5. prevention against evil

 開け放たれた扉に立っていたのは、銀の鎧を纏った強面の男だった。鎧の上からわかる筋肉のつき具合に、ライフガントルが思わず自分の筋肉と見比べる。男の顔を判断して、声を上げたのはロニテスだった。
「隊長!」
 呼び声に男は額の皺を深くした。勢いよく立ち上がったロニテスを見据えて、顔に合う低くうなるような声で端的に用件を述べる。述べるというよりは、叫ぶに近かったのだが。
「時計台広場に魔物だ! 人語を話しているようだが、古代語で誰もわからん! 知能レベルが今までの比じゃないんだ、俺達じゃ誘導すら到底かなわん、すぐ出てくれ!」
 堰を切ったように叫びながら、男はその巨体をロニテスが通れるよう、のけぞらせた。瞬間、できた隙間にロニテスが飛び込むように出て行った。
「え、あの、どういうこと……?」
 展開についていけなかったジュノンは、なんとか事の重大さを理解し、ロニテスを追う準備を始めたライフガントルと、入口でロニテスの去ったほうをぼう、と眺める隊長とを見比べた。答える者はいない。
「行くぞ、ジュノン。戦闘だ」
 答えの代わりにそんな言葉が聞こえ、振り返ると己の剣が放られた。あわてて握り締め、先に出ようとするライフガントルのあとに続く。
 しかし、隊長と呼ばれた巨体の男は、ロニテスのときとは違い一向にどこうとはしなかった。
「どいてくれ、人獣型の魔物を、あいつ一人で倒せるはずが無い」
 助太刀にいかにゃ、おどけるようにライフガントルが言って、男はその強面に深い皺を入れた。同じように低い声で、だが今度はやや落ち着いた声で言う。
「旅人と言えど、一般人を巻き込むわけには行かない。お前は何とか戦えるかもしれないが、そっちのお嬢さんは残っていただく」
 随分な言い草だ、とライフガントルは思う。同じ旅人で一般人でも、強そうに見える自分はどうやら例外らしい。
(それはそれで光栄なことだが)
 心中で苦笑して、三度女扱いされたジュノンをちらりと見やる。が、今度は先ほどのような爆発的な怒りではなく、静かな怒りを煮えたぎらせているようだ。
「すみません、僕は男です」
 本人としてはついでにメディアスであることも暴露したいのだろうが、今ここでそれを暴露して邪険に扱われては仕方がない。状況判断が出来る程度には落ち着いているようだと、ライフガントルは内心ほっとした。しかし現状は至ってまずい。
(人獣型は魔獣型と違って知能レベルが高い。しかしそれは理解力と順応力が優れているだけで、実際には自分から行動を起こしたり、他の魔物に命令を下したりして実力を発するものは少ない。ゆえに魔獣型よりも被害は格段に低いんだが……)
 ゆえに、その力は未知数なのだとライフガントルは思う。相当な力を持っていながら、行動を起こさないばかりにくすぶっている魔物が多いのだ。
(人為的策略が見えるな、こりゃ。ひょっとするとジュノンを追ってきたか…?)
 最悪の可能性を考え、最悪の逃亡方法を計算しながらライフガントルは男ににらみを利かす。
「とりあえず、俺たちはああいうのを専門に退治して回ってるんだ。あんた達より場数は踏んでる」
 ライフガントルが言って、男が真意を確かめるためジュノンを見やる。男か女かいまだに判断をつきかねている様でもあった。
「本当だよ。僕達は旅の魔物退治屋。僕達がどうなろうとあんた達は何の責任を取らなくてもいいけど、僕達が手を貸さなかったら、この町、崩壊するかもよ?」
 ライフガントルに目配せされ、思いついたジュノンがそれにあわせる。実際にジュノンは何でも屋として魔物退治もやっていたし、ライフガントルにいたってはもはや論外だ。ジュノンの数十倍は生きているのだ、相当数の魔物と対峙したに違いなかった。
 最も、時計台広場で騒動が起きているなら、この宿屋もそうそう安全とはいえなかった。ここは一般人を町の外れまで避難させることを優先すべきだろう。
 男はジュノンの言葉を聴いて観念したのか、無言で身体を避けた。
「ありがとよっ」
「どーも」
 言いながら二人は駆け足で出て行く。ジュノンにいたってはいまだ女物の服を着ていたが、この際気にしてなどいられなかった。今まで着ていた服は今頃、宿屋の庭ではためいているのだろうから。
「で、ライフガントル、魔物が人語を話すって、どういうこと?」
 宿屋を飛び出して逃げ惑う人の波に逆らいながら、ジュノンはようやく聞きたかった疑問を問いかける。人の波といっても、騒動を聞きつけたこの辺の近隣住民が逃げ出しているだけで、時計台広場にいた人々はすでに逃げ終わっているようだったが。
 ライフガントルは一瞬ジュノンを見たが、あとは同じように走りながら、
「見かけは普通の魔物と変わらない。ただ、特別変異だかなんだかで、異様に脳の発達した魔物が生まれるんだと。そいつらは古代人語を話せるが、基本的に自発性がなく、普通は洞窟とかで引篭もってることが多い」
 淡々と述べながらも、時計台広場へと確実に近づいていく。見えてきた鐘の形に、うっすらと何かの影が映った。
「それってつまり……」
 ジュノンが言われたことの真意を理解して、声を発す。鞘に納まっていた剣はすでに抜き身となっていた。ライフガントルも、腰のポーチからチャクラムを取り出している。
「つまり、そういうことだ」
 言ってライフガントルは再びジュノンと視線を合わせた。その口元にはなにかいやな笑みが浮かんでいる。ジュノンは自分の予想が的中したことに少し恐怖し、そして身構えた。
「いこう、ライフ。ロニテスを助けなきゃ」
 走る速度を上げて、呟くように言う。
 時計台広場まで、あと十五分。


 ロニテスが広場に駆けつけたとき、すでにそこは惨事だった。
 時計台は壊されていなかったものの、周辺の店が徹底的に破壊され、辺りには逃げ遅れた人間の山。まだ怪我を受けていない者は自分が逃げることに必死で、どこかしら怪我をして上手く逃げれない者をおいていく。死体が増えるばかりだった。
 建物は真上から踏み潰されたような崩壊をしていた。そこでロニテスは相手が自分より巨大だと思ったのだが、それらしいものは無い。
(もう別の通りに移ったか…?)
 一瞬そんな考えがよぎったが、倒れてゆく人の数は増えるだけ。とりあえずこの事態で今自分がすべきことは、すでに自衛団が行っている救助活動を手伝い、迅速に広場に結界を張ることだった。敵をそこから出さないように。
 とりあえずそばにいた男――右足を切断されたらしく、生々しい赤色を滴らせながら、匍匐全身で必死に前に進もうとしていた――に声をかける。
「おい、大丈夫か!?」
 声をかけると男は一瞬表情を和らげ、
「ああ、たす、助けて……く」
 最後まで声は出なかった。よほど安心したのか、男はそのまま意識を失う。息が続いていることを確認して、ロニテスは緊張で硬直したその背中に手を置いた。力を込める。
 瞬間、手から透明な水色の何かが放出され、弾力の在るそれはするりと男を包み込んだ。
 それは巨大な水泡だった。しかし中は息が出来るらしく、こぽこぽと男の呼気が見えている。ロニテスはその水泡に手を触れ、軽く押す。すると水泡はゆっくりと通りめがけて転がりだした(しかし中の男は固定されたように動かない。水平を保っていた)。
 時折水泡が歪むが、力に合わせて形を変えるのみで、男まで届かない。相手が見えない敵なのだと気づいたのは、そのときだった。
(早すぎて見えないのかとも思ったけど、水泡のへこみ具合と場所、回数から見て姿を消してる可能性が高い。こりゃ、何とかして相手を見つけなきゃまずいな…)
 とはいえ、相手がどんな魔物なのかわからない限り何の手も打てない。わかることといえば、古代語で人語を話すことと、何か巨大な力を持っているということ。あとは、男や他の怪我人の怪我の様子から、鋭利な刃物を持っていることくらいか。
 やっかいだ、と心中毒づいて、ロニテスは地に右掌を置いた。
「ひとまず怪我人だけでもなんとかしないとな!」
 わざと明るく言い放ち、瞬間的に力を込める。
 ロニテスから発せられた力の波長は、地中を通り倒れている者や動けない者、必至に動こうとしている者に到達し、先ほどと同じような水泡を為してゆく。
 水泡に入った者は最初混乱したようだが、数分すれば皆眠ってしまった。
 地から手を離し指を振る。通りのほうへ。するとどれからともなく、いっせいに水泡は動き出した。
「ロニテスか! ありがたい、俺達じゃ救助も追いつかなかったんだ!」
 ふと、遠くから声が聞こえ、ロニテスは振り返って手を振った。自衛団は救助が必要なくなったことをすぐさま理解し、次にすべき行動――怪我をしていない者の避難誘導――に移していた。
「悪いがここで仕留める! お前らもすぐに退け!」
 叫び声と共に返事が多方から聞こえ、ロニテスもまた誘導活動に移る。早く移動させなければ。これ以上怪我人が出ることは許されなかった。


 全ての一般人を避難し終えると、各方面へ続く通りの入口と広場とを隔離した。
 魔物によるものだと思われていた攻撃は、ロニテスがいっせいに水泡を移動させた辺りから途絶えており、そのことが気がかりだった。
 見えない以上、相手から仕掛けられないと状況がわからないのだ。
 しかしロニテスは一つ疑問に思うことがあった。
 自分は相手の姿を見ることが出来ないが、宿屋に来た隊長はなんと言っていた?
――人語を話しているようだが、古代語で誰もわからん! 知能レベルが今までの比じゃないんだ
 けれどロニテスは、相手が攻撃しているのはわかれども、話しているかどうかなどわからなかった。
 姿を消しているのは確かに知能レベルが高いことになるかもしれないが、それだけでは不十分。気がつく。
(隊長たちには見えて、俺には見えていない?)
 彼らが嘘をついているのか、それとも己の目が悪いのか。
 ロニテスが混乱し始めた、まるでそのタイミングを狙ったかのようだった。
『メディアス、お前、己、見えて、いない、な』
 低く響いたその声は、ロニテスの張った水結界を震わせた。びりびりとした圧力の中で、必至にその意味を聞く。
 確かに声の話す言葉は自分達が使うそれとは違い、なんだかよくわからない言葉だった。ロニテスは古代語を知らない。しかし、耳から入る音声とは別に、声にあわせて脳内で響き渡る……もう一つの声。
『メディアス、己、メディアス、探していた。お前、そう、だな?』
 激しい頭痛に見舞われながら、ロニテスは顔をしかめた。
 脳内で響く声は、完全に耳から入る声と同調し、重複している。つまり同じものなのだと理解するのに、時間はかからなかった。
『己、メディアス、殺す。殺すと、たくさん、もらえる。』
「……俺を殺すと、何がもらえるって言うんだ!」
 言葉の意味を飲み込みながら、どこにいるのかわからない相手に聞き返す。まるで狂ったようだと、ロニテスのどこか冷静な自分は嘲笑した。
『お前、殺すと、たくさん、もらえる。己の、好物』
「好物……」
 思わず嫌な予感が脳裏に浮かび、頭痛と混じって消えてゆく。考えたくない、考えたくなかった。
『に ん げ ん』
 どうやら相手はにんまりと笑みを浮かべたようだと、ロニテスは悟った。混乱に混じって様々な思考が駆け巡り、ぐちゃぐちゃになる。
 声は続けた。
『お前、だけ、殺すと、たくさん、くれる、約束、した』
「……誰、が」
 もはや限界だ、悟ったときにはすでに膝を突いていた。
 脳内に響き渡る不気味な声が、耳からいる低い雄たけびが、ロニテスの全身を駆け巡り、汚染していた。
『それ、は、言え、ない』
 何者かと手を組み、自分を殺すためだけにこの町に来たのかと考えて、酷く寒気がした。体中に違和感が走る。膝がガクガク震えていた。
(手を……組んで、魔物なのに…魔物の癖に、約束を、守って……)
『だから、今まで、まだ、誰も、殺して、ない』
『お前が、出てくるまで、怪我、させた、けど、殺して、ない』
『でも、あとで、殺す』
『皆、殺す』

『もらった、あとに』

(殺すために生かした、のか)
 魔物が、先ほどよりも笑みの色を強めた気がした。
 つまり、それは、
(俺が、負ける……)


 時計台広場付近まで行くと、そこは奇妙な水泡で溢れていた。水泡の中には必ず、一人だか二人だかの怪我人が入っており、先ほどの男と同じ銀鎧を身につけた兵士が控えていた。水泡の中から人を取り出そうとしているようだ。
「これ、なんなんだろ…」
 スカートをはいて剣を構えていることで、周囲の視線を集めながらジュノンは言った。
 水泡から取り出した人を安全な病院に運ぶ兵士も、運ばれている怪我人も、不思議そうにジュノンを見つめる。
「こりゃぁ、あいつの三界力と同じだな。しかしまぁ、よくこれだけの力を使えたもんだ」
 水泡をかわしながらライフガントルがふと呟いた。
「あいつって、ロニテスのこと? これだけの力って……あ」
 全ての水泡を抜け、自衛団だと思われる兵士に軽く会釈をし、止められるのを振り切って広場の入口までやってきて、ジュノンはライフガントルの言葉の意味に気がついた。
「結界が……」
 上から下まで多い尽くすようにして、そこには薄い水色の膜が張っていた。ジュノンが作り出すそれとは質も色も異なるが、それは明らかに結界。張った人間のみが剥がすことが出来、それまでは何人たりとも進入不可能な、結界。
「どうしよう、ライフガントル」
 これじゃあ助けにいけない、焦る気持ちと嫌な予感とが交じり合って、ジュノンはライフガントルを振り返った。
「どうしようもないな、これじゃ」
 しかし返った言葉はあっさりと、確実に現状を述べていた。
 思わずうなだれる。
「どうしようもないが、どうしようもないときは、どうにかすればいい」
「え?」
 下がった腕が力を戻す。言われたことの意味がよくわからなかった。
「結界を通り抜けようとしたら、通常は弾け飛ばされるか、または何かの障害が起きる。しかし見たところによると、この結界の質は水。となると、この結界のただ一つの弱点は?」
 言われた意味がよくわからずに、ジュノンはその場で首をかしげた。
「え、え、わかんない……」
「しょうがねぇなぁ…」
 言って、ライフガントルはポーチから黒縁の鏡を取り出した。右掌に鏡の面を上にして乗せ、左手で覆う。そのまま左手をふわりと上げると、鏡から淡い光が漏れた。
「これは俺の魔力に反応して、見せたい映像を浮かべるんだ。よく見てろ」
 ライフガントルがそう簡単に説明している間にも、鏡から出た光は形を変え、ボールを半分に切り取ったような形になる。中心には小さな時計台が見え、その周辺に赤い点が光っている。
「この赤い点がロニテス、半円が結界な」
 直後、半円の外に青い点が二つ現れた。
「この青い点は?」
「俺達だ」
 ライフガントルは青い点に向けて左手の人差し指を向ける。すると点がゆっくり移動し始めた。
「俺達が何もせずに結界を通ろうとすると、」
 言って、点が半円に到達する。とたん、ぱち、と軽い音とともに点が撥ね退けられた。
「こうなる」
「うわ」
 点の動きが意外と速く、ジュノンが思わず目をつぶった。ライフガントルは続ける。
「でも、結界が水だと、あるものを使えば結界から分離される。こんな風に」
 青い点は再びゆっくりと半円に近づき始めた。近くまで来ると、青い天の周りにぼんやりと白い半円が表れる。大きさは元からあった半円の三分の一も無い。
 白い半円で囲まれた青い点は、先ほどと同じように大きな半円に近づいていく。すると、今度は弾かれることなくするすると中に入っていった。
「え、え、すごい!」
 思わず声を上げたジュノンに、ライフガントルは片目をつぶりにやりと笑う。
「さて、問題です。あるものとはなんでしょう?」
「え?」
 言われたことの意味を理解して、ジュノンはあ、う、とよくわからない言葉を発す。女物の服を着ているため、その姿は完全に女のそれだった。
「簡単だろ、唯一水と交わることが出来ない物体」
「唯一水と……もしかして、」
 は、としたようにジュノンが顔を上げると、それが何か見当がついたライフガントルは軽く頷いた。
「でもどうやって?ただ身体につけるだけじゃ……」
 押しつぶされちゃうよ、言う前にライフガントルは再び口角をあげた。
「ばぁか、結界を使うんだよ。結界と結界が合わされば爆発が起きるが、結界の上からつければ平気だろ?」


 ぼんやりと流れゆく空を見ていた。ややくすんだ色の白い雲が、ロニテスの真上をゆっくりと通り過ぎていった。
「……っつ」
 体中が痛い。致命傷はないものの、そこら中が切り傷だらけだった。血が滴る。
「どこにいんだよ……!」
 声が聞こえても姿の見えない魔物は、自分に話しかけながら静かに攻撃をかけてくる。何とか狙いをそらせているのか、それとも魔物が自分から狙いを外しているのか。どちらかわからないが、とにかく歩けないほどの怪我は無かった。
 痛む身体でゆっくりと立ち上がれば、再び斬撃が襲い来る。寸でのところで見切り身体をそらすが、腹部に傷を受けた。
 今度の傷は、それまでのものよりもざっくりと深い。ロニテスは己の体力の限界を悟り始めていた。
「くそっ」
 荒い息を一つはいて、口の中の血をつばとともに吐き出した。声が、かかる。
『己は、好まぬ、人、身体の、一部、なくなる』
「……じゃぁ何で斬った」
 言われたことと、魔物がしていたことの矛盾に腹が立つ。ロニテスは低い声で続けた。
「じゃあ、なんで町の皆を斬ったんだ!! 仲間の足を、腕を、斬ったんだよ!!!」
 声は答えない。魔物が静かに微笑んだ気がして、思わず寒気がした。
 この震えは怒りからか、それとも恐怖からか、それすらもわからない。
『あとで、もらう、だが、逃げられる、駄目』

『いっせいに、食う、から』

 おぞましい声は広場に響く。自分の結界が防音効果も持つことに感謝した。否、たとえそれが無くとも、古代語で話される魔物の声は、町の者には理解できなかっただろう。
 せめてもの救いだ、思いながら集中する。自分の中の何か不思議な力が、ふつふつとこみ上げてきていた。

 それは怒りか、それとも恐怖か、

 ただ、勝つためにはこの力に身を任せるしかないと直感していた。どうにでもなれ、なってしまえ。
 力に身を任せようとした、そのときだった。

「ロニテスっ!!」

 聞き覚えのある叫び声が聞こえるのと、自分が何かに覆われて、その瞬間に魔物の斬撃が繰り出されるのと同時だった。
「ジュノン!?」
 覚えのある声とともに現れた二人組、名を叫べば、女顔の彼は少し顔を強張らせた。
「すごい怪我! 手当てしなきゃ……!」
 わたわたときていたカーディガンの袖を破り、包帯代わりにするジュノンを見てロニテスは一瞬呆けた。事態が上手く飲み込めない。ライフガントルは自分達の傍らで、魔物が攻撃できないように結界を張っているようだった。
「お前ら……どうやって入ったんだ? 結界を張っていたのに」
 破られると思っていなかった、破られるわけがないと自信を持っていたが故に、ロニテスは困惑を隠せない。ジュノンはにこりと笑った。
「油だよ。ロニテスの結界、質が水属性でしょ? だから、身体を結界で覆った上に油をぬったんだ」
「油……」
 考えたことも無かった、ロニテスは口の中で呟いた。
(どの結界にも一つだけ弱点が在る、でも俺は自分の結界の弱点を見つけられなかった。それが、まさか油だったなんて……)
 どの結界にも一つだけ、しかし自分にそれが見つからないことを、ロニテスは密かに誇りに思っていた。そう思うことと同時に、不安も抱いていた。弱点が見つからないということは、逆を言えば弱点だらけなのかもしれない。弱点が多すぎて、見つからないだけなのかもしれない。いつどんなとき、どんなことで破られるかわからない結界を張ることは、ロニテスにとって恐怖に等しかった。
 故に、ロニテスは自分の中に安堵が生まれるのを知った。今まで凍り付いていた何かがゆっくりととけ、ようやく一つになれたような気になる。何より、結界を破って自分を助けに来てくれたこの二人に、とても感謝したかった。
「ありがとう」
 一言、弱弱しいけれどしっかりとした笑顔で言った。ジュノンも笑う。
「おい、笑ってる場合じゃないぞ」
 一瞬和やかになった場を再び緊張が覆った。ライフガントルがロニテスの頭をごつ、と叩き、顔を上げたロニテスに回復系の魔法をかける。
「俺は元々攻撃系魔法使いだ。回復魔法は三十分しか持たない。三十分間だけ、お前がそれまで受けた傷の痛みは消える。しかしこれから先受ける傷は癒されない。三十分経てば元の痛みも戻る。無理はしないことだな」
 言いながら、ライフガントルの手から淡い光が放出され、ロニテスを包んで消えた。光の消滅と同時に、それまで受けた傷も消えた。
「……わかった」
 痛みの無くなった身体で立ち上がり、確かめるように拳を握った。
「魔物は俺には見えないらしい。鋭い刃物で切りつけてきて、古代語で話しかけてくる。でも俺には、何を言っているかなぜかわかるんだ」
 口に出してみて、自分が得た相手の情報が本当に乏しいことを知る。なにもわかっていない。なにもできていない。己の無力さを改めて痛感し、しかし今更どうすることもできない。
 やるせない気持ち。
 しかしジュノンは一つくるりと辺りを見て、はて、と首をかしげた。
「ロニテス……どうやら君だけじゃないみたい。僕、僕も見えないんだけど」
 彼がいう間にも、ライフガントルの張る結界がぐらり、ぐらりと揺れていく。
「ジュノンも……? ライフガントルはどうなんだ?」
聞くと、彼はしかめっ面で答えた。
「俺は見える。さっきお前に結界を張るよう指示したのも俺だ。ジュノンが見えていないようだったしな」
 なるほどと合致して、ロニテスはなら、と声を出した。
「ライフガントルが指示を出してくれ。俺やジュノンはそれに向かって攻撃するから」
「そうだね、それしかないみたい」
 ジュノンも同意して、ライフガントルが結界を解く。すぐさま一人ずつ順に攻撃を受けたが、それぞれが軽症で済んだ。
「こいつをつけろ! 俺の指示がどこでも聞ける優れもんだ。とりあえず散らばれ!!」
 投げられたイヤリングをキャッチして、ジュノンもロニテスも頷いた。それぞれ走りながら耳につける。ライフガントルは魔法で自身に結界を張り、宙に浮かんで広場を見渡せるようにした。
「さあ、ここからが本番だ」
 走り去る二人と、巨大鎌を腕につけた小柄な魔物を見比べて、ライフガントルは声を出して笑う、だけ。

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