
2

フィリアンと名乗った少年は、先ほどポケットにしまった懐中時計を取り出して、今しがた自己紹介をし終えたジュノン達を見渡した。
「俺は機械類に強くないから、この時計がどのような仕組みでできてるのか大まかにしかわからないけど、」
前置いて、フィリアンはぱかりと時計のふたを開けた。瞬間見えたものに、思わず誰かが声を出した。
時計の文字盤にひびが入っていた。亀裂は深く掘り込まれており、先ほど勢いよくまわっていた針はもう動いていない。ただ一本、弱弱しく動く針があったが、その針が進むことはなく、びくり、びくり、と、同じ場所で震えるだけだった。
「これは……」
「俺が見た時にはこうなってたよ」
気づかなかったの? 言いながら、彼は再び時計を閉じた。
「機械類には強くないけど、魔力関係には強いんだ。この時計から感じられる不思議な力は、もうほとんど残っていない。君たちの三界力とか魔力とかが時計の力を引き出す“鍵”になったみたいだけど、大元の力はもうほとんど失われつつあるみたいだね」
その言葉にライフガントルが目を見開いた。そこまでわかるのか、と口の中だけで呟いて、フィリアンの赤い瞳を見据えた。
「この世界に、その時計に使った力と同じような力は存在するか?」
「しない」
即答だった。ロニテスがウソだろ、と呟いて、シャーレが深いため息をつく。ただ一人、よく理解できていないのはジュノンだけで、ジュノンはぼんやりと彼らの様子を眺めていた。
「……帰れない、のか」
一言、震える声で呟いて、ようやくジュノンも合点がいった。時計に使った力とは、おそらくライフガントルがちらりと言った、“サークラスの不思議な力”のことだろう。それの代わりがないのならば、自分たちの力だけで元の世界に戻ることは難しい。
大天魔の動向もつかめていないのに、自分達は帰れなくなってしまったのか。
「同じような力は存在しないけど、」
事の重大さを理解したジュノンも交えて、全員が暗く沈んでいると、フィリアンが努めて明るい声で言った。
「代用できるだろう、強い力を知ってるよ」
え?
問いかけたのは誰だったか。全員の顔がフィリアンに向いたのを見て、彼は微笑みながら小さく肩をすくめた。でも、と、言葉を続ける。
「その力を使うには、いろいろと問題があってね? 公にできる力じゃないんだ。この学園にいる限りでは安心だけど、外に出れば“狙われている“ものだから」
それまで、待ってもらえる? 暗に彼がそう聞いているのを理解して、ライフガントルはふむ、と口に手をあてた。つまり、フィリアンが一番初めに時計をポケットに入れたのは、はじめからそうしてくれるつもりだったと言うことだろうか?
未だ彼を本当に信用していいかわからない。何しろフィリアンと会ったのはついさっきだし、その時、自分たちが悪いとはいえ、一度攻撃を受けている。しかも、未知なる“魔術”とやらで。魔術に三界力がどこまで通用するかわからない今、安易に信用して本当にいいものか。
考えて、ライフガントルは頭を軽く振った。こうなってしまった以上、仕方がない。手を貸してくれる存在が現れなかったかもしれないのに、現れたことを幸運に思うしかなかった。
この世界で、自分達はあまりにも無力だ。
ならば、どう転んでも同じなのではないだろうか。やらないよりはやった方がいい。たとえそれで状況が悪くなったとして、シャーレが信用している相手だ、そうそう裏切られるとは考えなくてもいいだろう。
「……それで、フィリアン……フィンは、大丈夫なのか?」
ただ気になっていたのは、“狙われている力”だと言うこと。それを使役すると言うことは、彼に負担になるのではないか。そもそも、何故そんな力があることを彼が知っているのか。
そんなライフガントルの疑念に気付いたのか、フィリアンは先ほどよりも笑みを濃くすると、人差し指を口に当て、「内緒だよ」と前置いてから、
「実はその力って言うのは四つあって、そのうちの一つは俺の中にあるんだ。だから、大丈夫」
言われた言葉の重大さを理解できたのはどうやらライフガントルとシャーレだけのようだった。二人は小さく息をのんで、ジュノンとロニテスは首をかしげる。
恐らく重大であろう秘密を暴露させてしまって以上、手を借りるしかないことをライフガントルは知っていた。深く、深く息を吐く。
「……よろしくたのむ」
ゆっくりとした動作で頭を下げると、フィリアンはちょっと頼まれごとをした時のように、「うん、ちょっと待ってもらうけど、絶対大丈夫だからね」と軽く言った。
「それから」
再び時計をポケットにしまいながら、フィリアンは楽しげに四人を見渡した。
「どれくらいここにいるかわからないんだし、よければ学園側にかけあってみるけど、どうする?」
兄さんがここの教師で、それなりに力のある人だから。続けて言って、フィリアンは小首をかしげた。中性的な雰囲気の彼がそういう動作をすると、小動物のように思えてならない。ライフガントルはふむ、と考えて、テントの方を見た。
「ジュノン、シューを見てきてくれないか。全員の意見を聞きたい。起きれなさそうだったら事情だけ説明してくれ」
ライフガントルの言葉に、ジュノンは小さく頷いてテントに向かった。それを見ながら、シューが不思議そうな顔をする。
「まだ誰かいるの?」
ああ、まあ、曖昧に頷きながら、少しだけ違和感を覚える。
あれほどの力を持つ人間が、眠っているシューの気配を察することができないのだろうか。それは、すこし、おかしくないか?
その時だった。
「ライフ!」
あわてた声がして、とっさにテントの方を見る。ジュノンが呆然とした顔でテントの入り口を開けており、泣きそうな顔でこちらを振り向いた。
「シューが……シューがいない」
そんな馬鹿な、言いかけて、ちらりと見えたテントの奥。
丸くなって眠っていた、深緑の寝袋の中には誰も入っていなかった。
「そのシューという子は、向こうに置いていかれたんじゃないかな」
シューの不在を発見した後、すぐさまそこらじゅうを探しまわり、それでも見つけることができなかった一行に、フィリアンは考え深げに言った。
「俺が思うに、多分、この陣の中にいるだけじゃこちらに来れるわけじゃないんだよ。陣は原動力となる力を使役するための媒介でしかない。その大きさが大きければ大きいほど、強い力を引き出せると言うだけで、その上にあるもの全てを運べるわけじゃないんじゃないかな」
言いながら、うっすらと彫られた地面の陣を眺める。その言葉にライフガントルが小さく声を出した。
「そうか、シューは手をつないでいなかった」
「は?」
「俺達がここに来られたのは、俺達の力をサークラスの力を解放するための鍵に用いたからで、陣の上にいたからじゃない。生物を別次元に送り込むと言うことは、相当な力が必要になる。俺達は自身の力を鍵として陣に送り込んだから、サークラスの力の一部となることができた。だから、“生物”という概念を超えてこちらに来ることができた。でも、シューは違う。シューはサークラスの力の一部にはなれなかった。物体を送り込むのに使った力の残りでは、シューを運ぶだけの力にならなかったんだ」
ライフガントルは早口で言って、フィリアンがゆっくり頷いた。
「そのシューってこがどうなってるかわからないけど、多分、君たちが元いた場所に取り残されていると思う。彼が熟睡して陣が発動している最中動いていなかったのなら、次元の歪みに取り込まれずにその場にとどまったはずだから」
そうだといいが、言ったのはライフガントルで、ジュノンはいまいち理解できずにロニテスを見た。ロニテスもロニテスで頭から煙を出しかけていたが、ジュノンが見たのをわかると小さく咳払いをして、真剣な表情で言った。
「つまり、シューはここにはいないってことだよ。シューは、俺達が元いたあの草原で、まだ眠ってる」
はず、と最後に自信なさげに呟いて、しかしそれを聞いていたライフガントルがその通りだと横から口を出した。その顔はしかめられている。
「あいつ、今にも死にそうだってのに、俺達が離れちゃいけなかったのに……俺が、俺が変な実験なんてやったせいで、あいつは」
苦々しげに吐きだされた懺悔に、フィリアンは小さく溜息をついた。そうでもないよ、と呟きながら、ライフガントルの肩をたたく。顔を上げた彼に、しまったばかりの時計を取り出してふたを開けた。
「ライフ、君がこの時計を作ったと言うなら、針一本一本に役割を与えたはずだ。これらは何を表わすために作ったの? 見たところ、サークラスの時間や時限、場所の指針を示すためにあるのだと思うのだけど?」
その言葉に、ライフガントルはパッと顔を上げた。じっと差し出された文字盤を見て、そうか、と呟く。
「向こうの世界の時間は今、止まっているのか……」
「正確には止まりかけている、だよ。どの道あまりいい状況ではない」
思いついたように呟いたライフガントルの言葉にフィリアンがくぎを刺す。二人のやり取りは小声だったのでジュノン達には聞こえなかったが、どうやらフィリアンがライフガントルを諭しているらしい図に、ジュノンは不思議な感覚を覚えた。
(フィンは何でも知ってるんだなあ)
僕とそう変わらない年なのに、思って、どこか彼の雰囲気はシャーレに似ているとも思った。シャーレもおそらくそれを感じ取ったのだろう、フィリアンにはジュノン達に向けるものとはまた違う感情で向き合っているようだ。
「魔法陣と共にサークラスの力の媒介となったこの時計は、サークラス自体に影響を与えている。かろうじて動いているこの針は、確かサークラスの次元を模した針だ。力が無くなったり、これが止まったりすると、もしかすると……」
フィリアンが小さくうなずいた。それで、決まった。
「お前ら、フィンの好意に甘えるぞ」
力強く言ったライフガントルの言葉に、ジュノン達は顔を見合わせた。
ここで少し待っててね、と言ったフィリアンは、言葉の通り本当にすぐに戻ってきた。短時間で全ての障害をクリアしたのか、彼はジュノン達に「くれぐれも陣の上にあるものを動かさないように」と念を押してから、彼らについてくるよう言った。
“惑いの森”と呼ばれているだけあって、背の高い木々が茂っていて空もほとんど見えないこの森は、フィリアンの案内に死が立って進むとすぐに抜けることができた。彼曰く、“道”を知っているものじゃないとこの森に入り、無事に抜け出ることはできないそうなのだが。
「時計が直るまでの間、君たちは留学生として過ごしてもらうよ」
“落ちる”時にちらりと見えた白い城のような建物に向かいながら、フィリアンはぼんやりとそう言った。
「兄さんたちが、どうせだからこっちの魔術を勉強して言ったらどうかって。ライフはともかく、シャーレ達に魔術が使えるかどうかはわからないけど、君たちの目的に役に立つんじゃないかと俺も思うよ」
彼はここを学園だと言ったが、学園と言うには広すぎる。一つの街に紛れこんだような広さだ、思いながら、ジュノン達は彼に続いて歩いていた。森を抜けた後に続く舗装された道を歩きながら、道の先に見える大きな白い建物を見上げる。
……どうやらこちらの世界の今の時刻は夜のようだった。“惑いの森”の中では運良く入り込んでいたらしい月明かりのおかげでさほど気にならなかったが、森の外は存外暗い。ところどころに街灯が立っており、ジュノンたち以外通り人のいないさびしい道をむなしく照らし続けている。
「まあ、こっちに来ちゃったことは事実なんだし、どうせだから楽しんでいってよ。今晩はハロウィンパーティの日だから、そう言う意味じゃ君たち運がよかったかもね」
振り返り彼はにこりと微笑んだ。ハロウィンパーティって何、尋ねようとジュノンが口を開く前、いつの間にか目の前に大きな白い建物が浮かび上がっていて、ジュノンは疑問の前に小さな悲鳴を上げてしまった。
「入って」
フィリアンは特に驚くこともなく白い建物の扉を開けて、ジュノン達を促した。扉の中からほのかな明かりがもれている。よくよく建物を見てみれば、窓という窓はすべてカーテンが閉じられていたが、いくつかの窓から明かりがもれている。まだ人がいるのだろう。
言われたとおりに中に入ると、中央に受付らしいカウンター、その上に巨大な掲示板があった。カウンターの左右奥にはそれぞれ二つずつ、螺旋階段が設置されていた。入り口からカウンターまでは両脇に柔らかそうなソファやローテーブルが並び、何人かがそこで談笑している。彼らは入ってきたジュノン達に気付いてすらいないようだった。
フィリアンはカウンターにいた何人かの男女に軽く会釈して、「中央使わせてもらいますね」と言うと、カウンターの奥へと進んだ。ジュノン達が慌ててそれに続くと、カウンターの後ろ、四つの螺旋階段の中央に、二重の格子で閉じられた扉があった。
「それ、何?」
扉の横には二つのボタンが縦に並んでいる。フィリアンがそのうちの上の方のボタンを押したのを見ながら、ジュノンが興味深げに尋ねると、彼は楽しげに微笑んで、
「自動で階を行き来する小さな部屋みたいなものかな。君たちの世界にはない?」
逆に問われて、ジュノンはあわてて首を振る。ライフガントルがそれに苦笑しながら、
「いや、あるぞ、ジュノン? お前が知らないだけ、って言うか、まあ、滅多にお目にかかれるもんじゃないが」
そうなの? 問い返すジュノンにライフガントルはそうなの、と言って彼の頭をぐしゃぐしゃにした。フィリアンがボタンを押して少しすると、がたん、と音がして格子がスライドして開いた。閉ざされていた扉をフィリアンがゆっくり開けると、そこは確かに“小さな部屋”だった。建物の外観とぴったりマッチする、上等だけれどシンプルな壁紙の上には靄のかかった一本の巨木を描いた絵画がかけられていた。大人が十人程度入れると思われるその部屋の両脇には鈍い光を放つ金色の手すりが低い位置に取り付けられている。促されるまま部屋に入ると、フィリアンが扉を閉め内側からその扉に鍵をかけた。扉のある側の壁に手すりとおなじ金色のレバーがついており、そのさらに上には先ほど見た二つのボタンと同じようなボタンがいくつも並んでいる。数字の描かれたそのボタンはどうやら階数を表しているらしかった。
フィリアンは下に下がったままのレバーを少し力を入れて上にあげ、並んだボタンの中から最大数の十二のボタンを押した。かちり、と音がして、強い振動ののち、部屋は動き出した。
「わ、わ!」
星の重力にひっぱられる不思議な感覚に驚きながら、ジュノンはあわてて手すりを掴んだ。ロニテスはジュノンより前に手すりにしがみついていて、シャーレも珍しく少し緊張した面持ちで壁に手をついていた。この部屋と似たようなものがある、と断言したライフガントルだけ、そんな三人をおもしろげに眺めている。
「アギトセラ、て言うんだ」
突然の言葉に四人はそれぞれ頭上にクエスチョンマークを浮かべた。それにくすくす笑いながら、フィリアンはなおも言う。
「この部屋。アギトセラ、この国の昔の言葉で、動く部屋、って意味なんだけど」
彼が教えてくれたことをようやく理解して、ジュノンはへえ、と頷いた。
「アギトセラ、ね。僕たちの世界にもあればいいのにー、アギトセラ」
だからあるって言ってんだろ、名前は違うけど。
ジュノンがぼやくとすぐさまライフがそう突っ込んで、ジュノンの頭は再び乱暴にぐしゃぐしゃにされた。
十二階につくと、赤い絨毯の敷かれた廊下を少し進んで、すぐに重厚な造りの扉が現れた。見るからに豪華なその扉を軽くたたいて、フィリアンは臆することなく扉を開けた。
「失礼します、異世界の方々をお連れしたのですが」
フィリアンは戸惑うジュノン達に入って、と目だけで合図して、するりと部屋の中に入って言った。廊下に残された四人は仕方なく、ライフガントルを先頭に恐る恐る入室する。
部屋の正面には、加工されててかてかとした大きな机があった。その上に見たことのない機械や書類が整頓されて置いてある。見るからにふかふかで座り心地がよさそうな椅子に腰かけていたのは、まだ茶色い髪と同色の瞳をもった、誠実そうな青年だった。
「やあ、はじめまして。僕はこの学園の理事長代理をしている、フォルティア。君たちがフィンの新しい友達?」
青年は理事長代理、という堅苦しい肩書とは正反対の、いたって親しみやすい口調でそう切り出した。フィン、と愛称で呼ばれたフィリアンを恐る恐る見ると、彼は小さく肩をすくめて、
「俺の兄さん」
と一言。そしてそれで全員が納得いった。“フィンって一体何者なんだ”と、全員が少なくとも一回は思ったことがあったからだ。極秘の力を所有していたり、簡単に自分たちを留学生にしてしまうなんて、彼が理事長と言われても驚く気はない覚悟でいたジュノン達は、少なくともそうではなかったことに逆に安堵した。
「はじめまして、俺はライフガントル・ヒルベスト。惑星サークラスより、次元移転装置の実験でこちらに来たんだが、装置である時計が壊れてしまってな。迷惑をかける」
ライフガントルはいたって彼らしい口調で(少なくとも“理事長”に対して話す口調ではない口調で)そう言った。その言葉にフォルティアは笑みを浮かべて、
「聞いてるよ。災難だったね。こちらは構わないから、ゆっくり楽しんでいくと良い」
言いながらフォルティアは立ち上がり、右手を差し出してライフガントルと握手した。その手を離しながら、ただ、とつづけられた言葉にライフガントルが顔を上げる。
「ライフガントルさんの作った時計は非常に興味深い。よければ、修理するついでに研究させてもらいたいんだが。構わないかな?」
その瞳は「否と答えればここから追い出すよ」と言っているかのように強いものだった。ライフガントルは苦笑を洩らして頷く。
「もちろん、一回使っただけで壊れるような代物だから、参考になるかどうかは不明だけどな。これだけ助けてもらってるんだ、隅々まで調べてもらって構わない」
その言葉にフォルティアは笑みを濃くした。ありがとう、と言って、それからライフガントルをじっと見つめたのち、
「やっぱりライフガントルさんを留学生扱いにするのは無理があるか……。そうだ、僕の助手として入ってもらうのはどうです?」
そうすると職員寮に入れるんですが、続けて言って、ライフガントルは「やっぱりか」と口の中で呟いた。フィリアンに「留学生」と言われた時から、自分は違う扱いになるのではないかと思っていた。何せ実年齢は数百歳、見た目の年齢だって、若く見ても二十代後半くらいだ。
苦笑しながら頷いくと、フォルティアもすみません、と苦笑を浮かべた。
「ではライフガントルさんだけこのあと残ってもらえますか? 僕が案内しますので」
言ったフォルティアに再度頷くと、彼は視線をライフガントルの後ろに向ける。
「おやおや、男性三人女性一人と聞いてたけど、女性二人の間違いじゃないのかい、フィン」
女子学生寮の部屋は一つしか取れてないぞ、続けられた言葉に時間が止まった。
ジュノンからすさまじい怒気があふれはじめる。フィリアンはシャーレの投げやりな説明やジュノン自身の自己紹介もあって、ジュノンが男だと言うことをきちんと理解していたが、初めて見るフォルティアはそうでなかったらしい。ジュノンの困った特性を痛いほど理解しているロニテスとライフガントルは、そんな彼の様子に身を固まらせた。事情を知らないシャーレやフィリアンでさえ、その言葉がタブーだったことを悟る。
「僕は……」
おや、のほほんと構えたままのフォルティアに向かって、怒気を含んだ声でジュノンは言った。
「僕は男だーっ!!!」
それは悲鳴にも似た叫びだった。
大音量で発せられた声にフォルティアは体をびくりと震わせて、しかしすぐに先の言葉が禁句だったことを悟ったようだった。あわてて取り繕うように、
「な、なーんて、サークラスの方は美系が多いなあ、なんて、はは」
と乾いた笑いでごまかそうとしたが、起こったジュノンはごまかせなかった。ジュノンがまさに今自身の魔界力でこの部屋吹っ飛ばしてやろう、と思い動こうとした瞬間、ライフガントルが素早く彼の首筋に手刀を入れた。
「恩を仇で返す気かお前は」
うんざりした声色でシャーレがぼそりと呟いて、しかしジュノンの耳にその言葉は届かなかった。
ともかく、ジュノンが目を覚ますのを待って、一行はライフガントルとフォルティアに別れを告げ、やってきた女生徒とフィリアンに連れられ学生寮に向かうことになった。男子学生寮と女子学生寮は正反対の位置にあるので、“本校舎”である白い建物を出たら、シャーレとは別行動となる。シャーレを女子学生寮まで案内する女生徒、シオ・ファンロッドは、ジュノン達との別れ際、
「フィン、パーティまであと一時間くらいだから、忘れないでよ? 皆さん後でまたお会いしましょうね」
そう言って笑顔で去っていった。
ジュノンは彼女の言葉を聞いて、先ほど今と同じ場所で思った疑問を思い出した。何か会話しながら去っていくシャーレとシオの二人を見送りながら、ジュノンはぼんやりと声を出す。
「フィン、ハロウィンって何?」
それにロニテスもそうだなあ、と同じように声を出す。おそらくシャーレもシオにそのことについて聞いているに違いない。フィリアンは少し驚いたように目を見開いて、それから、彼らが違う世界の人間だと思いだしたのだろうか、そっかと呟くと答えてくれた。
「俺の国では毎年この日の夜になると、月の満ち欠けの関係で国中の魔力が高まって、死者が亡霊となって現れると信じられているんだ。亡霊たちは一夜限りの復活に人々を襲っていく。だから彼らから身を守るため、仮装をする風習ができた。今では亡霊云々を信じてる人はほとんどいないけど、仮装をするって言う習慣だけ残っていて、夜通し仮装パーティが開かれるんだよ。まあ、地方に行くとそれだけじゃないんだけど」
フィリアンの簡単な説明を聞きながら、ジュノンはそれだけって? と問い返した。
「うん、子供たちがね、仮装をして、“トリックオアトリート!”、“お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ!”って家々を訪問して回るんだ。だから、街の人々は皆、この日に備えてお菓子を家に用意しておくんだよ。俺はやったことないけど、ほとんどの子が経験する行事だと思うよ」
微笑んでいったフィリアンに、ジュノンはいいなあ、と声を上げた。
「おもしろいねえ、素敵な習慣だよ!」
「そうだなー、俺も楽しみだぜ」
続けてロニテスも言って、フィリアンはくすりと笑った。
「そのハロウィンが今晩で、ハロウィンパーティはあと一時間だよ。兄さんが、君たちをパーティで紹介するって言ってたから、遅れないようにしなきゃね」
言われて、二人とも大きくうなずいた。
そうこうしているうちに一行は男子学生寮に着いた。男子学生寮はレンガ造りの綺麗な平屋で、その両側に石造りの二つの塔が聳え立っていた。フィリアンが簡単に説明した内容では、この二つの塔は東塔・西塔と呼ばれ、塔の中に生徒達の部屋が入っているらしい。全寮制だとフォルティアがぼんやり言っていたのをロニテスは思い出して、この二つの塔に全ての男子学生が入っているのかともうと不思議な気持ちになった。
「君たちは、俺の部屋のある階の空き部屋に入ってもらうよ。二人一緒の部屋だけど大丈夫?」
尋ねられて、二人とも曖昧に頷く。こんなに見るものすべてに驚いてしまうのは、学校というものに通った経験がないからかもしれない。
「ここにはアギトセラはないから、階段で移動だよ。なれるまでは俺と同じ授業を取って、俺と一緒に動いてもらうけど、基本は自由だから……ねえ、聞いてる?」
平屋の扉を開けて中に二人を促しながら言ったフィリアンの言葉は、見事に二人の右耳から入って左耳へと抜けていた。入ってすぐのここは“玄関ホール”もしくは“談話室”とも呼ばれるらしく、中心に深い色の絨毯が敷かれ、本校舎で見たのと同じようなソファやローテーブルが何セットも置いてあった。シンプルな作りのシャンデリアが天井からぶら下がり、柔らかに部屋の中を照らしている。部屋の左右に、塔の内部へと続くのであろう広い階段が見えた。
フィリアンは迷わず右側の階段を進んだ。位置的に、東塔へ続く階段。ジュノンとロニテスはあわててそれに続いた。
「生活に必要なものは、兄さんがもう用意したって言ってた。制服も部屋に入ってるみたいだよ。君たちの持ってる日用品は、あの場所から動かせないからね。あっと、ここ、ここ。東塔四階、四○一号室が君たちの部屋」
階段を上り終わってすぐの所に部屋はあった。はい、どうぞ、言いながらフィリアンが扉を開けて、ジュノンもロニテスも中に入った。部屋の中は思ったよりも広く、ベッド、机、クローゼットの並びが中心のローテーブルを境に対称になっている。ベッドの上に、それぞれの制服がたたまれてあった。
「うお、フォルティアさん仕事早いな!」
たたまれた制服を見て、ロニテスが思わず声を上げた。それにフィリアンが苦笑する。
「兄さん、自分の興味のあることだけは仕事が早いから……」
普段もこうだといいんだけどね、と付け足したフィリアンの表情には、哀愁にも似た何かが漂っていた。
「フィンも大変だね……ところで、フィンの部屋はどこ?」
クローゼットの中を開けて、「うわ、私服も何着かある! 下着まで!?」と驚愕の叫びをあげているロニテスを無視して、ジュノンは入口で立ったままのフィリアンを向いた。彼はああ、そうだね、と笑うと、騒いでいたロニテスも連れて部屋を出た。
部屋を出て五部屋通り過ぎて、フィリアンは足を止める。ネームプレートを指差しながら、ここだよ、と笑った。
「俺の部屋は四○六号室だから、忘れないでね」
扉の横についてあるネームプレートには、確かにフィリアン・ルスターと彼の名が書かれている。ジュノンはその上に「クレイ・トレイズ」という名が書かれているのを見て、この人物がフィリアンのルームメイトなのだろうと悟った。
「あ、そうだ、俺のルームメイトで友達、紹介するよ」
部屋の前に来たついでなのだろう、彼はパッと顔を輝かせると、いいことを思いついたと笑いながら扉を開けた。
「クレイー?」
まるで彼が部屋の中にいることを知っているかのような自然な動作で部屋に入ると、フィリアンはぴたりと動きを止めた。不思議に思ってジュノンとロニテスも彼の横から部屋を覗き見る。そして、同じように固まった。
「……フィン」
部屋の中央に仁王立ちしていた“それ”は、低い声で唸るようにフィリアンの名を呼んだ。フィリアンの体がびくりと揺れて、小声で「クレイ?」と聞いている。
部屋にいたのは、新聞やら古紙やらで作られた不格好なマスクをかぶった、巨大な男だった。マスクは頭のところを不格好な釘が突き刺さっているように模してあり、しかし全体的に白いマスクはかなり奇妙だ。加えて、目の部分の穴を隠すためだろうか、耳もすっぽり隠れたマスクの上から無理やりかけられたサングラスが、さらに奇妙さを際立たせていた。ちなみに、首より下はフィリアンが来ている福と同じ服、つまりラ・ルーネ騎士養成学園の制服だ。そのアンバランスさがかえって不気味だった。
「そこにいるの、誰」
単語を並べただけのような言葉が続いて、フィリアンはぎこちなく後ろを振り返った。ジュノン達も自分と同様に固まっているのを確認してから、ひゅ、と息を吸う。
「クレイ、彼らを紹介したいんだ。よければそのマスク、とってくれると嬉しいんだけど」
彼らがびっくりしたまま戻ってこないだろう、言うと、クレイと呼ばれた大男はゆっくりと頷いて、同じくゆっくりの動作で紙素材のマスクをのろのろとった。
「うわぁ」
不気味なマスクの下から現れたのは、隻眼の美しい男だった。恐ろしく整った目鼻立ち、切れ長で漆黒の瞳、見るからにさらさらとしている青みがかった髪は肩ほどで切りそろえられており、どことなくシャーレと似た雰囲気を感じた。マスクの下の意外な素顔に、ジュノンとロニテスが思わず感嘆の声を上げた。
「紹介するね、ジュノン、ロニテス。彼が俺のルームメイト、クレイ・トレイズ。クレイ、こちら、四○一に入った、留学生のジュノンとロニテス」
二人の感嘆の声を軽い笑みで無視して、フィリアンは先ほどのクレイの姿は見なかったかのようにさらりと紹介をした。クレイもクレイで何も見られなかったかのように自然な態度をとって右手を差し出したので、ジュノンはあわてて自分の右手を差し出した。
「えと、留学生のジュノン・ヒルベストです。よろしくお願いします」
ラ・ルーネ騎士養成学園は十五歳から十九歳までの、四年間学ぶ。確実に自分より年上と分かっている人物に対し軽く見ることは絶対にないが、クレイを前にするとそれに拍車がかかるようだった。ジュノンはこころもち体を強張らせて彼との握手を終えた。
「ロニテス・スキア。よろしく。……でけえな、あんた」
ロニテスは自分の方が年上だと言うことが分かっているからか、恨めしそうに長身の彼を見上げた。おそらく百八十は超えている。ライフガントルよりも確実に大きな彼が純粋にうらやましかった。ロニテスは、ジュノンよりも身長は高いが年齢の割に低かったから。
「クレイ・トレイズ。よろしく」
クレイはぶっきらぼうに言って二人と握手を終えると、じっと二人を見たかと思うと無言で両手を上げた。無表情なのが酷く恐ろしい。何をされるのかわからなくて緊張した体に、しかし想像していたような衝撃はなく、代わりにぽふぽふ、という温かな感触が頭をかすめた。
((こ、怖い……!))
無言で、加えて無表情で頭をなでられる身としては酷く恐ろしい。しかしフィリアンはそれをどう受け取ったのか、にこやかな笑みを浮かべると、「仲良くなれそうでよかった」とその色を濃くしたのだった。
それからパーティの仮装の準備がまだというクレイを残して、三人はジュノン達の部屋の隣の部屋、四○二号室に来ていた。フィリアンがいうには、
「しばらく俺と一緒になるなら、俺といつも一緒の三人とも顔を合わせなきゃいけないでしょ? あと二人だから、ついでに紹介させてよ」
とのことらしい。クレイの件もあるので、いったいどんな輩が出てくるのだろうとジュノンもロニテスも内心ドキドキしていたのだが、四○二号室の住人は、予想に反していたって普通の人たちだった。
「ジュノン、ロニテス、この二人が君たちのお隣さんの、レナード・ミラージュとネル・クローズだよ。レナ、ネル、こちら、隣の四○一に入った留学生のジュノンとロニテス。しばらく俺が面倒見ることになったから、一緒になることも多いと思うんだ。仲良くしてあげてね」
クレイの時と同じような紹介で、フィリアンは二人にレナード・ミラージュとネル・クローズを紹介した。クレイと勝るとも劣らぬ容姿を持っている二人は、フィリアンの紹介を聞いてそれぞれ正反対の反応を示した。レナードは少し眉を上げただけ、逆にネルはうっそ、ほんと!? と叫びに近い声を上げて、ジュノンとロニテスの手をぶんぶん振って握手した。
レナード・ミラージュは、金髪碧眼の絵にかいたような美少年で、すらりとした手足を持つスタイル抜群の少年だった。少し釣り目の瞳が冷たい印象を持たせるが、フィリアンと並ぶとフィリアンの“おっとりオーラ”にあてられてそれも大分緩和する。聞くところによると、フィリアンとレナードは幼馴染らしく、実際いつも一緒にいたのだと言う。性格が正反対だろう二人が一番仲良し、という事実に、ジュノンは微笑ましい気持ちになった。
レナードが完璧な“美少年”という容姿を持っているのに対し、ネル・クローズは“美少女”に近い容姿を持っていた。
色素が薄く白に近い茶髪と、同色の瞳、病的な白さを誇る肌は彼を儚く見せる。けれど彼の性格はそんな容姿とは正反対のようで、彼の大きな瞳はくりくりとせわしなく動き、真っ赤な唇からはしきりに言葉が発せられる。少し落ち着きがないようにも感じたが、小柄できょろきょろとする様子は素直に“可愛らしい”と思わせるものだった。
思わぬところで自分と同属性の人物を発見したことに、ジュノンは素直に感激していた。今ならロニテスが自分を女と間違えたことや、ライフガントルがそのことについてしつこくからかう理由が分かる。ネル・クローズは、“女っぽい”ことを強調したくなるほど、もしかすると“少女”よりも“少女らしい”容姿をしていた。
「はじめましてー! ネル・クローズでっす。ネルって気軽に呼んでねー! ええと、ジュノンちゃんとロニテス君!」
二人の右手と左手を取ってぶんぶん振りまわしながら、ネルは楽しげにそう言った。彼の言った“ジュノンちゃん”という言葉に一瞬、ジュノンはぴしりと意識が固まるのを感じた。
「ええと、ネルとやら、ジュノンはこう見えてもれっきとした男であって……」
あわててロニテスがフォローしようとすると、ネルはからからと笑うと、
「何言ってんの! それくらい見ればわかるよお、だってここ女子禁制だよ? 入れるわけないじゃん」
しっかし可愛い顔してるねー、可愛い顔は俺の特権だったのにー! と、ネルはハイテンションのまま続けた。彼が素で自分を女と間違えたわけではないと気づいたジュノンは、どこか釈然としないものを感じたが、それでも笑顔を浮かべて彼を見た。
「僕よりネルの方が可愛い顔してると思うよ、ええと、よろしく。レナードも」
先ほどからそんなネルのハイテンション具合を止めるでもなく眺めていたレナードに視線を向けると、彼は少し驚いたように片眉をあげ、それから一応笑顔を浮かべて頷いた。
「ああ、まあ、よろしく。それと、俺のことはレナでいい」
告げられた言葉に、レナードが別に自分たちをよく思っていないわけではないと察してジュノンはほっと安心した。先ほどからどこかそっけない印象ばかり受けるレナードが、もしかしたら会って間もない自分たちを早くも嫌ってしまったのでは、と心配していたのだ。フィリアンがジュノン達の耳元でこっそり、「レナのあの態度は彼の素だから、気を悪くしたらごめんね」と囁いた。
「レナたちは仮装の準備終わった? クレイなんてすごいんだよー、びっくりしちゃったよ、ねえ。っと、そうだ、ジュノン達も着替えてもらわないといけないんだった。パーティ一緒に行くなら、俺準備が終わったら四○一にいると思うから、来てくれると嬉しいな。ジュノン、ロニテス、構わない?」
フィリアンはくすくす笑いながらジュノン達を見て、彼らが頷くのを認めるとじゃあ、またね、といって二人の肩を軽く叩いた。
「フィン、着替えるって、もしかして僕たちも……」
仮装するの、と不安げに顔を上げたジュノンに、ロニテスは「いいじゃん別に、おもしろそうだぜ」と突っ込んだ。そんな様子をくすくす笑いを濃くしながら見ていたフィリアンは、二人の視線が自分に向かったのを確認すると、小さく肩をすくめてみせた。
「とりあえず、一番初めに君たちの紹介をするから、今は制服に着替えてもらうよ。そのあとで、仮装するかしないかは自由だと思うんだけど。……兄さんのことだから、ちゃっかり仮装用の衣装を用意してたりしてね」
笑いながら隣の部屋を開けて、フィリアンは二人を部屋に入れると、じゃあ俺も支度があるから、と言って去ってしまった。
取り残されたジュノンとロニテスは、これからしばらくの間自分たちの住みかとなる部屋をもう一度見渡して、それから何処からともなく笑みがこぼれるのを感じた。
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