暖かいというよりは、暑い日差しが地面を照らしつけていた。
熱気は跳ね返ること無く、地面やら人やらに吸収されてそのままだ。
少年は公園のベンチに座り込んで、空を仰ぎながら煙草を吸っていた。
煙が少年の頭上をプカプカと浮く。
「ルア、こんな所で何やってんだ?」
ふと、どこからか声がかかる。
声の音は低めで、興味がなさそうな、やる気がなさそうな色をしていた。
ルアと呼ばれた少年は身を起こすことをせず、また煙草を吸うのを止めることもせず、ただぼんやりとかけられた声を流した。
雲がゆっくりと流れる。
風がゆったりと髪をなびかせる。
暑い中、大きめの木がちょうど良い日陰を作り出すこのベンチは、むしろ快適に近かった。
ちょうど良い涼しさ。
「ルア」
また、声がかかる。
先ほどよりも近いのだろうか、少年は段々と近づいてくる足音を聞いた。
くわえていた煙草を口から外し、上体を起こす。
見えていた空が見えなくなって、代わりに見えたのは遠くにそびえる高層ビルの山。
「何だよ、シェラル」
ぼさぼさの黒髪を面倒くさそうに掻いた。シェラルと呼んだ“声”は、既に少年の…ルアの隣を陣取っていた。
「また授業さぼってると思ったら、お前こんな所にいたのかよ」
公園なんてお前には似合わないぜ、と、シェラルは呟いた。
ルアは頷く。そんなこと百も承知なのだ。
公園が似合わないことも、自分が煙草を吸うことがいかに不自然であることかも。
木陰に入って空を見上げることも、風を気持ちいいと感じることも。
ルアは煙草をくわえ直し、再び空を見上げた。
「空は良いなぁ……」
ぼんやりと口にする。
煙草が思わず口の中に入り込みそうになったが、慌てずに手で押さえた。
シェラルが吹き出す。
「だからお前らしくねぇって!」
そんな、日常。
「俺には日常もクソもねえんだけどよ……」
ぽつりと言った言葉は隣にいるシェラルにも、ましてや他の、公園で遊んでいる人々には聞こえなかった。
目を閉じる。
暗転。
記憶が、蘇ってくる。
あの日の、彼女の、残酷な笑みが。
ルアやシェラルの通う学校は、国家で特別に認められた「特別警察養成所」……つまるところ、暗殺や毒殺、様々な“殺し”を叩きこむ学校であった。
養成所と言いつつも、通う生徒達のレベルは半端なものではなく、授業の一環として実際に殺人を犯すこともある。
もちろんそれは、非合法なことをやらかして内密に殺さなければならない人間だったり、国側の事情で邪魔になっている他国の大臣だったり、中々罪には問われない人間だ。
この学校では、“殺し”は全く悪いことではない。
むしろ、実践学習によってより多くの人間を殺した方が、成績が良く尽くし後々の就職も有利になるのだ。
学校の実践学習は、常に二人ペアで行われる。
どちらかが負傷しても、残りのどちらかが確実にターゲットを仕留める為だ。
今こそルアのパートナーはシェラルだが、昔は違った。
丁度一年前だったか。ルアには女性のパートナーがついていたのだ。
名を“ピーシア”と言う、美しい女性が。
彼女は唯一“殺し”に抵抗心を持っていた。
元々孤児の多いこの学校で、ピーシアは珍しく能力を買われて入った一般人からの出なのだ。
普通の生活をしていたのに突然異常な学校へ連れてこられ、“殺し”は正しいと定義されて疑問を持たない方がおかしい。
ピーシアは実践学習の際、常に急所を外して攻撃していた。
だから止めを刺すのはいつもルアだ。
学校側としては、始めにわざと急所を外したピーシアの攻撃で逃げられなくなった所を、ルアの正確な狙いで一撃で倒す、という戦法を良いコンビネーションと称し、特に咎めるでも無く、むしろ高評価としていたから、その根底が“殺したくない”なんて知ったことではなかっただろうけれど。
でもやはり、どんなに自分は殺していないと言えど、殺しに関わっている自分が嫌だったのだろう。
一年前の丁度今日。
ピーシアは行動に出た。
それは簡単な実践学習だった。
国に密入国して来て、多くの詐欺商売を行っている男を夕刻までに暗殺する、というもの。
ルアは簡単だと思った。
男の行動パターンは学校側の調べで既に出ているし、家や犯行の手口なんかも割り出されている。
出かけの際に、ピーシアが何か銃を見つめて呟いていたが、ルアは特に気にもしなかった。
(久しぶりの実践だから緊張してんだろ)
自分も腰や袖に仕込みナイフを仕込み、腰に一丁の銃をかける。
授業開始の合図とともに、ピーシアと共にバイクにまたがった。
二人用のバイクに乗って、無免許ながらもすごいスピードを出して走り抜ける。
男がいるのは十三に分けられる区間のうち第七区で、学校のある第一区からそうそう遠くもなかった。
ピーシアは緊張を沈める為に、いつも煙草を吸っている。
今日も同じ様に、少々きつめのマルボロスペシャルマイルドを美味しそうに吸っている。
「ピーシア、俺その匂い嫌いだって言っただろ」
「馬鹿ね、あたしがこんだけ近くで吸ってたらあんたも立派な喫煙者よ。文句言わないの」
ピーシアは少し不器用に笑った。
ルアはちぇ、と不機嫌に舌打ちしたが、真っ直ぐ前を向く目を外すことは無い。
やがて第七区の区間道が見え、道なりに走っていく。
……指定されていた家はすぐに見つかった。
バイクを止める。
ピーシアは真っ先に降り立って、何の警戒も無しに家の扉を無造作に開けた。
慌ててルアが追いつく。
が、ピーシアは既に開け放った扉から家の中へずかずかと侵入しており、食事中だったのか、禿頭の男が驚いた目でピーシアをただ見つめていた。
「だ、誰だッ!?ふ、ふ、不法侵入で訴えるぞっ!!」
「あら、訴えられるの?密入国者の貴方が?」
ぜひ見てみたいわ、と、ピーシアは鼻で笑う。
男は言葉を聞いて瞬間的に青ざめたが、すぐに血色を取り戻すと近くにあったライフルを手にした。
何となく、嫌な感じはしていたんだ。
男はライフルを乱射し始めた。
けれども訓練を受けたルアやピーシアの体は弾丸の軌道を読み取っているかの様に滑らかに動き、全てを避けている。
次第に弾はなくなり、力なく男はライフルを落とした。
ピーシアは腰の抜けた男に対し、愛用のニューナンプM60を腰にあるホルダーから取り出した。
ハンマーを上げ、狙いを定め、引き金を引く。
いつも通りの行動を眺めながら、ルアは静かに仕込みナイフを手にしていた。
(ターゲットが動けなくなったら、刺す!!)
固い意志と共にナイフを掌に滑り込ませ、ピーシアの後ろから男を睨みつける。
ピーシアの指に力が入る。
引き金が引かれた。
ものすごい音とともに三十八口径の弾丸が男の太もも目指して放たれた。
見えないスピードで弾は走り、だが男は悲鳴を上げなかった。
……弾は、腰の抜けてへたり込んでいる男の太ももからわずか数ミリ離れた床に刺さっていた。
「…あぁ?………外し、た?」
ピーシアは何もしない。
俯いたまま、まるで外れるのが必然であったかの様に静かに涙を流していた。
くわえていた煙草が床に落ちる。
「ごめん、ルア。規則通りに殺して」
はにかんだ感じに笑って言う彼女は、自らの手からニューナンプを落とした。
両手を静かに上げて、男の前に立ちふさがる。
ルアは学校の規則をゆっくりと思い返していた。
(養成所規則……第……三条………命令に…背くものは………)
なんだか体がかぁ、と暑くなっていることにルアは気がついた。
目頭が熱い。涙が流れ出た。
ピーシアの涙の雫が、落ちたマルボロの火を消した。
手にしていた仕込みナイフを彼女に向ける。
彼女は微笑んだまま、ゆっくりと目を瞑っていた。
美しい黒髪が風もなくなびく。
奇麗に弧を描いた口は、ゆっくりと言葉を紡いだ。
ルアは自身を殺して……酷く冷や汗を流しながら……それでも狙いを狂わせずに……
投げた。
ナイフは的確にピーシアの心臓目掛けて飛んで、それと同時にルアは素早く己のコルトガパメントを取り出した。
倒れ込むピーシアになど目もくれず、目の前で殺人が繰り広げられたその光景にただ呆然とする男の心臓目掛けて一発。
ドォン…………
拳銃の音が響いた。
男は心臓から勢いよく血を放出して、ぐったりと前のめりになる。
ルアは尚も無表情に、ピーシアの心臓からナイフを抜き取った。
拍子で血ががぼ、と不気味な音を立てて溢れ出た。
「…………俺も好きだったよ、ピーシア」
静かに話す言葉はだが小刻みに震えていて、ルアは自分の体が静かに震えていることに気がついた。
……今まで、多くの命を奪って来たのに。
(不思議と恐怖は無かった。ただ哀しいという気持ちだけが埋め尽くしていて、躊躇いというモノも何も……)
ナイフをとるのと一緒に、彼女の懐から煙草を取り出した。
ピーシアの愛用していた、マルボロのスペシャルマイルド。
家をゆっくりと出て、バイクに積み込まれているオイルを二人にぶちまけた。
マルボロを取り出して、ポケットからライターを。
ゆっくりと吸うときつい味が口内を埋め尽くす。一度だけ吸って、煙草は彼女に引き寄せられる様に地面へ落ちた。
油に火が移る。
瞬く間に燃え上がる二人を見ながら、ルアは家を後にした。
やがて火は家をも包み込む。それは消えること無く、消えること無く。
「今日も………楽勝だったな、ピーシア」
誰にでも無く話しかける。
「見たかよ、あのハゲの顔。俺たちを悪魔か何かだと思ってたんだぜ」
「ピーシア?何か言えよ」
返事は、無い。
「ピーシ…………」
バイクに乗りながら、風を感じる。
何度も何度も話しかけた。
いるわけの無い彼女に向かって。
振り返って思い知る。
「ああ、そうか。あいつは俺が殺したんだ……」
ゆっくりと、顔を戻した。
速度を速める。
第一区まではまだ少し先だ。
早くに逝ってしまった君はもうこんな汚い世界からはさよならだけどでも
「ルア?」
声が聞こえて、ルアは我に返った。
横を見ると、シェラルが不思議そうにルアを見つめていた。
ルアは弱々しく微笑む。
「空ってよ、どこまでも広くて…どこまでも遠くて……どこまでも、自由なんだよな」
ルアは言って、なんだか本当に自分らしくないことを言っていることに気がついた。
けれど、気にしない。
(きっとお前はそう思ってたんだろ?)
もう一度見上げた。
見上げた空はどこか哀しげで、どこか寂しげだった。
「空は良いよなぁ…」
「ピーシアさん、か?」
聞いたシェラルは、言ってからまずいことを聞いたんじゃないかと慌てて口を閉じた。
だがルアは気にしてない風に笑って、小さく頷く。
「そ。今日命日なんだよ。あいつの」
だからさ、こーやって吸いもしない煙草吸ってんの。
ルアはふざけた様に笑ったが、シェラルには逆にそれが痛々しかった。
二人して、空を見上げる。
「俺さ、あの事件の後所長から脱退を進められたんだよ」
「え?」
「『パートナーを殺すというのは本当に辛い行為だったと思う。けれど、君は規則を全うした。その褒美として、この養成所からの脱退を特別に認める』ってさ」
シェラルは不思議に思った。
脱退を許可されたのなら、何故わざわざ残っている?
その答えを、ルアはニヤリと笑っていとも簡単に返した。
「気づいちまったんだよな。俺がピーシアを殺したことについて正当化させるには、俺はこれからも殺し続けるしかない・って」
だから止めた。
はっきりと言うルアの顔はどこか寂しげだったが、清々しさも混じっていた。
シェラルは思わず吹き出す。
「はは、ルアらしいや」
「だろー?」
久しぶりに笑った気がした。
ピーシアを殺してから何人も何人も、次のパートナーとして選ばれたシェラルとともに殺して来た。
以前よりも遥かに上級な暗殺術も身につけた。
それでも、ルアは満足にピーシアが死んだことを受け止められなかった。
(ピーシアは……旅立っただけなんだ)
奇麗な所に。
こんな汚い所よりももっともっと遠い、とても奇麗で澄んだ所に。
空を見上げると、一羽の鳥が群れを追って弱々しく羽を羽ばたかせていた。
ルアは笑って、自分のようだと思う。
ゆっくりと目を閉じて、天にいるであろうピーシアの言葉に耳を傾けた。
だが何も聞こえない。
ルアはそれでも、昔の様に……丁度一年前の今日の様に、いるわけの無い彼女に向かって呟き返す。
- end -
----/--/--
第四弾でっせ、奥さん。
この「マルボロ」は絶対に死ネタにしようとお題を見たときから決めていました。
最初は双子の片割れを交通事故でなくしちゃった少年のはなしにしようと思っていたのですが、何となく気乗りしなくて;
何度か再考しているうちにこんなものが出来ました。笑。
今回も切ないですね……多分。
最後の台詞が個人的に好きです。
好きだからかいてるんですけど何か?
ああ、二作続けて書いてアップしてるから指がだんだん動かなくなって来た……。
キーボードがかたかた言うよ、どうしよう……(元からかたかた言いますよ)
ルアとシェラルのお話……また書こうかな。(ちょっとお気に入りのキャラクターだったり)
Harasu Uun