タスケテル



タスケテル

「知ってる?」
 ふと、その声が耳に届いた。振り返ると隣の組の女の子たちが 噂話に花を咲かせている。「知ってる」と、スカートを靡かせて一人が答えた。
「タスケテルでしょ? 北中の子がそれで死んじゃったって」
「飛び降り? 首吊り?」
「飛び降り。学校の屋上から、授業中に真っ逆さまらしいよ」
 知ってる、と、私も心の中で呟いた。

 この地区を中心に、噂になっていることがある。都市伝説のようなあやふやなもの。本当かどうかは誰も知らない。
 「タスケテル」という名称のその都市伝説は、こんな一文から始まる。
 世界から見放された人を、「タスケテル」は助けています。
 「世界から見放された」人の元に、ある日突然「タスケテル」から電話がかかってくる。「タスケテル」は電話口に、「助けて欲しいですか? 助けて欲しくありませんか?」と聞いてくる。「助けて欲しい」と答えれば自殺、「助けて欲しくない」と答えれば別の何らかの要因で殺されてしまう、らしい。
 初めにその噂が流れたのは、南城中学校という私立の進学校で、飛び降りによる自殺が起きた時だった。自殺をしたのは学年トップクラスの男の子で、自殺前、その子は執拗に電話を怖がっていたらしい。彼と、噂を信じるならば、「タスケテル」の通話をたまたま聞いた彼の友人が、電話口から「お前を助けてやる」と聞いたことでその噂が広まった。「助けてやる」と、電話のテルで「タスケテル」。くだらない噂だ。
 馬鹿馬鹿しい、と思い立ち去ろうとした私に、後ろの集団が気づいて話し声を止めた。すぐさま声のトーンが落とされて、内緒話をするようなそれに代わる。あっという間に話題が変わったことに気がついて、私は何も気づかなかったように足を速めた。

『助けて欲しいですか? それとも、助けて欲しくありませんか?』
 その日の夜、けたたましい着信音に起こされて寝ぼけたまま携帯を開くと、聞こえてきたのはそんな文句だった。
 どこかで聞いたことがある、と思ったのは一瞬で、すぐにそれが例の「タスケテル」だと気づく。電話口の向こうは、私に何の反応もないのを疑問に思ったのか、同じ言葉を二度吐いた。
「……タスケテル?」
『はい! こちら、タスケテルです! ああ、名乗ってませんでしたね、急なご連絡で失礼します!』
 思わず問うと、声は意気揚々と返事した。聞いていた話と印象が違って、閉口する。
『それで、助けて欲しいですか? 欲しくありませんか?』
 声は三度そう言う。やや高めの、少年の声だった。声色だけみると、私よりも幼いだろう。
「どっちだって答えは同じなんでしょ、聞いても無駄なんじゃないの」
 都市伝説の「タスケテル」と、自分が今聞いているタスケテルは違うものだ。そう思いつつも、残酷な問いかけに腹が立ったのも事実で、私は皮肉をこめて言い返す。
「噂じゃ、どっちを答えても結局死んじゃうらしいけど」
 すると、タスケテルは一つ大きく息を飲んで、それから憤慨するように『そんなことするわけないじゃないですか!』と叫んだ。あまりの大音量に思わず携帯を耳から離し、睨みつける。
『誰がそんな噂を! 僕はホントに助けたくて電話してるのに!』
 本当に怒っているらしい声は、怒気を孕ませたまま確認するように『あなたは死にませんよ』と告げた。
『とにかく、あなたには助けがいるはずです。学校、辛いんじゃないですか?』
 タスケテルは先程と打って変った、静かな声で言った。それで、彼が私の何もかもを知っているのを悟る。
「……助けはいらない。別に、辛くもない」

 ある朝、教室に行ったら席が無くなっていた。整然と並んだ机の中でぽっかり空いた、何もない空間。机があったはずの床の上には、ご丁寧に針が上を向いた画鋲が机の形をかたどっていた。
 馬鹿じゃないのか、と、思ったのは本当だ。その気持ちは今も変わらない。
 何が原因かわからないが、その時を境に「学校」という空間にあった私の居場所は消滅した。机はなんとか戻したが、それから頻繁に私物を紛失するようになった。教科書は置いておくと落書きされるしカッターが挟まれたりするので、すぐに持ち帰るようになった。財布は常に持ち歩くようになったし、校舎外を歩くときは絶対窓際に近寄らなくなった。
 何をされても私の中には「馬鹿じゃないのか」というその一点しか残らない。家族すら、私に起こっていることに気づいていないんじゃないだろうか。
 けれどどうやら、私は「世界から見放された」人だったようだ。「タスケテル」から電話が来るとは、そう言うことだと、噂で聞いた。

『バカだな』
 タスケテルの言葉は簡潔だった。そしてわかりやすい。
『お前は救いようのないバカだ』
「あんたに言われる筋合いない。大体、仮に助けてもらうとして、どうするつもりなの」
 わかりやす過ぎてわからない言葉を無視して、一番の疑問を口にした。タスケテルは『そうだね』と考えるように、
『少なくとも今、君はいつもより、楽しそうだよ』
 そう言った。
「……楽しそう? 私が?」
『そう。いつも死人みたいな顔して歩いてるの、気づいてなかった?』
 そんなこと、知らない。私はいつも通りだ。辛くなんてない。
『心の傷に鈍感なんだね。いや、あえて気づかないふりをしてるのかな? だから今、君には助けが必要なんだよ』
 タスケテルの声は穏やかだった。
 そういえば、と、考える。本当に彼の電話が嫌なのだったら、すぐに切ればよかったはずだ。今からでも遅くない。けれど私はそれをせず、今もまた、そうする気が全く起きない。
『現状を肯定しないで。今の君は僕が電話をかけた中で一番サイアクだ。抗うなら抗えばいい。逃げるなら逃げればいい。その結果、自殺を選ぶなら、僕はそれを止めないよ』
 悪寒が走る。ならば、もしかして、本当に。
「……南城中の子や北中の子は、あなたがやったの?」
『僕は何も。それを選んだのは彼らで、僕は彼等と少し、話をしただけ』
「自殺しろって、そう言ったの」
『そんなこと言わないよ! 君と同じように話をして、助けてあげるよと言っただけ。彼等は心の傷にもそれを癒やす力にも耐えられなかったから、逃げ出しただけ。君は、どうする?』
 そこで彼は一度言葉を切った。先程と全く変わらぬ音で、言う。
『助けて欲しい? それとも、助けて欲しくない?』
 瞬間、彼が本当は何を求めているのかを悟る。助かったか否かは自分次第で、「助かりたい」と思い手を伸ばす選択を待っている。
 ならば私はどうすればいい?
 暗闇の中で携帯を耳に当てたまま、固まったように体は動かない。タスケテルがゆっくりした口調で、『決めなきゃいけないよ』と呟いた。
 その、直後。
 ぼーん、と、大きく場違いな音が鳴り響く。リビングから柱時計が鳴らす音。十二回その音は続き、そちらを見た私ははっとする。
 卓上に置かれた鏡に映る、自分。月光に照らされ、一度布団に入った髪はボサボサ、眠っているはずなのに目の下にははっきりとわかるくらい濃い隈が出来ていて、顔が青白い。瞳が死んだ魚のように何も映していなくて、自分で、驚く。
 私の顔はこんなだった?
 問いかけに答えられない。以前の自分を思い出せず、携帯を握る指が震えた。
『……決めた?』
 時計の音が鳴りやむと、タスケテルは確信じみた声で聞く。見えるはずもないのに、その言葉に頷いた。

「助けて、欲しい」

 その言葉を発するのに、どれだけ遠回りをしてきたのだろう。
 『わかった』と一言返された、彼の声に泣きたくなった。

- end -

2011/06/13

オフで書いたものの没作。
なんか「タスケテル」って響きが好きで割と気に入ってたんですけど、なかなかうまくまとまらず。
更新物がなさすぎるので投下してみた。
このあとの「私」とタスケテルがどうなったのかとか ちょっと考えてみたい←

Harasu Uun