笑顔になって、
「そっか。急がしいのに引きとめてすみませんでした」
 レレガはそれじゃあと言っていそいそと去っていった。
「どうする?」
 去っていく主人の後姿をいつまでも追いかけるロニテスに、ジュノンはフルーツサラダを口にしながら問いかけた。彼は何事か考えたようだったが、しかしすぐに肩をすくめる。
「わかんね。やっぱりライフがいないと情報少ねえな」
 この宿屋にはメディアスの気配なんてしないんだろ? と続いたロニテスの言葉に、今度はジュノンが肩をすくめる番だった。
「感じない。けど、多分、人が多すぎるからごちゃごちゃになってわかんなくなってるだけかも」
 言って、自分の言葉に何か違和感を感じた。ロニテスも瞬間何かを感じ取ったようで、あれ、と首をかしげている。何かが違う気がする。
「……ね、なんで外には人がいないのに、この宿だけこんなに活気づいてるんだろう」
 ぼそりと発せられた言葉はジュノンのものかロニテスのものかもはやわからなかったが、二人は思わず顔を見合わせた。


 食堂から帰って来て、二人で今日は外に出ないことを決めた。外に出ても人はいないし、人がいそうな店も知らないため、ここにいて人の流れを把握して見るのもいいのではないか、と言う考えだ。加えて、一歩外に出るとあんなに閑散とした場所であるのに対し、この宿屋だけ妙に繁盛している理由も知りたかった。
「こんなに人が入ってるってのは妙だよな。もともと人が来るかもわからないような場所だってのに、宿屋らしき店が結構あるってのも気になるけど。ここだけ繁盛する理由があるはずだ。それこそ、ここの主人が何か企んでるとか」
 そう言ったのはロニテスだった。そして、ジュノンもそう考えていた。ジュノンはレイズンガルド以外の街をダキリアしか知らない。レイズンガルドにしたってあれは街ではなく村、集落みたいなものだ。だから、宿屋の実情なんてたいして気にならなかったのだけど、しかし言われてみれば確かに、と思うことがいくつもあった。この宿屋に来るまでに何件かそれらしき店を見かけたし、それなのにアンダーシティは犯罪者や訳あり、貧しい人が“落され”て作られた場所だというし、観光客なんて普段からくるはずもない。しかし、その理由を迂闊に誰かに聞くわけにはいかないことも理解していた。
「とりあえず、ジュノンは気配察知力が良いんだよな。一階の範囲だったら察知しきれるか?」
 ロニテスの言葉に軽くうなずく。
「一階に来た人がメディアスかどうかを見ろってことでしょ?」
 聞くと、ロニテスはにやりと笑って頷いた。
「ついでに、この宿に何人くらい宿泊してんのかも数えられないか? 個人の判別が無理そうならいいけど……」
「たぶん、できると思う。やったことはないけど」
 気配だけで個人の判別をするとなると、相当細かな所まで見なければならない。ジュノンは気合を入れて扉付近に座り込んだ。なるべく範囲を狭めたかったから。
「今は何人だ?」
「三人。レレガさんと、普通の人が二人」
 ロニテスはどこからか出したメモ帳に人数を書きとめると、ふうとため息をついた。
「長丁場になりそうだ。変化があったら言えよ」
 うん、最後に小さく頷いて、ジュノンはそれきり黙りこんだ。


 結局ジュノンの調査が終わったのは、夕方ごろに宿屋へライフガントルが返ってきた気配を察知したときだった。ずっと気を張っていたからジュノンはくたくたになっていて、ロニテスはロニテスで現在の状況をまとめたりなんだりをしていたため、ライフガントルがいざ部屋にはいってきたとき、二人ともぐったりと横になっていた。
「……どうした?」
 問いかけると、ソファにもたれかかっていたジュノン――最初扉付近で倒れていたが、ロニテスが最後の気力を振り絞ってソファに寝かせた――がよろよろと右手を上げた。
「ごめん……ライフ……まだメディアス一人も見つかってない」
 言い終えると片手がぱたりと落ちる。とりあえず寝かせた方がいいんだろうか、完全に置いてけぼりを食らったライフガントルは、まだ元気そうなロニテスに視線を向ける。
 ロニテスはロニテスでソファの下でぐったりとしていたが、ジュノンよりはと思ったのだろう、ライフガントルの視線が向かうとのそのそと起き上がり、自分から一人掛けのソファに座った。
「……説明するよ、するけど、その前に水をくれないか」
 言われてコップに水を入れて手渡すと、一気に飲んでロニテスは深呼吸をした。
「大丈夫か?」
 しかしライフガントルは彼らの疲れ具合が何かしらの襲撃があった故のものではないときちんと理解していた。自分が考えていたほどの面倒を起こしていなかったことに内心安堵しながら、あいているソファに座ってロニテスを見た。
「俺達、昨日一日中外でメディアス探ししてたんだ。けど、そとなんてほとんど人がいないだろ。だから今日は、先に人が集まりそうな店を探してから出ようってことになって、レレガさんに聞いたんだよ」
 レレガ、と言われて、瞬間それが誰だかわからずライフは顔をしかめた。すぐにその名がこの宿の主人のものであるとわかったが、訪れた時から感じる違和感をぬぐえずしかめた顔は戻らない。
「だけどオーバー出身だから知らないって言われて、途方に暮れてたんだよな。でも、そこで気付いたんだ」
「気づいたって、何を?」
「外にゃ人がほとんどいないのに、なんでこの宿屋だけこんなに人が泊ってるのか? 考えてみたらおかしいだろ、こんな、正規ルートじゃ絶対来ないようなところに、宿屋がいくつもあるんだぜ」
 ロニテスは身を乗り出して言った。
「だから、気配察知力の高いジュノンに頼んで、この宿を出入りする人の中にメディアスがいないかどうか確かめてたんだ」
 言いながら、ロニテスはローテーブルの上に置いてあったメモを差し出した。見ると、メモの中には何人が一階を通ったか記されている。見る限り、その中にメディアスらしき気配の人間はいなさそうだったが。
「なるほどな。遠からず、ってとこか」
「は?」
「いや、こっちの話」
 ロニテスは何か疑り深い視線でライフガントルを見ていたが、やがて視線をそらしてコップを突き出した。
「おかわり」
 言われて、思わず苦笑する。二人で一日中部屋にこもっての作業は大変だっただろう。それでなくとも、ジュノンもロニテスももともと頭を使うより体を使う方が得意なタイプだ。
 ライフガントルは苦笑を浮かべたままコップを取ることで返事をした。立ち上がって水差しから水を注いでいると、不意にロニテスが声をかける。
「ライフ、お前さ――」
 その言葉が何かただならぬ雰囲気を持っていたから、思わず手を止めて振り返る。ロニテスはこちらを見ていなかったが、それでも何か考えるように口をつぐんでいた。
「……いや、やっぱいい」
(なんだ?)
 その態度に妙に苛々としたが、無理に聞き出すことはないと自分に言い聞かせ、ライフガントルは再度ロニテスにコップを渡した。
「おお、サンキュ」
 そして、そう言って礼を言ったロニテスの顔には、すでに笑みが浮かんでいた。

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