夢を見ました。




 ふわりとした感覚。
 閉じているはずの瞼の裏は真っ白で、純粋な屈託無いその闇が怖かった。
 恐怖を取り払うように目を開ける。視界に移ったのは大勢の人。
 一番奥に母さんが座り込んで泣いているのが見えた。

 どうして? どうして泣いているの?

 近寄って声をかけようとしているのに、金縛りにあったみたいに身体は動かない。言葉はかすかな息となって消えるだけ。黙り込む。
 近づくことをやめると自由になった身体で、ゆっくりと辺りを見回した。
 そこにいるのはただの人ではない。皆、私が知っている人達。
 海外出張しているはずの父さん。
 中学二年になる弟。
 弟の腕の中には、家で飼っているポメラニアンのチロがいた。
 仲のよかった由美子。
 担任の水谷先生。
 あの禿げ頭は確か、校長先生じゃなかっただろうか。
 中学のときにお世話になった高橋先生。
 一番大粒の涙を流して情けなく泣いているのは、後輩の幸長だ。
 幸長の後ろには部活の仲間が沢山いて、皆泣いていた。
 そのほかにも、親戚から友人、はたまた塾や音楽教室の先生まで、皆が皆涙を浮かべて立っていた。

 誰かのお葬式?

 ゆっくりと、母さんのいる奥の部屋を見た。
 そこにはよくテレビで見るような、質素な装飾を施されて花の中に置かれた棺おけがあって、上のほうには線香の煙が揺らめいている。
 私はそっと、飾られている写真の中を盗み見た。


 写真の中には……―――

死亡推定時刻

 見ていた写真はくるくると回りだした。
 あ、目が覚める。
 そう思った瞬間、背後に何かの存在を感じる。
 振り返るとそこに見えたのは大きな柱時計。コチンと秒針が止まって、ある時刻をさしたまま動かなくなる。
 回り続ける写真に身体が吸い寄せられるのを感じながら、私はゆっくりとその時間を記憶した。

 十七時三十二分五十三秒

 記憶した途端に吸い込むスピードは速くなる。
 泣いていた人々は回り続ける写真にも、私にも全く気がつかない。
 全ての時間が止まってしまったかのように、けれど私の時間は動いていた。
 すごいスピードで周りの人々が流れて見える。

 まもなく、私は写真の中に吸い込まれていった。




「……十七時三十二分五十三秒」
 目が覚めると同時に言葉を出していた。
 何かの時間。見ていたはずの夢は起きた瞬間に忘れ去って、口を吐いて出た時間だけが脳に残る。
 ぼんやりとした頭は何か危険信号を出していた。

 いつもの朝。
 爽やかとはいえないけれど、自然に目が覚める六時三十分。
 階下で母さんが朝食の準備をしているのが分かった。
 いつもの朝。
 私は瞬時に理解した。
 いつもの朝の、いつもの情景の、たった一つの違和感。

「ああ、そうか」

 ぼんやりと考えた言葉は気がついたら言葉となって外に出ていた。小さく苦笑して、ゆっくりとした動作で起き上がる。
「私、死ぬんだ」
 今日の夕方。たった一人で。
 何の恐怖もわかなかった。なぜ突発的にそんなことを思ったのかも分からなかった。
 もしかしたら死なないかもしれない。
 けれど不思議なことに、私の中には確信があった。

 私は今日、十七時三十二分五十三秒、死ぬ。

 死因は何か分からない。
 痛い死に方なのかもしれない。殺されるのかもしれない。突然死かもしれない。
 でもどうでもよかった。
 ゆっくりと支度をして、妙な気だるさと共に清清しさを感じながら、制服に身を包む。
 支度を済ませて洗面所に向かい、素早く顔を洗って髪を整えた。
「美鈴ー、ごはんできたわよー」
 母さんがそう呼ぶのが聞こえた。
 私は一人で誰にも気づかれないようにくすりと笑って、ああ、最後だなと思う。
「今行くよー」
 答えて階段を下りる。香ばしい秋刀魚の焼ける匂い。ばたばたと上から降ってくる音は、きっと弟が起きた音だろう。


 素早く朝食を終えると、ようやく降りてきた弟に早く食べなよと残して私は玄関へ向かった。
 見送りに来た母さんに向かって、いつも通り声をかけてノブを引く。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
 笑顔で見送ってくれる母さんの顔を見て、なんだか無性に寂しくなって、
「さようなら」
 小声で付け足してからノブを引いたのは、今のところ私だけの秘密だ。


 玄関を開けて庭の木々を見つめながら、いつもよりゆっくりとした足取りで通学路を辿る。
 いつも見ていたはずの風景も、改めて見るとなかなか面白い。
 もう見ることが出来なくなるのは残念だけれど、そう思っている自分がなんだか変な人みたいで、ちょっとだけ苦笑した。
「美鈴、おはよー」
 ふと声をかけられて振り返ると、自転車に乗りながら私に笑顔を向けている由美子が目に入る。
「おはよ、由美子」
 私も笑顔で答える。
 いつもの登校風景。
 私から返事を貰った由美子は、嬉しそうにもう一度微笑んで自転車のスピードを上げた。
 私たちは一人で登校する。
 家の近い私は自転車で通学しようとは思わない。ゆっくりと歩いて登校するのが好きだった。


 教室に入ると、いつものように友人達が声をかけてくれる。
「おはよう、美鈴ちゃん」
「おはよ、レナ」
 人懐っこい笑顔で私に挨拶してくれたレナに、ポケットからごそごそと飴の袋を取り出した。
「飴、あげる」
「わぁー、ありがとーっ」
 一つとって渡してやると、レナは大喜びで去って言った。
 今日は小テストがあったはず。
 私はいつも通りに鞄を机の横にかけると、中から教科書を取り出してテスト範囲を確認した。
 しばらくするとチャイムが鳴って、ざわついていた教室が静まり返る。
 何人かはあわただしく教室に駆け込んで、チャイムが鳴ったと同時にやってきた担任から名簿で頭をたたかれている。
 いつもの光景。
 ショートホームルームが終わると、一時間目は体育なので皆が皆いっせいに動き出す。
 ジャージ袋を取ってくれた由美子に近寄って、二人で廊下を歩いた。
 多分、これが最後だ。今日はもう移動教室がないから。
 あるとしても、クラス別の数学だけだ。私は真ん中のクラス。由美子は一番上のクラス。
 移動の無い一番上のクラスにいる由美子とは、多分これが最後なんだ。
 思いながら歩くも、私は普段と変わらぬ顔で普段と変わらぬ会話を楽しんだ。
 体育はバドミントンだった。
 体育館でシャトルを飛ばしながら、最後のバドミントンを楽しむ。
 どうせならバレーボールですかっとアタックでもかましたい気分だったのだけれど、授業だから仕方がない。
 終わりの号令の後、また、私は小声で
「今までありがとうございました」
 と呟いた。
「ん? 何か言った?」
 隣に並んでいたレナに聞かれたか、若干怪しい目つきで見られたが、
「空耳じゃない? 何も言ってないよ?」
 そういってごまかした。


 そうやって、私はいつも通り、普段どおりに学校生活を楽しむ。
 毎授業の終わりに、小言で「今までありがとうございました」ということ以外は。
 数学の小テストも普段どおりに勉強して受けたし、昼食も普段どおり、由美子とレナの三人で教室で食べた。
 そんな普段どおりの日常は、普段どおり、あっという間に過ぎ去ってゆく。
 気がつくと帰りのショートホームルームで、担任がプリントを配りながら後日ある進路相談会の説明をしていた。
「じゃあ、そういうことで。終わるぞー、日直ー」
 日直の山根君が荒々しく起立、といった。言うというよりは叫んだといったほうが正しいか。全員ががたがたとイスを立ち、だらしなく最後の言葉を待つ。
「さよーなら」
 しんとした中で山根君がそう一言継げて、皆がばらばらにさようならという。
 私だけは、その後に小声で先ほどと同じ言葉を繰り返したのだけれど。


 掃除当番でなかった私は、吹奏楽部へ向かうために一階の第一音楽室へ向かった。
 音楽室は二つある。
 第一音楽室で行われるのは器楽選択の生徒。第二音楽室で行われるのは声楽選択の生徒。
 ゆえに、第一音楽室は吹奏楽部が、第二音楽室は合唱部が活動場所としている。
 第二音楽室はのどが冷えないように暖房があるのに対し、第一音楽室は暖房など無い。しかも一階の一番奥、かなり寒い位置にある。たとえ夏でも思わず鳥肌が立つその空間へ向かいながら、私はため息と同時に笑みをこぼしていた。
「あー、宮先輩」
 一年の幸長が私を見つけると大げさにそういった。
「おはよ、幸長。今日はサボるなよ」
 サボり癖のある幸長は、少しばつが悪そうな顔をして、
「宮先輩が言うならそうします」
 と苦笑して部室へ入っていった。彼はトランペット担当だが、腕はいいのに練習に出ない。とてももったいないと思いながら、密かに私の分まで頑張って欲しいと思った。
 部室に入ると私が最後だったようで、すぐに活動が始まった。
 授業隊形のイスを練習用に整えて、円になって始まりの挨拶をする。
 部長である沢村先輩がにこにこと笑顔を振りまきながら今日も頑張ろうといった。
 活動は筋トレから始まる。ひたすら腹筋やら背筋やらをやって、より良い音が出せるようにする。
 今練習しているのは次回のコンクールの課題曲。
 演奏曲は「魔笛」。まあまあの曲目だ。
 筋トレそのほかの基礎トレーニングを終えると、すぐさま練習に入る。
 フルート担当の私は楽譜を見ながら必死にあわせようと音を出した。
 きっと最後に見るだろうおたまじゃくし。
 食い入るように楽譜を見る私の顔が面白かったのか、指揮をやっていた沢村先輩が苦笑していた。


「宮先輩」
 活動が終わって帰る頃。時刻は十六時四十三分。そろそろ死ぬときが近づいているようだ。
 どうやって死ぬのだろうとある意味での期待や不安に襲われていると、あせった声で幸長が話しかけてきた。
 私はすでに帰り支度を済ませ、今まさに部室を出ようとしていたので、進めようとした足を下ろして振り返る。
「どうしたの、幸長」
「いや、今日一緒に帰りません?」
 私から幸長に誘うことはあっても、幸長から誘われることは今までなかった。
 突然訪れたいつもとは違う状況に、多少混乱しながら私は笑顔で頷いた。
「いいよ、珍しいね、幸長から誘うなんて」
「へへ、ちょっと」
 笑う幸長の顔は、けれどどこかあせっていた。


 帰り道、私の家の方向に歩きながら、幸長はポツリと言った。
「先輩、まだ死なないで下さい」
「え?」
 あまりのことに思わず幸長の顔を見る。
 街頭のあまり無いこの通りでは、まだ十七時前だというのにもう暗い。ぼんやりとしか見えない幸長の顔から、表情を読み取ることは不可能だった。
「俺、今日夢を見たんです。宮先輩が死ぬ夢……」
 夢。
 そういえば私もなんだかおかしな夢を見た気がする。
 ぼんやりとしか思い出せない。
 思い出せるのは……

「大勢の、人」

「え?」
「あ、いや、なんでもない」
 思わず口に出していたことに焦りを覚えた。幸長がとても遠く感じる。
「幸長、私、今日死ぬんだよ」
「先輩っ!」
 私がおどけたように言うと、彼は先ほどよりあせったように私の肩を掴んだ。
「俺が変なこと言ったからって、そんな事いわないで下さい! ただの悪い夢なんですから!」
 近づいた彼の顔がようやく見える。見開かれた瞳はしっかりと私の姿を映していて、ああ、こんなに近くにいたんだと感じた。
「じゃあ何で幸長は私が死ぬ夢を見たの? その夢を、一瞬でも信じたの?」
「それは……」
 最後なのに少し悪戯しすぎたか。
 口ごもって黙った幸長を落ち着かせながら、私は彼の肩に手を置いた。
「幸長、私は死ぬの。今日の午後、十七時三十二分五十三秒に」
「え」
 やけに正確な時間に、幸長は一瞬顔を上げた。
「だから言うね」
 幸長は押し黙ったまま私の顔を凝視している。
 私はためらいも無く言葉をつむいだ。
「私ね、幸長の事好きだったよ。手が付けられなくて、でも幸長が出すトランペットはすごく綺麗な音で。今までありがとう。楽しかったよ」
 私の言葉に、幸長の瞳から涙が一筋流れた。
「泣かないでよ」
 彼の涙は止まらない。
 ひたすら私の瞳を凝視して、私を離さんとするかのように。
「……れも」
 かすれた声が聞こえた。涙を流しながら、真っ直ぐに私を見ながら、幸長の口がかすかに動いている。
「俺も、先輩が好きでした。だから……」

 “死なないで”

 そう紡がれるだろう言葉が吐かれる前に、私は彼の唇をふさいだ。
 驚いたように彼の目が一層見開く。すぐに離して、私はおどけたように笑って見せた。
「お別れのキス」
 大丈夫、大丈夫だよ。
 私は大丈夫。
 ふと、携帯を開いて時間を確認した。
 時刻は十七時十七分二十四秒。

 死ぬまであと少し。

「先輩……」
 顔を真っ赤にした幸長のほっぺに、軽くキスをすると私は駆け出した。
「ありがとう、幸長! 練習、ちゃんと出るんだよ!」
 叫びながら振り返ると、はにかんだように笑った彼がいた。
 幸長は何も言わなかった。言わなかったけれど、その笑顔は私に「宮先輩がそういうなら」といっているかのように見えた。
 すぐに視線を前に戻す。
 さあ、どんとこい。
 私はすぐに死んでやる。
 潔く死んでやる。
 未練もあるし、やりたいこともある。
 けれどさあ、それが運命ならば。


 神よ 潔く 私を 殺し たまえ


 強く念じた瞬間、強いヘッドライトが私に当たった。

 交 通 事 故

 ふと頭によぎったそんな言葉。私は静かに笑顔を浮かべ、緩やかに避ける素振りを見せながら……





 涙は 見せないでよね ゆき な が





 先輩は死んだ。
 夢の通りに。
 先輩が言ったとおりに。
 俺の目の前で。

 先輩が走っているところに、不思議な動きを見せる車が突っ込んだんだ。
 進路を定めないその運転は、後々分かったことだが飲酒運転だった。
 狭い道で何とか家にぶつからずに運転していたものだから、先輩が避けることは出来なかった。
 何とか避けようとした先輩に容赦なく車は突っ込む。
 鋭い音と同時に上がるはずの悲鳴は上がらない。
 代わりに上がったのは、俺の小さな息を呑む音だけ。
 ばあんと大きな音を立てて車はようやく止まり、握り締めたこぶしを緩めて俺はすぐに救急車を呼んだ。
 先輩の家まで、あと数メートルのところだった。

 先輩は即死だった。

 けれど死に顔はとても清清しくて、はにかんだような笑顔を見せていた。
 涙は出なかった。
 霊安室で先輩を見ていると、何か声が聞こえた気がした。ふと、笑う。
 笑う自分がおかしくて、また笑う。

 ねえ先輩。
 見ているの?
 見ているの?
 何で死んだの、先輩。
 やっといえたのに。
 やっと、やっと思いを伝えたのに。


 何 で 死 ん だ の 、 先 輩 


 先輩の鞄の中から、遺書らしきものが発見された。
 先輩の両親は手紙を読んで、その手紙を俺にも見せてくれた。



拝啓 皆様

突然ですが、これを読んでいるということは私はもうこの世にいないのでしょう。
何故こんなことを書いてあるのか、死因によっては、貴方達にしてみれば至極不思議なことかもしれませんね。
私は今日、なんだか不思議な夢を見ました。
夢の内容は覚えていないのに、朝起きるとある数字が私の頭の中で渦巻いているのです。

十七時三十二分五十三秒

それはきっと、私が死ぬ時間。
私の時間が終わる時間。
そのとき悟ったの、私は今日、死ぬことを。
突然の死をお許しください。
お母さん、お父さん、貴方達より先立つ私をお許しください。
由美子、レナ、もっと一緒に遊びたかった。
幸長、ちゃんと練習出てください。
君は涙もろいから、私が死んでも泣かないでほしいな。
私は君のトランペットがすごく好きだった。
君の横顔が好きだった。
本当は死んでしまうのも、消えてしまうのも、とてもとても怖いけれど。

でも私は、貴方に、貴方達に、私が消えるそのときは笑っていて欲しかったから。

もし神様がいるのならば、私の願いを叶えてください。
私の願いはたった一つ。

皆が私のことを、どうか忘れずにいてくれますように……―――



さようなら


宮崎 美鈴



 手にしていた手紙に雫が二粒。
 胸にこみ上げる悲しみ。
 先輩が死んだそのときは、涙すら出なかったのに。

 霊安室で声を上げて泣いた。
 涙を流して手紙を強く強く、握り締める。
 紡ぎたい言葉は気がついたら口を吐いて飛び出していた。

「先輩、貴方が死んで、俺が泣かないはず、無いじゃないですか」

 言えばきっと、

「先輩。先輩」

 声が貴方に届くから

「俺はこんなにも、貴方を愛しているのに……」



 泣き声は貴方が紡ぐフルートのような音色で、

- end -

2009/09/12

というわけで久しぶりの短編です。
今回はホラーを目指して書いていたはずなのですが、気がついたらしっとり悲恋に早変わり;
本当は最初のシーンが書きたかっただけなんだけどなぁ…;
で、恐怖に怯えて死んでいくシーンを書く予定だったんだけどなぁ…;
どこで狂ったのか、いや、幸長君が出てきた辺りから段々私のプロットから離れました;
でもなんだか私にしては上手く恋物語に出来たのでよかったです笑
最後のフレーズが個人的に好きv

Harasu Uun