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まるで私が死ぬことが決定事項のように、

 いつのころだったか、一度だけ、見知らぬ男の子を助けたことがある。

 幼いころの私は、病気の母と酒乱の父の世話のため、一人幾つもの店の奴隷として働いていて、少しばかりの金を家に入れていた。
 父は私が帰るといつも暴力をふるうから、どんなにつらい仕事でも、家に帰るよりはと思って働けた。
 今思えば、父が私に暴力をふるい続けたおかげで、私は自己防衛の本能を高め、今日まで生きてこられたのではと思う。最も、父のした行為を許すつもりは毛頭ないし、私が彼にかかわることはもう二度とないのだろう。

 その日、働いていた薬屋の主人に頼まれて、私は薬草を取りに森の中へ行ったのだ。

 町に魔物が来ないよう、この国では国を囲む四方の森に魔物を押し込めている。森の中には栄養価の高い薬草がたくさんあるが、森の中は危険すぎて取りに行けない。だから私が取りに行った、のだと思う。私は奴隷として近隣の店いくつかで働いていたし、父の暴力と辛い労働で死ぬくらいなら、魔物と果敢に戦って死んだ方がましだとでも思っていたのかもしれない。
 とにかくその日、私は薬草を入れるための中瓶三つと、形ばかりのナイフを持って、森への道を歩いていた。

 ひっく ひっく

 その時だった。そう、賑やかな町から外れた道を少し行ったところで、誰かが屈んで泣いている。道の真ん中で泣いているものだから、邪魔で通れない。確か、そんなことを思って声かけたのだと思う。私は泣き虫に声をかけた。
 「どうしたの?」
 あげられた顔はとても美しい顔だった。
 一瞬、少年のそれか少女のそれかわからずに、混乱したのを今でもよく覚えている。首に巻かれたチョーカーを見て、その種類を見て、しかし瞬時にそれが少年だということ、彼の状況を理解した。
 当時からチョーカーをつけているものは皆、国王の所有物だった。革製のチョーカーは男性がつけられるもので、戦闘したときに簡単にとれなくするためだったと思う。女性は赤いリボンに金属板がひっついたようなチョーカーだったと思う。種類も色も全然違ったので、幼い私にも彼が少年だとすぐに分かった。
 泣いたままの少年は、私を見上げて一瞬泣きやんだ。しかし私の首に何もついていないのを見ると、何が悲しいのか、再び顔をゆがめて泣き出した。
 だんだんと大きくなる声に、どうしようか少し悩んでから、私は彼の手を引き道を外れた。泣いたままの彼は文句も抵抗もせず私にひっついてきたが、それが何の考えもないことだったのか、ただ私なんかに何ができるかと考えたことだったのか、よくわからない。ただ、この時代にしては珍しく警戒心のない人間だな、くらいには思った気がする。
 森と平行になるように歩いて行くと、小さな川が見つかる。その川は森から流れてくるもので、最終的には町の人々の生活用水になる。私はその川のそばに彼を座らせた。
 持っていた中瓶に水を少し入れてから、声もかけずに彼に突き出す。彼は一瞬驚いて、しかしゆっくりとした動作で瓶を受け取った。小さな口で水を飲み干し私に瓶を返すころには、すっかり涙は引っ込んでいた。
 「どうしたの?」
 再び聞いた。正直その時の私はこんなことをしている暇がなかったのだが、森の中へ薬草を取りに行くという行為は自殺行為に等しかったし、帰りが遅くなったとしてもみんな私が死んだものとして特に心配したりしないだろう。そうなったときのため、後ろの仕事も今日は入っていなかった。ただ、面倒なことはさっさと終わらせて母の顔を見たい、それだけで私の気持は焦っていた。
 「……知らない国に行くの」
 少年は少しの沈黙を保ってから、一言ぽつりとつぶやいた。かわいらしい、少女のような声だ。革のチョーカーがなければ、私は彼を少女だと勘違いしていただろう。
 「知らない国? どこにいくの?」
 さらに尋ねると、今度はするりと返事が返ってくる。彼の話はこうだった。
 彼には兄がいた。詳しくは話さなかったが、どうやら兄はそれなりの地位をもつ人物らしく、しかしとても自分本位だった。兄は近隣諸国との交流を持とうと、彼を見知らぬ国に放るのだという。
 それがつまり政治的な手段での人質だとその頃の私は気がつかなかった。ただ、見知らぬ国にたった一人で連れて行かれる彼を思うと、多少なりとも哀れに思えた。
 城に売られ、苦しい生活をしていると、あれよあれよと出世した兄にさらなる出世の道具として使われる。簡潔にこういえば、かなり悲惨な人生だ。
 「怖いの?」
 水面に映る彼の瞳をぼんやり見ながら問いかければ、隣で彼がうなずいた。そうか、一言だけ言って、立ち上がる。
 「どこにいくの?」
 今度は彼が私に聞いた。服に付いた草を手ではらって、もう彼の顔を見ずに答える。そろそろ行かなければ。母が私と、私の持ってくる薬を待っていた。
 「森に。君は、もう行った方がいいよ。逆らうと殺されちゃうんでしょう?」
 そのときこの制度をよく理解していなかった私は、けれど行くことが彼の安全を保証するのだとなんとなく知っていた。そっけなく言って、もう用はないと歩き出す。しかしそれは数歩で終わった。突然引っ張られた服の裾に引きずられ、軽かった私の体は簡単に後ろに倒れた。
 「だめだよ! 森は危ないって、みんな知ってるよ! 死んじゃうなんて、だめだ」
 思ったよりもしっかりした声色だった。川越しに見ていた彼の瞳が今度は目の前にあって、私は雑草の中に埋もれていて、彼の瞳はそんな私を射抜いていた。
 沈黙。
 言い訳をしようかと一瞬考えて、けれどどうでもよくなった。私がなにをしてどうなろうと、この名も知らぬ少年はもう知る術を持たないのだ。国に売られてさらにほかの国に売られるとなると、もうこの地に戻ることはないだろう。そう踏んで。
 「ぼっ僕が死んじゃダメなら、君も死んじゃダメだよ! ねえ!」
 彼は何やら必死だった。何がそこまで彼を動かすのか知らなかったが、しかし私はようやく上体を起こし、急な動きにびっくりして飛び跳ねた少年の顔を見つめ返した。
 「死にに行くわけじゃない。薬草を取りに行くだけ。だから大丈夫」
 安心させるように言ったつもりが、彼はますます怯えてしまった。まるで私が死ぬことが決定事項のように、行っちゃダメ、死んじゃダメ、と頭を振る。
 あんまりしつこくとめるので、そろそろ時間が気になった私はため息をついて提案をした。
 「なら、一緒に来る? 君がそばで見ていれば、もう心配じゃないでしょう?」
 すると案の定、少年は口を閉じた。押し黙って下を向く。当然の反応だ。あれだけ自分で森は危険だと言ったのに、そうかわかったとほいほい私についてくるわけがない。
 「無理ならほら、もういきなよ。君を待ってる人がいるんじゃないの」
 うっとうしいと思っていたのも事実だった。しかし何故か彼は私が思うような悲惨な人生を歩んでいないような気がして、そう思わせる彼の雰囲気がいやだった。
 しかし彼は思った以上に根強かった。しばらくうんうんと悩み、やがて結論を出して顔をあげる。もちろん、悩んでる間に行ってしまえばよかったと思った時にはあとの祭りだ。

 「わかった、そしたら、僕が君を守ってあげる」

 少年はそう言って、にこりと笑って手を出した。