001.クレヨン



001.クレヨン

 真っ暗だった。暗闇の中で、ただ佇んでいる。佇んでいるというよりは、“気付いたらそこにいた”。私はそれまで普段どおり、学校へ行っていたはずだし、つまらない古典の授業を受けていた。そして先生が紫式部の話をはじめたところで、学校は急な停電に襲われたのだ。だが、それまで座っていたはずの私は気付いたら立ち上がっていて、いつの間にか日の光もなくなっていた。…クラスのざわめきと共に。
(ああ、次は倫理だ……)
普段なら気にもかけない時間割を、何となく今思う。もしここが夢の中だとしたら、こんなことを思ったのは奇跡に近い。倫理なんてもの、はなから興味はないし。まぁ、進級できないと困るので、それなりの勉強はしているけれど。最も、なぜか私は直感でここは夢の中ではないと感じているし、事実そうだと思う。頬をつねる必要もない。そもそも、あれは何の意味があるのだろうか。頬をつねって痛かったとしても、それだけで一概に夢というには確証がなさ過ぎる。まぁ、そこを問い出したらそれこそ“倫理”の“哲学”の世界に入ってしまうのだろうけど。
「あー、あー」
暇だったので、何となく声を上げてみる。私のアルトの声はよく響き、どこからか反射して私の元へ返ってくる。響いた声を聞いて、急に空しさに襲われる。そもそも、ここはどこなんだろう。なぜ私はここにいて、なぜここはこんなにも真っ暗なんだろう。
「なに、やってるんですか」
ふいに、後ろから声が聞こえた。いや、実際に姿は見えないのだから、後ろと断定はできないが。とりあえず、形だけでも振り返って、私は首を傾げた。
「なにと言われても………」
あ、間違えた。これは聞くことじゃないな。うん。私は自問自答をして、改めて誰かがいるであろう方向に顔を向けた。
「ここはど「変な人ですね〜。一人で声を出すなんて」
思いっきり遮られた。何なんだ、この人。会っていきなり、“変な人ですね”なんて普通いわない。心で思ってても、声に出しては言わない。………軽くショックだ。うん。今日は寝れなさそう……というか、翌朝涙で枕が濡れる光景が目に映るようだよ、本当。
「あ、でも急に暗くなったらびっくりしますもんね!すみません!」
少し高めの声が、私に向かって謝罪した。なぜ謝罪されたのか分からないが、何となく、きれいな女性が私にお辞儀する様を夢見て、一人自嘲した。いかんいかん、あまりの暗さに現実逃避しそうになった。
私がうんうんと首を振っていると、恐らく女性であろう人は、にこっと笑ったような感じでいった。
「今、電気をつけますね」
………………は?
いかん、やはり現実逃避しているのだろうか、私。今この女(面倒くさいので肯定してしまおう。そもそもソプラノの声の男性がいたら正直、ひく)、何と言った?“今、電気をつけますね”…………いやいやいやいや、電気を消したくらいでこの暗さにはならないだろう。何か?今は夜なのか??気付いたら夜になっていたのか????
「はい、すいっちーおんっ!」
なぜか平仮名で、女性は言った。途端に、カチカチ、という古い音と共に周りが光で満ちる。あまりに突然だったので、私は思わず目を瞑った。
「あ、れー?すみませーん、何も見えないのですけど!ちゃんと電気ついたのかなぁ……」
女性は、手探りで私の型をつかみ、がくがくと揺する。こ、この女………なかなかやるな。そもそも何も見えないのは私も同様で、でも電気はついた……と思う。多分。電気だけでこんなに明るくなるとは思えないけど。
だんだんと目が慣れてきて、ゆっくりと瞼を持ち上げる。電気は普通の光に戻っていて、柔らかい光が辺り全体を照らしている。目の前には、私の肩を掴んだままの、女性というには少し幼い、全身真ピンクの少女がいた。
少女は以前目を瞑ったままで、あぅー、みーえーなーいーと、一人で喘いでいる。…ついでに言うと、私も先ほどから揺れっぱなしだ。いい加減止めてくれないと、本気で吐くかもしれない。
「あ……あの、そろそろ目を開けても大丈夫だと……思うのですが」
やっとの思い出少女の手を掴み、自分の肩から外させる。一瞬グラリと体が傾いたが、気にしないでおく。少女はフリルのたくさんついた、俗にいう『ロリータ』という洋服を着ていて、びくりと体を振るわせた。そして、恐る恐る目を開ける。
「……………ぁ、……………や、やったぁ!ちゃんとついてたぁ!」
少女は突然元気になって、私の手を振払い飛び跳ねて喜ぶ。………だんだん疲れてくる。うん。多分、この数十分(時間感覚がないので、定かではないが)の間に、通常ではあり得ないほどのストレスを感じてるんだろうな、私。
と、私はようやくその“空間”全体を見回した。今まで少女と自分の状態に気を取られ過ぎて、最優先すべきことを放っておいたから。真っ白な空間に目を凝らして、今自分がどういう状況なのか、確かめる。
その空間は、一言でいえば“密室”だった。
真っ白で染み一つない壁と、それと同様の床、天井。天井には一つ、裸電球がぶら下がっていて、妙に生活感を出している。というか、今時裸電球って………せめて傘くらいはつけてほしかった。何か見ていてこう……貧乏ぽいというか、惨めな気持ちになる。部屋に窓はなく、床にはクレヨンが散乱していた。青、赤、黄、茶、緑……様々な色が床に散乱していて、だが床に汚れはない。
「っと、あなたは六杉永久さんで間違いないですね?」
少女が、きょろきょろと視線を動かしている私に聞く。私は一応頷いているが、完全に少女に気など配っていない。
「そうですかー。じゃ、殺しますけど異論はないですね?」
また、何か少女がいった気がしたので、とりあえず頷いて………頷いて………ちゃ駄目じゃないか!!!い、今、何と言った?この子は!
「あ、あのー……もしもし?聞き間違えだったらそれでいいのですが。今何と言いました?」
恐る恐る少女に問いかける。よく見ると少女は俗にいう『美少女』というやつで、付け根から茶色い髪はおそらく自前で、きれいにウェーブを描いている。肌は雪のように白く、部屋の白さと同化してしまいそうだった。だが、少女の肌の方が透き通った“奇麗な白”で、裸電球の光で怪しく光る。目の色は髪のそれと同じ、茶色。くっきりした二重が印象的だ。彼女くらいの年頃なら、ニキビやらシミやらに悩まされていてもおかしくないと思うが、彼女の顔にはそんなもの一つない。仮面を張ったように、人形のように、けれど生気を持った“人間”の顔が、美しい、もはや“人間”の域を超えている“人間”の顔が、そこにはあった。彼女の肌の白さと、服の淡いピンクがよく似合う。そんな彼女は、にこりと笑って一言。
「えと、“異論はないですね?”です」
………駄目だ。ベタ過ぎて嫌になるが、会話が噛み合ってない。いや、噛み合ってはいるのだが、私が欲しい会話は成立していない。うん。こういうときはもう一度だ。
「えっと、ごめんね?そのもう少し前」
少女はあ、という顔をすると、一度すみません、と頭を下げてから、
「はい。えーっと、“そうですかー。”ですよ」
なんかもう、いいや。うん。今なら倫理の教師がいっていた“ストレス死”というものが分かる気がする……うん。実際にあったらの話だけど。はぁ。溜め息しか出ないや。もう。とりあえず、こういう時は…。
「ごめん。君、“殺しますけど”って言ったよね」
初めからこうすれば良かったと内心思いながら、本当はわざわざ言いたくない言葉を吐いた。
少女はああ、と楽しそうにうなずくと、私に特上の笑みを浮かべて言う。
「あ、はい!今から、あなたを殺します♪」
♪マークなんてつけて楽しそうに、彼女は笑う。無邪気だ。とてつもなく無邪気で、それでいて純粋な悪。否、悪ということすら感じない。美人すぎる、“人間ではない人間”の容姿を持った彼女がそんな風に無邪気に笑うと、いくら私といえど顔くらい赤くなる。何となく、照れ、というか、そういう気持ちと恐怖が重なって、私は至極複雑な気分になった。
「えと………人違い、じゃなくて?」
念のため聞いておく。でも何となく、直感的に人違いとかそういうことじゃないと思った。そもそも、彼女は私の本名をいっていたし。………ん?そうだよ。なんで彼女が私の名前を知っているんだよ。私、自分の名前なんていっていないはずだ。彼女をじっと見る。彼女は見つめられるのが恥ずかしいのか、照れたように頭をかいて舌を出し、てへへ、と笑う。何と言うか、美人なのに可愛い。否、美人だからこそできる可愛さというか…。うん。とにかく可愛かった。
「あっと、人違いとかじゃないです。あなたは六杉永久さんですよね?だったら……「そ、そう!それ!」
不意に、自分が彼女に見とれている暇はないと悟り、私は大声で彼女の発言を遮った。彼女はびっくりして私を見、それから目を二、三度閉じたり開いたりした。
「君は、なんで私の名前を知っているんだ……!?」
しんとした空気が、辺りに流れる。少女は一瞬目を見開いて、そしてにたりと、実に卑しく笑う。

「それはね………教えてあげようか、永久。私は…………私が、あなた自身だからだよ」

耳元で甘い声が囁いた。
びっくりして両耳を押さえ、振り返る。そこには同じ笑みのままの、それでも美しい少女が立っていて、私を見下ろしている。………彼女の方が、背は低いはずなのに。なぜだろう。この圧迫感は。この威圧感は。そしてこの……この、この恐怖感は何だろう。
部屋に転がっているクレヨンは、音もなく転がり出す。視線だけ動かして、その行く末を見守った。クレヨンは壁にとんと当たると、静かに壁を伝い出した。………壁に、赤、青、黄、緑、茶、色とりどりのクレヨンがなぞられていく。

少女は笑っていた。
ただ卑しく笑っていた。
私を見下ろして、ただただ笑っていた。

クレヨンは、子供の落書きのように、滑るように壁をなぞっていく。真っ白だった空間が、突然騒ぎ出す。
フラッシュバック。
閉じていた心のふたが、持ち上がる。

「わかるでしょ?この部屋は、あなたの記憶の中だもの。……私は、あなたの記憶そのものだもの」

少女が笑って、私は恐怖におののいて、腰を抜かして倒れるようにしゃがみ込む。少女がジリジリと私に寄ってくる。私もまた、ジリジリと彼女から遠のいていく。
やがて私の背中は壁に当たり、少女は一段と嬉しそうに、笑った。
「ごめんね?永久。私、生きていたかったもの。ずっとずっと、生きていたかったもの」
「………………………遥華」
私の声は震えていた。自分でよく分からないけれど、震えていた。
少女は…彼女は…私の妹だった、遥華は。昔からのその美しい顔を奇麗に“笑い”の表情へと代えて、無機質に……そう無機質に。私に手を伸ばす。

私の記憶はフラッシュバックする。

 真っ白な空間。そこは新築マンションの一室。両親がマンション経営者だった私たちは、最上階にある一室にだけは、入ってはいけないと言われていた。だけど私たちは好奇心旺盛で……その頃の、まだ小学二年生だった私たち双子は、両親が出かけているのを良いことに、こっそりとその部屋へと向かった。
扉を開けるとそこはただの真っ白な空間で、窓もない、扉を閉めれば隙間さえない、完全なる密室だった。私たちはその異様なまでの威圧感、そういうものを感じ取って、その場に立ち尽くしていた。だけど私は、意地を張って無理に彼女に言ったんだ。

「今、私が代わりに言ってあげるよ」

遥華の口が、きれいな弧を描く。そして私に向かって、残酷に言い放った。




『ねぇ、遊ぼうよ』




 遥華は怖がった。その空気に圧倒されて、入りたくなかったのだ。私も入りたくなんかなかった。けど、口がかって動いて、気付いたらそういっていた。結局私たちは、色とりどりのクレヨンを持ち込んで、俗にいう“落書き”をすることにした。部屋は真っ白。その真っ白な空間を、自分達の絵で埋め尽くすことができたらどんなに気持ちがいいだろう。

気付いたら、私たちは夢中になって落書きをしていた。

そろそろ結構な時間も経ち、お腹が空いてきた頃には部屋の半分は様々な色で埋め尽くされていた。私たちはここら辺でやめ、外に出ることにした。でも両親が帰ってきたら大変なので、どちらか一人、留守番をすることにした。じゃんけんをして、私はグー、彼女はチー。結局留守番は遥華がやることとなり、私は意気揚々と自宅へ向かった。暫くして大量のお菓子を見つけて、私はそれを持ってあの部屋のある最上階までたどり着く。さぁ、中に入ってお菓子を食べようと思ったそのとき、私はあることに気が付いた。
「扉がない……」
呆然と立ち尽くして、私はきょろきょろと辺りを見回す。
確かに扉があったはずの場所は、ただの壁と化していた。夢だったのだろうか。その時私は、律儀にきちんと自分の頬をつねった。だが痛みという感覚はきちんとあり、やはり夢なんかじゃないと本能で悟っていて。私はとりあえず床にお菓子をおき、壁を触りながら扉を懸命に探した。
結局扉は見つからず、私はとぼとぼと自宅に戻る。
玄関を開け、広いリビングを通り過ぎ、当時子供部屋として使っていた大きな部屋の扉を開けて………

そこは、真っ白な空間だった。

真っ白で、半分だけ落書きで埋まっていて、そうして部屋の中心には、





青ざめた遥華が横たわっていた。







遥華は死んだ。
あの真っ白な、無機質な部屋で。たった一人、孤独に。
遥華は死んだ。
私が出ていったあの部屋で、一人取り残されて。
死因は窒息死だった。当然だ。私が出る時、ばれないようにと扉を閉めて、鍵までかけたのだから。あの短時間で死んでしまうとは思えない。けれど、私が殺したも同然だった。

意識が戻る。現実に私の目の前にいる遥華は、目を細め、私を殺したくて仕方がないようだ。壁に追いつめられた私は、逃げることができない。遥華はこれ以上ないほど楽しそうに、笑った。
「逃げなよ、永久。あなたは楽に逝かせてはあげない」
恐かった。私はあの時、遥華が死んだ時。自分の中から遥華という存在を消去した。双子で、何もかもが繋がっていた私たちは、どちらか一方が死ぬと残った一方は壊れた。そういう仕組みだったんだ。
精神が壊れる、イカレる、そういう仕組みだったんだ。

私の名前は六杉永久。
双子の妹を“殺して”、精神を保つためにとった行動が、男装だった。
私を保つために行っていたそれは、いつしか当たり前のことになっていて。



私の精神は、もう男性とほとんどかわらない。



こういうのを、性同一性障害というのだろうか。

ぼんやりと考えて、不意に遥華の手が私の頬に触れた。冷たい。死人のように冷たいその手は、爪を立てて私の頬を滑る。
「っ痛」
小さく悲鳴を上げたが、彼女は笑うばかり。…恐かった。あり得ないほど恐くて、恐くて、恐くて、恐くて、恐くて、私は悲鳴も出せなかった。
私は遥華を否定し続けていた。あの日、あのときから。
彼女は私に復讐をしにきたんだ。なぜ私を忘れたんだ、なぜ私を守ってくれなかったんだ、そういう風に、私に、私に、復讐を。
彼女の瞳がそう語っている。恐い。
私は思いきり壁を蹴って、反動で彼女の間を抜けた。振り返ることはしなかったが、後ろで彼女がにやりと笑ったのが分かる。まだ、私と彼女はつながっているんだ。

私は目の前に転がったクレヨンに手を伸ばした。
クレヨンは転がる。


私の可愛い妹の手が、迫りくる。

- end -

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ようやっと更新。
結構気に入ったできになりました、この作品。
いや、主人公視点で書いてみたらなかなか書きやすくって…。でもやっぱり私は三人称視点だなぁ。そっちの方がいろいろと詳しくかけるんですよね。それになんかそっちのほうが“私〜”って感じがするし(は?)
というか疲れました…。はい。終わり方は気に入ってますが。ちょっとややこしいかな〜。主人公の状態とか。
主人公ははじめは女の子のつもりで書いてたんですけど、気付いたらちょっと男の子っぽくなってて。で、年齢的に高校生の年齢で書いてたんで、高校男児が自分のこと私とかいってたら嫌だな、と。そういうわけでこんな風になりました。はい。かなりややこしい上にまとまり皆無ですね…。投石だけは勘弁して下さい(苦笑)
次は階段です。ちゃんと順番どおりやってきます。………一体どれくらいかかるか分かりませんが。……がんばります!(意気込む)

Harasu Uun