薄暗い日だった。
太陽は全てを照らしていたが、だが現れた雨雲によって光は遮られ地は厚い雲に覆い隠された。
昼ではないかの様な薄暗さに人々は外へ出ることを躊躇い、普段ならそれなりに多い人通りもめっきりと減ってしまった午後。
家にこもった人々は雨の降りそうな雲をカーテンの隙間からのぞいては、より暗闇の深い裏路地から目を背けるように溜め息をついた。
日本の中心のいわゆる首都と呼ばれる東京。それなりに人口密度が高いある区の、それなりに人通りが多いはずの大通りから抜けた裏路地。
テトロは少年だった。
国籍不明。気がついたら東京の裏路地で、数人の男性から暴行を受けていた。
年がいくつで、両親が誰なのかもわからない。
ただ、薄暗い路地から見える大通りに目を向けて、自分にはない幸せを手にしている者達をただひたすらに恨んだ。
彼には育ての親という者はいなかった。
東京とは別名冷酷の街。
孤児であり浮浪児であったテトロに救いの手を差し伸べる者など……ましてや東京の裏の顔、裏路地に足を踏み入れる一般人など……いやしなかった。
けれどもテトロは生きていた。ただひたすらに、這いつくばって。
時には己の身を売って、時には暴行を受けながら。
テトロがそこで生きていることを知る者は恐らくいないだろう。
皆一様にテトロを殴っては、蹴っては、捨てていった。記憶から追い出していった。
雲から微かに光が見えた。
テトロは手を伸ばす。
光だと思えたのは雨粒だった。
ぽつんと、瞳の中に入る。
痛いと思えど、テトロは静かに俯いただけ。
雨はゆっくりと地に降り注いでいったが、テトロには関係のない世界だった。
暖かい布団が欲しかった。
温かいご飯が欲しかった。
暖かい洋服が欲しかった。
暖かい靴が欲しかった。
温かい家庭が欲しかった。
暖かい……
暖かい愛が欲しかった。
無い物ねだりだった、それは。
テトロは自嘲する。手を広げるも掴めるのは雨粒で、望むモノの一つすら手に入らない。
今日はどこで寝ようか。
頭をよぎるのはそんな日常と化した非日常で、嘲笑の色を深める。
「何……やってんだろ……」
身にまとうのは灰色の布。かろうじて残っているのは下着と、首にはめられた銀色のチョーカーとそれにつながる途切れた鎖。
刻まれたアルファベットと少ない数字。
TET-0-L-0
てぃーいーてぃー、ぜろ、える、ぜろ。
だから自分はテトロなのだと、テトロでしかなくて、それ以下ではあるけれどそれ以上はないのだと。
暖かい布団などあるわけない。
温かいご飯などあるわけない。
暖かい洋服などあるわけない。
暖かい靴などあるわけない。
温かい家庭などあるわけない。
ましてや暖かい愛など……
自分はどこまでも一人なのだとテトロは思う。
裏路地から這いつくばって外へと出れば、自分はどうなるのだろう?
そんな愚かなことはしないはずだし、そうすればどうなるかくらい分かっている。
人々はことごとく裏の世界から目を背けた。
そして彼らは、テトロの存在を無視し続けた。
時には酔っぱらいが迷って入り込んだこともあったが、それでもテトラを見つけると恐怖の音を上げ去って言ってしまう。
そして忘れてしまう。
テトロは精悍な顔つきをしていた。
整った目鼻。
それこそ、外の世界の住人ならば絶対の幸せを手に入られるほどの。
だがテトロの髪と瞳の色は、おかしな色をしていた。
それ故、彼をみたものは恐怖を覚えて逃げていくのだ。
それ故、彼をみたものは恐怖を覚えて彼に襲いかかるのだ。
彼の髪の色は奇麗な赤色だった。
地毛。
しかしそれはただ単なる赤色ではない。
マーブルの様にぐにゃり、ぐにゃりと不思議な色変化をした髪の毛は、光加減では生きた血が這っているかのようだった。
彼の瞳もまた、奇麗な赤色だった。
右の目は濃い赤色。
左の目は、オレンジに近い赤色。
……テトロは精悍な顔つきをしているのだ。
裏に住むべきではない、きれいな顔を。
しかし彼の髪は、瞳は、それを許さなかった。
彼が白く染まることを許しはしなかった。
許しは、しなかった……?
空腹で腹の音が鳴る。
そんなことは日常茶飯事だ。今日まで生きるのに、まともな食事をしたことはない。
記憶の断片にあるのは大きな男、白い色。
ただそれだけで、今までを振り返れど良い記憶は何一つ見つからなかった。
これまで生きてきたのが自分でも不思議に思えた。
上から羽織っているだけの、灰色の厚手の布を体に巻き付ける。
それは数々の暴行やらで短く切られてしまっていたが、それでもやんわりとテトロを暖め続けた。
冷えた体は薄紅色を失って、青白く、紫色にかたかたと震えている。
今度こそ意識を失いそうだ……テトロは遠退いていく意識の中でぼんやりと思った。
今までどんなに暴行を受けても、傷を受けても、空腹でも、決して飛ぶことのなかった自分の意識。
鳴り続ける腹の音がウザったくて、テトロは自らの腹を力のこもった拳で殴った。
痛みがしたが、それはどこか隔離されたもので決して「痛く」はなかった。
とうとう痛みすら失ったか、ああ、しぬのかな。
死ぬのかな。
死ねるのかな。
とうとう、とうとう、とうとうとうとうとうとう……
「死ね、るのかな」
声に出したそれは静かにテトロにぶつかった。
ゆっくりと目を閉じる。
――見えたのは、暗闇に浮かぶ小さな丘と小さな家だった――
テトロが倒れた裏路地の隅。
どす黒い光がある一点を中心に広がり、まるで空気を裂くかのように一閃、何かが弾けた。
光の中から黒色が現れる。
黒色はテトロを見つけると顔の見えないその格好で何かを考え、テトロの額に手を乗せた。
ぬめぬめとした粘着質の灰色の手が黒色の中から現れる。
しばらく黒色はそのまま手を乗せていたが……――
――……同じくどす黒い光が辺り一面を照らしたかと思えば、そこにテトロと黒色の姿はなかった。
あれ?
体中がちりちりとして、嫌な感じに暖かかった。
生きている?
何故だか分からないけれど、自分の生存を脳に叩き付けられる。
暖かさが段々と強さを増し、それは既に熱かった。
腕に激しい痛みが襲い、体毛が何かの音に合わせて抜けていくのが分かる。
ちりちり、ちりちり、ちりちり
何がどうなっている?
うっすらと瞼を上げると、見えたのはオレンジ色だった。
鮮やかなオレンジ色。
自分の左目と同じその色はテトロに酷い不快感を与えた。
なんで生きているんだ。あんなに死にたかったのに!
心の中で叫べど、それは声としては現れなかった。
不意に右目に強い刺激を感じる。
悲鳴を上げる右腕を無理矢理動かして、そっと触った。
「……何?これ」
口を吐いて出たのは意外にも疑問の言葉だった。
荒れ狂う心情では死ねなかったことへの憎悪や憎しみがどろどろと溢れかえっていたが、それとは対照的に、カサカサとした右手の指に触れたのは固いものだった。
ゆっくりと起き上がる。
「それは君の力だよ、テトロ」
背後でねっとりとした嫌な感じの声がして、慌てて振り返る。
自分がどこにいて、どんな状況なのか良く確認できていなかったが構わない。
そのことが災いして死んだとしても、それはテトロにとって本望だったから。
声の主は黒いローブを頭から被った顔の見えない男だった。
男か女かと問われれば外見だけでは判断できないが、声質や大柄な体も含め恐らく男だろう。
一瞬の沈黙が走る。
テトロは疑問を返しはしなかった。
そして男もまた、先走って答えを言う様なことはしなかった。
三秒ほどの沈黙が長い時間かのように思え、二人は対峙する。
「……力?」
重い口を開いたのは、テトロの方だった。
テトロは右手で右目を覆っている何か固いものさすりながら静かに問うた。
男の長いローブからのろりと灰色の手が出、テトロにのびる。……男は何も言わなかった。
迫り来る灰色の手は真っ直ぐにテトロの右目を目指していた。
何となく粘着質なものを感じるそれから逃げようと、仰け反ろうとする。
「………っ!」
しかしそれは何か得体の知れない力によって遮られた。先ほどから続くちりちりとした痛みはもはや全身の神経や筋肉を麻痺させている。
男がゆっくりと頭を垂れた。続けて、テトロも自らの下を見やる。
「ひっ……」
短い悲鳴。後に恐怖。
テトロの瞳には彼の左目と同じ、オレンジに近い赤色の炎が全面に映されていた。
そうだ、さっきからおかしいとは思っていたんだ。
テトロの中で至極客観的に自分を見つめるテトロが言う。
炎は徐々に徐々にテトロの体を這い上がっていた。
抜けていると感じていた体毛は確実に炎によって焼き消され、ちりちりとした痛みはやけどの痛みだったのだとテトロは今更気がついた。
ああ、なんて僕は間抜けなんだ!
けれどそんなことどうでも良い。本当に、どうでもよかった。
灰色の手はどんどんどんどんテトロの顔面との距離を縮めていき、もう目の前まで迫っている。
ゆっくりと目を閉じた。
同時に顔を何かぬめぬめとして大きな物体に掴まれるのを感じる。
脳に強い刺激を感じて、体中の痛みが一瞬なくなった。
右目を覆っていた固いものがわずかに右目から浮いて、大きくなったのをテトロはそ、と開いた右目で見てしまった。
僕の右目を割れた仮面が覆っている。
仮面の模様がどんなものかテトロには分からなかったが、それでもその異様な光景に恐怖を覚えることくらいは出来た。
段々と思考回路が途絶えていく。
フェードアウト、フェードアウト。
灰色の手はいつの間にか自分から離れていて、近づくときとは考えられないほどのスピードで男のローブの中に収まった。
段々と暗転してゆく世界で、見る。
オレンジに光る世界で、ローブを外した男は気味の悪いカエル顔でニヤリと笑っていった。
「出来たよ、不幸神(ふこうしん)」
ぶつんと何か音がして、完全な暗闇がテトロの脳を支配した。
見上げるとそこは汚らしい灰色の空だった。
顔の右半分に、違和感を感じる。まとっていた灰色の短い布は、いつの間にか長いローブになっていた。
ここがどこだか分からない。
東を向けば暗黒の城がそびえ立っていた。
西を向けば暗黒の塔がそびえ立っていた。
南を向けば絶壁の崖が目の前にあった。
北を向けば……
北を向けば、今にも崩れそうな小さな小屋が見えた。
テトロは再び空を見上げた。
空はゆっくりと動き、動きながら様々な灰色を彼に見せた。
「君は不幸神だ、テトロ」
どこかで聞いたことのある声を聞き、テトロは北を向く。
たっていたのは長いローブを頭から被った男だった。
(あの時の男だ)
何となく思うが、その彼が今ここに出てきた所でテトロには何の興味も抱かない。
「不幸神?」
とりあえず繰り返す。
それは一応の疑問符はつけられているが、テトロ自身、自分が何者であろうがもうどうでも良いとさえ思っていた。
「そう。不幸神。……君のチョーカー」
不意にローブの分け目から例の灰色の手が現れて、テトロの首元を指差した。
手の動作に会わせて、テトロの右手は示し合わされたかのようにチョーカーを触る。
TET-0-L-0
触れただけで分かるほどはっきりと彫り込まれたアルファベットと数字。
東京の裏路地で生活していた頃、道ばたに落ちていた割れた鏡を見て初めてその文字を見た。
記憶はあまりないはずなのに、自分が何者かも分からないくせに、何故かその文字はすんなりと読めたのだ。
以来テトロはゼロをオーと見立て、皮肉を込めて自らにテトロと名をつけた。
「てぃーいーてぃー、ぜろ、える、ぜろ」
声に出して発音すると、言の葉はふわりと舞ってテトロに降り掛かる。男は雰囲気だけでニヤリと笑い、灰色の手を引っ込めた。
「そう、TET-0-L-0。Tは恐怖。Eは効果。Tは技術。君は人々に不幸を与えるべく生まれた存在。不幸神」
「人々に不幸を与える?」
男はゆっくりと頭を垂れた。垂れ下がったそれがすぐに戻ったことから、恐らく頷いているのだろう。
「そう。君が恨み続けた幸福。君が求め続けた幸福。そいつが本当はないんだということを、壊してあらゆる人々に知らしめてやれば良い」
相変わらずねっとりとした声がテトロの耳を突き抜けた。
頭ががんがんと響く。音が、音が溢れていった。
「……どう、やって?」
「右手をかざせば良い。幸福を壊したいと思った人間の頭を右手で強く掴み、強く念じれば良い」
男はゆっくりと口をつぐんだ。
テトロは「何と?」と問おうかと思ったが、男が再び雰囲気のみで笑ったのを感じ、喉まで出かけた言葉を無理矢理押し戻す。
「そんなものは、無い物ねだりだと」
言ってから男は低い音色でくっくっと笑ったが、テトロは到底笑う気にはなれなかった。
気分が悪い。気味が悪い。
気味の悪い世界。
――そしてその世界に違和感無く存在している自分がいる
強烈な吐き気を催して、テトロは思わず咳き込んだ。
男はまるでそんなこと分からないかのように続けた。
「ここは死狭(しきょう)。生命の終着点。死神と死族が争いを繰り広げる世界。君は不幸神だ。死神達が殺そうとする人間を、いいや、全ての人間の幸せを“壊せ”。………それが、君が存在する理由であり生まれてきた理由だから」
ねとりとした声で男は言って、声に出して笑いながら段々と薄くなっていった。
テトロはむせ返りながら男を見つめる。否、睨む。
「恨むなよ、不幸神テトロ。これは全て君が望んだことなんだ」
男は最期にニヤリと(また雰囲気だけで)笑って、急に透けて消えてしまった。
煙にもならないほど唐突すぎる消え方。
テトロはごほごほとやりながらその場をただ睨むことしか出来なかったが……――
――空はいつまでも灰色で、渦を巻くだけだった。
- end -
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ノリで書きました(爆
初めは違う結末だったんですが……。なんだか微妙なことになってしまい;
尻切れとんぼと言いますか何と言いますか……中途半端だったので書き直しました。
制作時間二時間ほどです(はやっ
調子に乗ると早いという………平行して書いていた(進行形ですが)CYANDY'Sは慣れないギャグ小説のため全然書けません……;
誰か代わりに書いて……(止めろ
実は話は続きます。いや、続きませんが。
長編として載せる予定の「死という狭間で」という小説の番外編みたいなもんです。
いずれ載せると思うのだけど(笑
まぁとにかくそんなこんなで久しぶりの更新でした。
Harasu Uun