三人がばらばらになった広場を離れた教会の屋根から眺める。差し向けた魔物は上手くやっているようだ。約束どおり、今まで一人も殺してはいない。気まぐれとはいえ、自分もおかしな命を出したものだと笑った。
「あれは……?」
ふと目に留まった一つの人影。黒髪をなびかせながら危なっかしく攻撃を避け、命中こそしないが良いところに攻撃を繰り出す、女。
顔はぼんやりとつぶれてしまって、異常発達した己の視力でも確認できなかった。しかし、見たことの在るような風貌。ふと、憎悪が湧き上がる。
「いや、しかしあれは男だ」
性別が違ければ始末する必要もないだろう、考えて自己完結。しかしどうにも気になるので、指を一つ鳴らしてこめかみに指を添える。
「風の魔人、ヒューガ。聞こえているか?」
数秒たって脳に言葉が響いた。否、自らの脳に響いているのではない。自分が相手の脳に入り込んでいるだけ。相手は特別何もしていない、ただ、脳内で返事をしているだけ。
『光の、悪魔、様。己、聞こえる、います』
あいかわらずたどたどしい口調に、やはりもう一階級上の魔物を使えばよかったと思う。しかし、思うだけ。
「今、標的のほかに二人増えただろう」
『はい、増えた、二人、男と、女』
返事をしながら、魔物が本来の標的に中技を繰り出した。それまで接近戦に使っていた鎌を中距離から大きく振り、斬撃を飛ばす攻撃。あて続ければ次第に威力が増してゆく、長期戦に有利な攻撃だった。
「どちらも殺せ」
感情の無い声で言う。
「少なくとも、女だけは」
淡々と述べる間にも魔物は言われたとおりに攻撃を出し続けていた。
『ジュノン! 右側から複数斬撃!』
耳元で鋭い声がした。走り続けた身体は酸素を吸収しようと大きく前後している。息を荒げながらもジュノンは静かに右手を広げた。
「結界!!」
叫びながら意識を集中し、己の周りに闇色の結界が出来る。斬撃は結界にぶち当たりジュノンに届くことは無かったが、彼の身体は限界を超え始めていた。
「いくら、ライフが、指示、出す、って言っても、さ……やっぱ、つら……!!」
攻撃自体はさほど受けていなかった。しかし、どこから攻撃が来るかわからないために走り続け、さらにこちらから攻撃を仕掛けるとなると疲労は傷を受けるより多い。いっそ倒れ伏して眠りたかったが、それはロニテスも同じ事。ライフガントルも自分の結界を保ち続けているのだから、相当な疲労なのだろう。
己の結界を通してみる世界は常に白黒となる。ジュノンはその感覚が好きだった。白と黒だけの世界。汚いことも辛いことも無くて、ただそれだけの世界。ゆっくりと立ち上がる。見えるのは白と黒。手にしていた剣に意識を集中させて、ライフガントルの指示を待つ。
それは、彼らが何かと対峙するときによくやる戦法だった。
『ジュノン、あれやるつもりか』
イヤリングからライフガントルの声が聞こえた。ジュノンは小さく頷く。たとえ小さな動作でも、ライフガントルは全てを見つめていると知っていた。
『わかった、いつも通りに』
そう言って言葉が切れると、再び右手を広げ意識を集中する。疲労した身体でいつまで持つかわからないが、先ほどから結界がゆれているところを見ると魔物は自分を狙っているようだ、それは彼にとってチャンスだった。
強く、強く、脳内で念じると、結界はその色を徐々に薄めてゆく。まるで消えてしまうかのように薄く薄く、色を無くす。
完全に結界の色が無になったとき、イヤリングが小さく揺れた。
『来た! 上だ!』
どうやら真上から一思いに、という策略らしい。ジュノンは小さく笑って剣を握った。
「剣よ、どうか闇をつらぬけっ」
小さく呟きながら、剣に込めた力が剣の影をすってゆく。影を失った剣は徐々に発光すると、ジュノンが振り上げたのと同時に真上の結界を突き破った。
結界の上に魔物が音を立てて乗るのを感じた。うろたえる様子から、やはり結界が消えたと思ったのだろう。そこに丁度よく刺さるよう、突き抜けた剣を勢いよく振り下ろす。
『!!』
魔物が瞬間反応して飛び降りる。が、ジュノンの振り下ろす剣はそれより早く彼の足を捕らえた。どす黒い血液が飛び散る。振り下ろすと同時に、一緒に切れた結界の隙間から、魔物の血飛沫が飛んできた。
「うわっ」
思わず目をつぶるも、着ていた服は血まみれだ。やっちゃったな、と思いながら、ジュノンは何かを感じてあわてて左に避けた。
「ジュノン!」
ロニテスがこちらへ走ってくるのが見えた。攻撃は右側から断続的に続いている。
ただ違うのは、その姿が噴出した血によって見えるようになったということか。魔物がどのような姿まではわからないが、「そこにいる」ということがようやく見えるようになった。
「てやっ」
掛け声を上げながら魔物に切りかかる。重たい剣を振るのは未だに慣れないが、腕に力を込めて振り上げ続ける。
魔物は悲鳴も雄たけびもあげなかった。代わりに血の流れる箇所が徐々に増えてゆく。しかしそれは、擦り傷程度の流血だ。
「ジュノンかがめ!」
鋭い叫び声が聞こえ、反射的にしゃがみこむ。頭上を何か青白いものが飛んだかと思うと、魔物の攻撃が止まった。
「やったかっ?!」
ロニテスの声が聞こえ、あわてて魔物のそばから離れる。見ると、彼の手には先ほどの結界と似たような質で出来た弓が握られていた。血によって標的が目に見えるようになり、中・遠距離からの攻撃が可能になったためだろう。
距離を置いているロニテスのもとまでたどり着く。魔物の様子を伺うが、存在がわかるだけで彼がどんな表情をしているのか、どうなったのか判断できない。
するとそのとき、ふわりと音がして背後にライフガントルも降り立った。
「どうしたんだ、やつは」
「今どうなってるの?」
「わからん。矢は命中したがあまりこたえてないようだな。ただ、何かを待ってる……ように見える」
尋ねたジュノンにライフガントルは首をかしげる。そもそも、ライフガントルにだけ魔物が見えるということ自体がおかしかった。
(人獣型には様々な個別能力が在る。こいつの能力はもしや……)
ライフガントルが一つの可能性を考えたときだった。何かが視界の上部を掠める。それを見たのはライフガントル一人ではなかったようで、三人が三人、空を見上げた。
「何だあれ」
ロニテスが声を上げる。それは人、のようにも見えた。空の上の、上のほうから落ちてきているようだ。
「ロニテス、この結界上まで囲ってるんだよね?」
ジュノンが念のため聞くと、ロニテスは小さく頷いた。黒い点は急送に落下している。
あ、と誰かが声を上げたとき、それはすでにロニテスの結界を破ってこちらに侵入していた。
「何だ…?」
何かいやな予感がする、ライフガントルは続けて呟いた。魔物もジュノンもロニテスも、もちろんライフガントルも。その場の時間が止まったように動かない。
黒い点はもうきちんと人間の姿を現していた。闇色のローブをはためかせ、狼の面をかぶった少年。黒髪が風で舞っていて、どこか美しい。
『主、様』
はっとなった。突然脳に響き渡った声。同時に発せられた魔物の声。全く別の音域なのに、なぜかジュノンは同じものだと知っていた。
「ロニテス」
思わず呟く。ロニテスもわかったように頷いて、しかし何も出来ない。
狼面の少年はそのまま地上付近で速度を落とし、ゆっくりと着地した。その際にちらりと見えた、青いピアス。どこか懐かしいような気がして、目が離せない。
『まだ、殺して、無い、まだ、待つ、頼む』
再び魔物の声が木霊して、ジュノンはゆっくりと狼面に目を向けた。表情はわからない。ただ、少年が微笑んでいるように感じた。
「そうだな」
聞きなれない声がして、それが少年のものだと気づくのに数秒かかった。全てがゆっくりで、全てが曖昧。とろけてしまいそうな感覚に疑問を覚えながら、ジュノンは、ロニテスは、ライフガントルは、事の成り行きをただ見つめていた。
狼面の少年は、ゆっくりと魔物らしきものまで近づくと、優しくなで始めた。彼が撫でるたび、その姿が揺れ、揺れ、やがてはっきりと映し出されてゆく。
「あ!」
ジュノンが声を上げたとき、魔物は完全に見えるようになっていた。
小柄な小熊に似た体系、両の手首から肩に向けて鋭い刃が突き出ており、二足歩行の魔物。
「見える……」
「俺もだ」
どういうことだ、聞く前に声がさえぎった。
「やはりまだ目覚めてないんだな……期待はしていなかったが、つまらない」
少年はいつの間にかこちらを見つめていた。
狼面の奥で漆黒の瞳がきらりと輝く。全員が、彼が何を言っているのか理解できなかった。しかし少年は気にせずに続けた。
「ロニテス・スキア」
「こいつに勝てなくて悔しいか?」
何故名を知っているんだ、問い詰めようとした瞬間に、はっとなる。
己の中の深い深い、闇の部分。常に抱いてきた劣等感。劣等感。
俺は なんで 生きて 生きて 生きて いる?
「俺……は、」
声を出そうとして、のどが震えた。どうしようもなく苦しい。ジュノンがこちらを心配そうに見ているのがわかって、それが酷く苛ついた。
狼面の少年はその面を魔物のほうへ戻すと、何事も無かったように腰の刀に手を載せた。
「時間切れだ」
言って、瞬きの間にすでに魔物はその首を失っていた。生々しい色があたりに広がる。突然舞い降りた酷い匂いに、ジュノンは思わず顔をしかめた。
「なんてことを……」
瞬間的にライフガントルがそう呟いた。狼面の少年は何も言わない。ロニテスは目の前の光景から目を話せられず、ジュノンはうつむいたままだった。
「僕は再び現れる」
言いながら、少年が触れていた部分から魔物の身体が灰となってゆく。さらさらと風に乗り、緩やかに緩やかに。
「今はまだ、殺してやらない」
呟いた声は酷く低くて。ロニテスは、己の中の劣等感とかそういうものが、段々と増長してゆくのを感じた。
膨らんで膨らんで、やがて破裂するのだろうか。ぼんやりとそんなことを思ったとき、全て灰となった魔物を風に流しながら、少年は静かにその面に手をかけた。
「しかし再び垣間見るとき、そのとき僕は貴様らを殺さずにはいられない」
狼面が外れる、みながそう思った瞬間、一陣の風が吹いて全てが消えた。灰となった魔物も、そこにいたはずの少年も。
「消えた……?」
目の前で起きた出来事に、驚きを隠せないままジュノンが呟いた。目の前に残るのは彼の魔物の血痕だけ。
赤々しいその色を見つめながら、ロニテスはぼんやりと、先ほどの劣等感が消え去るのを感じ取った。