改札をくぐる。薄い黄色、どちらかといえばクリーム色に近い切符は、機械を通って出なくなる。終点。私の降りる場所。駅から三十五番出口に向かって、歩き出す。
硝子戸を開ける。
少し古めかしい、きぃ、という音と共に扉は少し重く開いて、私の体は前のめりによろけた。少しの体力を消耗した後、目の前に広がる階段へと足をかける。一段は学校のそれよりも若干高く、踊り場へ出るまでに息が荒くなっていた。
何もない。誰もいない階段。
ただ私の、こつこつというローファーが動く音が響いているだけで、あとは何もない。まるで世界が静止してしまったかのような、錯覚。壁に張られている広告は新品のようで、セロハンテープで頑丈にとめてあった。無造作にそれをやぶり捨てて、私は歩く。
何もない。
何も見えない。
何もおこらない、“異常”な日常。
二、三度踊り場を通り過ぎると、ようやくかすかに風を感じて。地上に出る。月が出ていた。太った丸の、満月。まるで私を嘲笑うかのように、凛として夜空に光っている。星は、ない。ただ明るすぎる地上が、真っ暗なのに明るすぎる地上が、星々を隠してしまっているだけ。
だから私は笑おう。
自嘲にも似た笑みで、階段の最後の一段をのぼりきる。
風が吹いた。振り返る。
そこには、何もない。
つまらない日常。在り来たりの会話。催眠術をかけているのかと思われるほど、退屈な授業。退屈な毎日。私は今日も、改札を通る。
いい加減に定期を買いたいと思いながら、私はいつもどおり切符を買って、改札を出て、三十五番出口へ向かう。途中茶髪の男どもが声をかけてきたが、無視をして歩き続ける。後方でぶつぶつと文句が聞こえた気がしたのだけれど、所詮私には関係のないこと。私がどう思われようが、どんな風にいわれようが、それは私には関係ない。私は他人へ評価を求めているわけではないから。
重たい硝子戸を開ける。体が前のめりになる。
くらくらと目眩がして、でも気にしないで階段に足をかけた。
一つ目の踊り場。
私が破いた広告の上には、同じ広告が重ねて貼ってあった。なんとなく癇に障ったので、それも破り捨てる。広告の切れ端が床に散らばって、どこからともなく動き出した。
つつつ、と動いて、動いて、そして終いには飛ばされた。何となく吹っ切れな気がして、私は微笑を漏らす。振り返る。
階段を、上りはじめて足を止めた。
「何、してるの?」
その男は私に向かって、無表情なまま言った。いつもどおり無視をしようとする。だけど彼の瞳を直視したら、その強い眼差しを直に見たら、話せなくなった。
がしり、と掴まれたように、体が動かない。
男は金髪に、青い瞳を持っていた。精悍な顔つき。恐らく、私が見てきた男の中で最も美しいであろう、その風貌。黒いスーツを崩してきていて、階段の、ちょうど十五段目に座っていた。
「何、してるの?」
もう一度。彼の声は低く、だけれど高く。どこかほっとするような、落ち着いた声色。ソプラノも歌えるのじゃないだろうかという、音。バスなのかな、と思う、音。不思議だった。明らかにそれらは矛盾していて、けれどそうではない。
低いのに高く。
高いのに低く。
気付いたら立ち止まっていた。いいや、それは私が望んだことだ。きっと。私は彼を見ていたいと思った。彼のそばにいたいと、思った。
「………別に」
やっとの思いで答えたその言葉を聞いて、彼はあ、そ、とそっぽを向いてしまう。それが少し悲しくて、私は彼の隣に座った。
「………何?」
彼は問う。まるで昔から知っていた友人かのように。私はめったに笑わない顔を笑いの表情へと変えて、
「別に」
同じく答えた。
しばらく、沈黙が包む。だがその沈黙は決して気まずいものではなくて、なんだか暖かい、ほっとするようなものだった。
彼はいつも何かを見つめていた。
まるでその瞳に、私は映っていない。いつも違う何かを見つめていて、私には見えない何かを。私はそれが知りたかった。
階段には、誰も来なかった。
車のクラクションが、静寂をやぶった。
私は重い体を起こし、彼を一瞥すると去ろうとする。彼はゆっくりと顔をこちらに向け、
「またね」
と言う。つられて私も、真顔なりに“またね”と返す。
またね。
また、会おうね。
彼と私は、また会うことがあるのだろうか。
明日、この時間に、この場所へくれば。
彼はいるのだろうか。
踊り場を過ぎる。学校のそれよりも若干高い階段を上りきって、地上に出る。
風が吹いた。
大きな風が、一つ。
私の黒髪をなびかせる。私は目を瞑り、振り返る。
そこには彼がいるような、気がした。
目を開けて歩き出す。何人かのチンピラに絡まれそうになったが、全て無視してやり過ごす。時折しつこいのがいて、腕を捕まれたりもしたけれど。思いきり振払って睨んでやったら、“尻尾を巻いて逃げていった”という表現がぴったりあてはまるほど、大慌てで逃げていった。
家に着く。無機質な雰囲気のその空間には、私以外誰もいない。
電気をつける。
星が一つ叫び声をあげて、隠れてしまった。
だから私は、すぐに電気を消してやった。
朝がきて、昼がきて、夜になる。時間とはそれほどまでに早いもので、私の意識は常にどこか違う空間に飛んでいたから、特に時間なんてもの、感じはしなかった。いつものように紺色の制服に身を包み、皆がやっているようにスカートを上げ、学校についたと思ったらもう終わっていた。
常に作り笑顔の張り付いている顔は、そのままの顔で。
図書室という広く、そして無機質な空間で。沈黙が支配する空間で。小一時間ほど、眠って過ごした。
やがて空が暗くなり、地上が光り出した頃。私は駅へ向かう。誰にも会わずに、誰ともはなさずに。
もう作り笑顔は張り付いていない。
ただただ、“無”という表情を、私の素のままの顔を、さらけ出す。
改札を通る。三十五番出口に向かう。階段を上る。踊り場に出る。
二枚もの広告が破られた壁には、もう何も張られていなかった。ただ無惨にも破り去られた広告の残骸が、壁に名残として残っているだけ。
ただそれを見つめ、声がかかるのを待っていた。
「何、やってんの?」
昨日と同じ、同じ声が私に降り注ぐ。振り返った。そこには昨日と同じようにして、階段の十五段目に彼が座っていた。
「知ってるよ。俺を、待ってたんだろ」
彼は私に向かってにか、と笑って、それが素の表情なんだと思った。昨日みたいな無表情じゃなくて、昨日みたいにどこか遠くを向いているのではなくて、その瞳には私が、その顔は私に、向けられていた。
「あたり」
言って、昨日と同じように彼の隣に座った。
彼は少し笑った後、私の顔をまじまじと見つめた。少し気恥ずかしかったので、意味もなく広告のある壁を見つめる。
「君と俺は、同じだね」
唐突に、彼がいう。
彼の瞳を見た。その瞳に光はなく、それは私と同じで。全てに失望しているような、全てを諦めて捨てているような。
私は弱々しく微笑んだ。
車のクラクションが鳴る。静寂ではない、静寂が破られる。
「君の名前、教えてよ。金髪さん」
一言だけ、そう発する。
彼は少し驚いた顔をしたけれど、どこか納得したようで、優しく微笑んだ。
「ソウセイ。蒼い星って書いて、ソウセイ。…君は?」
「コウヅキ。紅い月って書いて、コウヅキ」
一瞬の沈黙。お互いに微笑んでいたけれど、どこか悲しかった。
彼は言う。
「さようなら、俺の愛しいコウヅキ」
つられて私は、さようならとは言わなかった。
ただ振り返りもせずに下へおりていくソウセイを見て、肩をつかんで、振り返らせて、抱きつきたい衝動に駆られた。
でも、できなかった。
さようなら。
きっともう会うことはないから、さようなら。
呆然と立ち尽くす。彼は進み、やがてその背中は電気の消えた駅内に消えた。
呆然と立ち尽くす。
やがてもう一度車のクラクションが鳴って、私はゆっくりと上へとのぼりはじめた。
風が吹く。振り返る。
そこに、君はいない。
昨日と同じように、私は無機質な空間で目覚めた。今日は土曜日で、下らない学校はない。だけどなんだかいかなきゃいけない気がして、黒いタンクトップに薄めのパーカーを着込んで、出かけた。
足が勝手に動く。
駅のある方へ。
夜の街は暗く、星は太陽の光で遮られる。
気付いたら、あの広告の壁の見える、階段へ来ていた。
ふと、十五段目の端を見る。彼はいない。壁を見る。広告は張られていなかった。
昼間なので、何人かが立ち尽くす私を通り過ぎていく。
私はただ呆然と、時が過ぎるのを待つだけ。
『何、やってんの?』
やがて、声が聞こえた気がした。振り返って、何もないことに気付いて、向きを戻す。
…と、広告のなかった壁に、何か汚れのようなものがあることに気が付いた。先ほどまで、そんな汚れはなかった。気になって、近付いてみる。
汚れはだんだん大きくなって、私の視界に現れた。
息を呑む。
涙が頬を伝う。
だけど、拭く気にもなれなかった。
-愛しい俺の月へ。俺は、空へ行く-
そう、赤い字で書かれたその汚れは。私の見ている目の前で、ふ、と消えた。
きゃああああああああああ―――
大音量が駅内に響き渡る。消えた文字。響き渡る悲鳴。
私の足は勝手に動いていた。
体は思うままに、いや、本能のままに動いていく。
勝手に財布を出して、勝手に切符を買って、勝手に改札を通った。
ホームへ進む。
どこにも、誰もいない。
何となく、線路の中を覗き込む。
赤が見えた。
真っ赤な、真っ赤な、真っ赤な、真っ赤な、真っ赤な、真っ赤な、
紅に染められた、金髪の彼がいた。
悲鳴も出なかった。流れていた涙は止まっていた。ただ何となく、ああ、そうか、と、どこかで納得している自分がいた。
線路へおりる。時空が戻る。
人々がざわついているのが分かった。
きれいな、彼の顔に自分の顔を近付ける。
紫に近い黒の、夜空の色をした列車が近付いているのが分かった。
数名が悲鳴を上げた。列車はとまらない。
私も、彼もとまらない。
そうして優しく、彼に口付けをした。
列車のライトが光った。急なブレーキ音。血にまみれた彼。真っ暗な闇。
気付いたら、誰もいないホームに戻っていた。
ふと、手にしていた切符を見る。
それはいつもの、黄色に近いクリーム色の切符ではなくて。つい先ほどまで見ていたはずの列車と同じ、紫に近い黒野、夜空の色をしていた。
薄い黄色の文字で、行き先が書かれている。
がたがたと、列車がやってきた音がした。
ふと顔を上げると列車は既にとまっていて、私の目の前にあった扉だけ、開く。
扉が開いた瞬間、嬉しさで涙が流れ出た。
金髪で青い瞳を持った、私と同じ彼がいる。
素のままの笑顔を私に向けて、手を差し伸べている。
嬉しくて、すがる思いでその手を取った。
列車は進む。夜空の色をした列車は。
だんだんと線路を離れ、地上を離れ、どんどんと。
-愛しい俺の月へ。俺は、空へ行く-
- end -
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はい、階段です。
いかがでしたでしょうか?少し切なめを目指してみたのですが(笑)それにしても、やはり一人称は書きやすいですね。…主人公の容姿が書きにくくなりますが。
それ以前に、今回のお話は何と言うか…不思議話だった気がします。はい。
ちょっとややこしいですね。
何と言うか……最終的には、ソウセイとコウヅキの二人とも星になった、的なオチで(笑)え?シリアスにオチつけるなって?それもそうですね;そもそもそれがオチといえるのかどうか微妙ですが(汗)
書いてて楽しかったのは本当です。はい。
今回は繰り返すことによる強調と、その変化にこだわってみたのですが…。うまくかけているかどうか。基本的に推敲しない人なんで(駄目じゃん)
でも暫くすると読み返して、書き直します。ついでに誤字脱字も見つけます。
………だからこれはまだ未完なのですよっ!(必死に誤魔化し)
あ、だからどうということはないですが。むしろ駄目じゃん?見たいな。
未完のものをのせるなとかはいわないで;(ちなみに“未完”とうとうとすると100%の確率でミカンになるのは本当)
というわけで、あとがきというか雑談でした〜v
Harasu Uun