数時間の後、汽車は無事ダキリアホームへと到着した。寝台車に乗っていた二人は、狭い空間で固まった筋肉をほぐしながらゆっくりとした足取りでホームへ降りる。
ダキリアは東部唯一の観光名所であり、荒野の真ん中に位置している。
森に囲まれたレイズンガルドとは違い、辺りに何もないため敵国や闇組織から狙われやすい地域だが、自衛団を結成し何とか町を守っている。
田舎生まれのジュノンは、ホームを出てすぐに広がった活気ある町並みに思わず感嘆の声を漏らした。
「人が一杯いる…」
身動きが取れなさそうだ、ぼんやりと付け足したジュノンを見て、ライフガントルは苦笑する。
「そりゃそうだが、敵さんもこんな街中で戦いは仕掛けないから安心しな」
噴出したように笑うライフガントルを見てジュノンは思わず赤面したが、けれど初めて見る活気溢れる町並みがものめずらしくて仕方がなかった。
「宿とって来るから、見学してきたらどうだ? 三時間後にあそこに見える時計台の下で待ち合わせてさ」
そわそわしているジュノンを見かねて、ライフガントルはそう提案した。ホームの階段から人々の頭を通り越した先にある時計台を指差して、笑顔を見せながら言う。
「ホント!?」
心のうちで「大変な時期に」と思う半面、初めて訪れた観光名所に興奮と興味をそそられて、ゆれながらジュノンは聞いた。
「こんなときだからこそ、動けるときに思い切り動いておきな。いろんな人に出会えば、その分仲間を見つけられるかもしれないしな」
二人は顔を見合わせて微笑んだ。どちらから何を言うまでもなく、ゆっくりと階段を折り始める。
「じゃぁ、一時半に時計台の下で」
互いの拳と拳をこつんと打ちつけ、ライフガントルは宿を探しに人込みに消えていった。
「…僕も行くか」
どこから見よう? 何から見よう? 初めて湧き上がる不思議な感情を胸に、ジュノンは足取り軽く階段を駆け下りた。
人々で溢れかえった市場で、ジュノンは全く身動きが取れなくなっていた。右を向いても人、左を向いても人、どこを向いても人ばかりの状況に困惑しながら、流れに流されるまま動いている。流れてゆく景色の中のほとんどが、実に様々な出店の数々なのだが、ジュノンは足を止めて中に入ることも儘ならなかった。
「わっと……ごめんなさい、あ、踏まないで……いたっ」
人込みにもみくちゃにされながら、何とか細い路地の前までやってくる。丁度通り側に押しのけられていたジュノンは、助かったといわんばかりに路地へ飛び込んだ。その際にぶつかった人数は一体どれくらいだか、ジュノンにはわからないが。
「やっと出れた……」
思わず肩で息をしながらしゃがみこむ。其の位置は見事に道の真ん中だったが、細い路地では真ん中も端も同じようなものだった。
すすけた地面を見つめながら、ジュノンは自分が震えていることに気がついた。
(ああそうか、今までこんなに多くの人と一気に触れ合ったことがないからだ……)
元々メディアスというだけで疎まれてきた存在であるジュノンは、他人とのかかわりが極端に少なかった。レイズンガルドにつれてこられた当初は話し相手などいなかったし、一ヶ月に一度、声を出すか出さないか、だった。ミドラが世話をしてくれるようになってから、徐々に会話という行為に興味を持った葉持ったのだが、何分それを為せる相手がミドラしかいなかったのだ。
(だから、カスナのことを本当に信じていたのに……)
裏切られるということがこれほど辛いことだとは思わなかった。これほど苦しいことだとは思わなかった。
自分は今まで本気で信じたことがなかったから。
震える身体を押さえようと、膝を一際強く抱いた、其のときだった。
「うっっわっ!?」
若干低めの声色が頭上を掠めると同時に、背中に強い衝撃。次いで、何がなんだかわからぬうちに、先ほどまで眺めていた地面が視界一杯に広がっていた。
混乱の中でうっすらと痛みを感じる。背中と、そして額。身体を起こそうとして、起き上がらないことに気がついて……そこでようやく、ジュノンは何者かが自分に躓いて覆いかぶさっていることに気がついた。
「いたた……」
すぐ耳元で声が聞こえたことにジュノンはどきりとした。己よりも低い声が鼓膜を通って脳内に浸透し、良い知れぬ緊張感を持つ。声は何かを呟いていたが、緊張のあまり思考回路が停止したジュノンは何を言っているのかわからない。ただ、徐々にその声が遠のいていくのを感じていた。
「大丈夫か?」
悪かったなと付け足しながら、ジュノンは背中の重みがなくなっていて、目の前に少年が立っていることに気がついた。いつまでも地面とにらめっこをしているわけには行かない、慌てて顔を上げると、鮮やかな水色が目に入った。
「悪かったな、蹴っちまって。でもこんなところで座り込んでると、また蹴られかねないぜ?」
少年は苦笑を浮かべながらいまだ低姿勢のジュノンに手を差し出した。
「って、あーあー、服が泥だらけじゃねえか」
差し出された手を掴んで立ち上がると、少年の言うとおり真っ白なワイシャツは泥でその色を変えていた。
「来いよ、蹴っちまった詫びも兼ねて服くらいなんとかしてやるよ」
返事をする前に、気がつくと再び人込みにのまれていた。
「では二名様のご宿泊でよろしいですね」
木造作りの小さな宿屋の主人は、愛想の良い笑みを浮かべながら確認を取った。ああ、と小さく頷いてから、懐の包みから先に料金を払っておく。
ライフガントルにとって久しぶりに訪れたダキリアは、以前訪れたときよりも活気が増えていた。来慣れていたはずの宿屋への道のりが遠く感じたし、顔なじみだった店主は他界して、その息子が経営しているときた。
(あの人だったらまけてくれるからここにしたんだけどなー……)
ぼんやりとそんなことを思いながら、しかし他の宿屋に比べれば安いものだと割り切る。こんなところで自分の境遇を―――異端であるがゆえに、通常の人間の何倍も成長が遅く、長く生きている自分を―――感じるとは思わなかった。
「あの……もしかして、ライフガントルさんですか?」
会計を終えジュノンとの待ち合わせ場所へ向かおうとしていたライフガントルを、背後からやや控えめな声が呼び止めた。
まだ年若い宿屋の主人は、少し困惑したような顔をして、だがライフガントルが振り返ったことに安堵しながら続けた。
「あまりにも昔のままだったので別人かとも思ったのですが……昔よく遊んでくださった、ライフガントルさんですよね?」
覚えていますか、と主人は続けた。
(そうか、彼にとっては昔のことなのか)
ライフガントルにとって、以前ここへ来たことがつい昨日のように感じられるのだ。……生きている時間が長すぎて。しかし、彼にとっては昔なのだ。そう、もう十年近く昔のこと。
「……いや、違う」
言うと同時に主人が酷く失望したような顔をした。
その顔はライフガントルの口をこじ開けて、己がそうだと言わせるに十分だったが……しかし、それをすることはなかった。無理やり閉ざした口の中で、小さな舌打ちが生まれる。自分の正体はさらすわけには行かない。
少なくとも、仲間以外には。
何のために偽名を使って手続きをしていると思っているんだ、昔のように彼の頭をゆっくりなでそうになる自分を叱咤しながら、ライフガントルはそう思う。主人が変わっていたから、自分の事情を全て知る主人が帰らぬ人となっていたから。
(また、だ)
また一人減った。減っていた。自分の知らないところで。
死に顔を見られなかったのは幸いか、否か、
(それはわからないけれど、でも、)
「俺は初めてこの宿に来るよ」
(家族にも漏らすまいと誓ったあの主人は、その誓いを果たしただけなんだ)
苦々しく思いながら宿を出た。
早くジュノンに会いたい、と、思う。
色とりどりの服に眩暈がした。グレーのセーター、緑のパンツ、赤い帽子や黄色いバッグ。実に様々なものがある中で、何故自分はこんな服を着る羽目になっているのだろうと。
「おー、似合う似合う」
目の前で手を叩く少年―――店内に入ると同時に、“ロニテス・スキア”と名乗った―――を恨めしく見ながら、これは絶対に間違っていると確信していた。
初めは、都会では男でも“そういう”格好をするものなのだと思っていた。しかし聞けば彼はからからと笑い、何を言っているんだ、するわけがないと言う。ならば何故自分は着ているのか。
否、着せられているのか。
「あのさ……ろに、てす…君?」
「ロニテスでいーぜ、ジュノン」
「何で僕は、…………スカートはいてるの?」
試着室の姿見を極力見ないようにうつむきながら、ジュノンは出来るだけ声を低めて言った。
ジュノンが連れてこられた店は、主に女物の服を扱う店だった。ロニテスはこの辺りでは顔が利くらしく、素早く服を手渡されたかと思えば、気づいたらジュノンは女物の茶色いTシャツ(右すそに白い花柄がついていた)の上からベージュのカーディガンを羽織らされ、ふわりとした膝上の紺のスカートをはいていた。
ロニテスはそんな彼の格好を褒め称えつつ、何故そんなことを聞くのかといわんばかりの顔をしている。
「なんで……って、言われても。スカート嫌いだったか?」
似合うんだけどなぁ、とぼやくロニテスをみて、ジュノンは思わず頭痛がした。頭が重い。
(一体何を考えているんだ……)
「好き嫌いの問題じゃないだろっ! 男がスカートはくなんて!!!」
ならばスラックスをと、店員と話し込んでいたロニテスは、ジュノンのその一言に固まった。否、ロニテスだけではない。その場にいた店員全員が、何か聞きなれない言葉を聴いたかのように硬直している。
「男……って、あの、…………誰が?」
聞くのが怖いというように、震える声でロニテスはジュノンに問うた。その顔は必死で笑顔を作っているが、残念ながら歪んだようにしか見えない。
「僕に決まってるだろ! 当然!!」
(何が当然なんだ……)
今度はロニテスが頭痛に悩む番だった。果たしてすっかり女だと信じていた人間が、実は男だという。
しかしロニテスが間違えるのも無理はなかった。
ジュノンは基本的に年よりもやや幼く見える容姿をしている。その上奇麗な黒髪は中途半端な長さに切りそろえられ、顔立ちは中世的というよりもむしろ女性的だった。
幼いころレイズンガルドにやってきた商人によく少女と間違えられ、女物の服を売られたり、そういえばミドラもはじめてあったときは自分を女だと思ったといった。
閉ざしていた昔の記憶が溢れるようにジュノンの中で満ち始め、ジュノンは己に潜む酷い嫌悪感を確認した。
そして思うよりも早く、気がついたら事は起こっていた。
宿屋を抜け出た先に広がった人込みに、慣れているとはいえ深い溜息をつく。それでなくとも暗く重い気分だというのに。ライフガントルは自分とは関係なく青々とした天気を見せる空を半ば恨めしく想う。
(いっそ雨でも降ってくれりゃぁ、せめて人込みは逃れられただろうに)
待ち合わせに遅れるかもしれない、左記に見える時計台の巨大な時計を見つめながらライフガントルは思う。そもそも、荒野に囲まれあまり雨の降らないこの地に、雨を求めること自体間違っているのかもしれないが。
一人で苦笑しながら人込みにもまれること数分、鋭い悲鳴と共に事は起きた。
「きゃぁっ!!!」
短い悲鳴、それも女のものが複数。
悲鳴を聞いてすぐさま腰のチャクラムに手を伸ばす辺り、自分もすさんだなぁとライフガントルは思う。
昔はこんな刃物には頼らなかった。
否、自分の力を過信していたというべきか。
兎にも角にも、“何か”が起きた。それによって出来た人々の混乱で、人込みはますます酷くなってゆく。
(ジュノンじゃなきゃ良いが……)
ライフガントルは、自分の一族がほぼ百パーセントの確率で厄介ごとという厄介ごとに巻き込まれることを知っていた。しかしジュノンは生まれてこの方、レイズンガルドを抜け出たのが初めてだ。初めて訪れた町で騒動を起こすことはないと思っていたのだが……
考えて、ふと頬に何かが当たった。
頬だけではない。頭、腕、体中に何かが当たっている。当たっているというよりは、“降っている”。
(…………おいおい神さんよ、俺は確かに雨が降れば良いとは願ったが……)
頬についたそれを拭い取り、視界に入れて確認してから先ほどよりも質の高い溜息をついた。
(この手の“泥の雨”はぜひとも遠慮願いたかったよ)
ぬぐった手のひらにべとりとついた“泥の雨”。そこから漏れ出る自分の良く知る力の気配を感じて、ライフガントルは仕方なしに路地へ抜けた。
一目の見えないところまで来ると、振り返ることもせず両手の中指と人差し指を使って十字を作る。
「標準・0031・速度・エス・移転」
簡潔かつ端的に単語だけを述べる。
すると、組んだ十字から淡い光が発光したかと思うと瞬く間にライフガントルを包み込み、瞬きをする間に――――――消えた。
はて、どうしたもんかとロニテスは考えた。
相手はどうやらメディアスのようだ。しかも、厄介なことに魔界力と来た。対抗する手は、あるといえばあるものの、あまりこの場で使いたくはない。
(地雷だったんだなぁ……)
気づいたら吹き飛ばされていた向かいの肉屋のカウンターの下で、瓦礫に埋もれながらロニテスは頷く。
(確かに、俺も幼学生に間違えられるとこうなるもんな)
その気持ちがわからないわけではない、そう、わからないわけではないのだが……
(力がありすぎるのも問題だよな)
視線は禍々しいオーラを放つジュノンに向けられていた。一時的な怒りだったのだろうが、彼はそれに飲み込まれているようで、ロニテスめがけて攻撃を仕掛けてくる。
(仕方ない、こっちも本気でやるか)
苦笑しながら手を合わせる。相手を傷つけないように、気絶させるだけで済ませるように。壊した町の復旧は……まぁ、目覚めたあとにやらせれば良いだろう。
合わせた手のひらを再び開いて光の筋を作りながら、ロニテスは先ほどジュノンが起こしたものをもう一度思い返していた。
「自分は男だ」と主張した直後に起こった、半ば理不尽で悲惨な出来事。
彼の主張にその場にいた全員が驚愕の色を見せた。なぜならジュノンはどこからどう見ても少女に見えたし、男だったら女物の服屋に連れてこられた時点で抵抗するはずだ。しかし彼はよほど今まで引篭もっていたのか、何を勘違いしたのか「男でもスカートをはく」と勘違いしていたらしい。店員や自分が驚くのも無理はないと、ロニテスは思う。
だがしかし、ジュノンは間違えられただけでなく、主張に対する反応すら嫌悪に当たるものだったのだろう。怒りで肩を震わせながら、
「僕は……僕は……男だああああー!!!」
叫んだかと思うと、ジュノンの身体が強く発光し、それに呼応するかのように地面が突如盛り上がった。床のタイルも何もかもを突き抜けて、力に負けて柔らかくなった土が柱を作る。天上すらを突き抜けたその柱は、瞬く間に空にむかってはじけ飛んだ。
その衝撃で店内の者は全て吹き飛ばされ、同様に全ての商品が吹き飛んだのだ。
土は泥の雨と変わり地上に降り注いでいた。ロニテスが見た限りでは、この店のある通りの、二、三本向こうの通りまで達しているようだ。溜息が出そうになるのをこらえながら、だが状況は変わらない。
つまりはそんな状況だったのだ。
ロニテスの両掌から生まれた光の筋は、彼の意思の通りに軽くたわみ、光の弓となった。
(普段ならこんな手荒な真似はしないんだけれども)
なにしろ急な襲撃(半分は自業自得なのだが)だったのだ、自分の主力である本物の弓を用意できるはずも無い。
美しい曲線を描く弓を作り終えると、矢は作らずにそのまま構える。ロニテスが手を添えて弦を引くと、はじめに添えた部分から淡い青色の光の筋が出来た。肉屋の主人が声をかけるのも聞かずに、かわいらしい格好で鬼のような形相を浮かべるジュノン……の、首筋を目標に手を放つ。
矢となった青い光の筋は寸分の狂いも無く、土の柱を作り続けるジュノンへ向かっていった。ジュノンが一瞬遅れて気づいたときには、矢はすでにジュノンを捕らえようとしていた。
が、しかし。
「ちょっと待ったっ」
声と同時にほんのわずかな隙間に青年が現れる。青年はそのまま勢いよくジュノンに手刀を喰らわすと、振り返りざまに光の矢を素手でつかみとった。
「お、おいっ!」
予期せぬ展開に驚いたのはむしろロニテスのほうだった。本来なら、刃物とはなっていない“あてる”だけの光の矢で、ジュノンは力を押さえ込まれるはずだった。しかし矢はジュノンを捕らえることは無く、ジュノンは青年に抱え込まれている。
「うわ、こいつなんて格好してやがんだ!」
光をそのままねじ伏せた青年は、ジュノンを見てぶ、と噴出した。知り合いなのだろうかと考えながら、とりあえず二人の下に駆け寄る。
「おい、あんたっ!」
そいつの知り合いか、という言葉は出てこなかった。青年は呼びかけにゆっくりと顔を上げ、吸い込まれるような蒼い瞳に息を呑む。
青年は整った顔つきをしていた。その顔は今さっきジュノンを見て笑った顔とは程遠く、無表情に固められている。
「あのな、こいつはこんなナリしてても男だから。まあ、これはこれで爆笑モンだから良いけど」
青年は全ての事情を知っているような口調で述べた。その腕にはぐったりとなったジュノンがいた。
「しっかし派手にやったなぁ……おいあんた、俺はちょっとこいつの尻拭いをするから、こいつを二番通りの七つ目にある宿屋に届けてくれ。“ラーン・ヒルガ”の連れだって言えば通してくれるだろ」
抱えたままのジュノンをロニテスに押し付けて、青年は早口で言った。“ラーン・ヒルガ”とは青年の名前だろうか、ロニテスはぼんやりと考えながら、気がついたら頷いていた。
(あれ、しかし二番通りの七つ目の宿屋って……)
ふと気づいたときには、彼の足は自然と宿屋へと向かっていた。